昨日の石鉄さんからのコメントから旧伊那電の電車モハ3101、3102をもう一度とり上げてみます。昭和30年代にこんな電車が夏になると内灘から粟ヶ崎海岸まで海水客を運んでいたのですね。
石鉄さんからのコメントより
私の子供のころ(昭和30年代)金沢市民の海水浴といえば、粟崎海岸と金石海岸でした。粟崎海岸へは浅野川線(通称浅電)、金石海岸へは金石線を利用しました。
当時浅電は夏場だけ内灘から海岸駅まで営業していました。
旧伊那電のダブルルーフのモハ851と852、3101、3102(851と852は木造車)が活躍していました。
北鉄生え抜きの電車と比べても大きく、ゆっさゆっさと巨体を揺らしながら内灘砂丘の砂に埋もれたような線路を走っていました。
どの電車も混んでおり、帰りの車内は汗や塩水でネチャネチャになった体をくっつけ合って帰ってきました。
撮影:1964.12.31
石鉄さんからのコメントより
私の子供のころ(昭和30年代)金沢市民の海水浴といえば、粟崎海岸と金石海岸でした。粟崎海岸へは浅野川線(通称浅電)、金石海岸へは金石線を利用しました。
当時浅電は夏場だけ内灘から海岸駅まで営業していました。
旧伊那電のダブルルーフのモハ851と852、3101、3102(851と852は木造車)が活躍していました。
北鉄生え抜きの電車と比べても大きく、ゆっさゆっさと巨体を揺らしながら内灘砂丘の砂に埋もれたような線路を走っていました。
どの電車も混んでおり、帰りの車内は汗や塩水でネチャネチャになった体をくっつけ合って帰ってきました。
撮影:1964.12.31
モハ3101 北鉄金沢
モハ3102
北陸本線(後方)をアンダークロスして一つ目の七ッ屋に到着する。モハ3102+クハ1651のいかにも北鉄らしいゲテモノ編成。
モハ3102 七ツ屋