1964年正月の沼尻鉄道はまだ大勢のスキー客を運んでいた。この頃はスキー場直行バスは走っていなかったのか早朝の列車はスキー客満杯でオープンデッキまで溢れていた。
沼尻スキー場は終点沼尻駅から離れたところにあり、沼尻鉄道が消えてから沼尻スキー場に行くには磐越西線猪苗代から直行するバスで行くのが便利であったが直ぐにマイカーでスキー場まで行く時代になってしまった。
この1964年正月の沼尻鉄道のスキー客満載の列車から6年後には私でさえマイカーで行けるようになったので、あっという間のバス輸送やマイカー時代の到来に、それまで持ちこたえてきた沼尻鉄道も一気に飲み込まれてしまったのでしょう。
沼尻スキー場は終点沼尻駅から離れたところにあり、沼尻鉄道が消えてから沼尻スキー場に行くには磐越西線猪苗代から直行するバスで行くのが便利であったが直ぐにマイカーでスキー場まで行く時代になってしまった。
この1964年正月の沼尻鉄道のスキー客満載の列車から6年後には私でさえマイカーで行けるようになったので、あっという間のバス輸送やマイカー時代の到来に、それまで持ちこたえてきた沼尻鉄道も一気に飲み込まれてしまったのでしょう。
川桁駅の待合室はスキー客で満杯.1964.01.03
スキー客を待つボキー客車4両編成.川桁
磐梯山をバックにスキー客満載の一番列車が沼尻へ向かう. 川桁-白津
4両編成だが客車の収容能力はえらく小さい.
途中の駅からも地元のスキー客が乗り込む. 白木城
その前日の一番列車.川桁 1964.01.02
4両編成だが客車の収容能力はえらく小さい.
途中の駅からも地元のスキー客が乗り込む. 白木城