facebookに投稿したこの写真、奥羽本線の新庄駅で陸羽東線の2両の気動車(キハユニ16?)が到着したところです。facebookでは1枚の写真の裏にある陸羽東線の旅の話など書く場ではないのでブログでこの時の日誌を紐解いてみます。
昭和39年夏
終日曇天で落ち込んでいた仙北鉄道の撮影を終えた翌朝、相変わらず曇天の瀬峰を出発し国鉄を乗継いで尾花沢線が出ている大石田に向かった。この時はクリアな写真も天候次第と陽が出てこない空ばかり気にしていた移動であった。
昭和39年夏
終日曇天で落ち込んでいた仙北鉄道の撮影を終えた翌朝、相変わらず曇天の瀬峰を出発し国鉄を乗継いで尾花沢線が出ている大石田に向かった。この時はクリアな写真も天候次第と陽が出てこない空ばかり気にしていた移動であった。
陸羽東線が奥羽本線の新庄に到着 1964.08.05
東北本線の小牛田で乗換えで、新庄行き陸羽東線は1時間ほど待ってやっと女川発の気動車がやってきた。超満員であったが大部分の客は降りてしまい席は楽にとれた。隣に白衣で杖をもった人が座ったがどうやら信仰の出羽三山へ行くようである。
広く続く田んぼをしばらく走ったあと急勾配を登ると山奥の鳴子についた。天気が悪くてガスをかぶった山々がかすんでいる。鳴子の駅で車内まで鳴子温泉の硫黄の匂いがしてきたのには驚いた。鳴子で2両を切り離し2両になった気動車は更に勾配を登り県境の峠を越えて下り坂となると一路新庄に向かった。
広く続く田んぼをしばらく走ったあと急勾配を登ると山奥の鳴子についた。天気が悪くてガスをかぶった山々がかすんでいる。鳴子の駅で車内まで鳴子温泉の硫黄の匂いがしてきたのには驚いた。鳴子で2両を切り離し2両になった気動車は更に勾配を登り県境の峠を越えて下り坂となると一路新庄に向かった。
平地が開けてくると前方の空が青く見えどうやら晴れているようだ。いやな雨雲は次第に遠のき待望の陽が差し込んできた時には堪らず歓喜。夏の強い日差しがギラギラ車内に入り込んできた9時3分 新庄に到着。新庄の空は雲もない青空でガンガン照りであった。
大石田に向かう準急まで時間があったので、新庄の駅前通りを歩くと土蔵造りの酒屋など昔からの佇まいを残していた。フードを買いにカメラ屋に寄ると応対に出てきた店員のメガネが余りにもよく似合っていて、こういう女性をメガネ美人というのだろう。
山形交通尾花沢線が出ている大石田までは新庄から準急に乗って20分ほどであった。
大石田に向かう準急まで時間があったので、新庄の駅前通りを歩くと土蔵造りの酒屋など昔からの佇まいを残していた。フードを買いにカメラ屋に寄ると応対に出てきた店員のメガネが余りにもよく似合っていて、こういう女性をメガネ美人というのだろう。
山形交通尾花沢線が出ている大石田までは新庄から準急に乗って20分ほどであった。