宮本常一さんの写真について。
民族学者宮本常一さんは昭和30年から41年にかけて日本各地を14,000枚ほど写真に記録し、それを今、宮本常一データベースで見ることができる(生涯では10万枚)。東京など都会には目もくれずほとんどが地方で、あの時代の懐かしい空気感が蘇ってくるのは民族学者ならではの視点のせいでしょう。その多くはオリンパスペン(初代は昭和34年発売)で撮影されている。
よい写真を撮ろうなどと身構えない。その時代の風景をありままに撮る。1情景1カットのみ何カットも撮らない。読める写真を撮る。など宮本常一流の撮り方である。
宮本常一データべースを見ると昭和35年に淡路島の福良港~鳴門海峡をオリンパスペンで撮っている。私がオリンパスペンでこの福良港~鳴門海峡を撮ったのが以下の写真で昭和40年、常本常 一さんの5年後であった。
民族学者宮本常一さんは昭和30年から41年にかけて日本各地を14,000枚ほど写真に記録し、それを今、宮本常一データベースで見ることができる(生涯では10万枚)。東京など都会には目もくれずほとんどが地方で、あの時代の懐かしい空気感が蘇ってくるのは民族学者ならではの視点のせいでしょう。その多くはオリンパスペン(初代は昭和34年発売)で撮影されている。
よい写真を撮ろうなどと身構えない。その時代の風景をありままに撮る。1情景1カットのみ何カットも撮らない。読める写真を撮る。など宮本常一流の撮り方である。
宮本常一データべースを見ると昭和35年に淡路島の福良港~鳴門海峡をオリンパスペンで撮っている。私がオリンパスペンでこの福良港~鳴門海峡を撮ったのが以下の写真で昭和40年、常本常 一さんの5年後であった。
淡路交通福良駅。
淡路島の南端にある福良港。
洲本で淡路交通の電車に乗ると終点福良に到着する。駅の前がすぐ港で観光船が出入りしている。
福良港を出港し鳴門海峡へ向かう。
様々な船が浮かぶ福良湾。
渦巻く鳴門海峡。大橋はまだ出来ていない。
淡路交通の電車が出ていた洲本。街並みの向こうの船着場から関西汽船や南海汽船の航路が神戸や深日と洲本を結んでいた。
洲本港船着場の右手に淡路交通の電車のりばがあった。