昭和38(1963)年に乗った長野行の夜行列車はこんなでした。
有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車のどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高」の車内通路の床に座る事にした。
発車時刻になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。
写真下は文芸春秋に掲載された松本清張作品「遭難」で紹介された1958年夏の準急アルプスの普通3等車の車内である。1960年にアルプスが急行に昇格すると、準急「穂高」としてひきつづき運用された。
昭和40(1965)年前後のお盆の東北方面行き夜行列車も普通2等車の車内は帰省客や東北旅行客でこんな状況であった。旅行は季節休みを利用するのでどうしても混雑がピークとなる夜行列車であった。
(1960年~3等→2等になる)
昭和38(1963)年、私達が乗った準急「穂高」は超満員で床に寝るスペースすらなかった。
昨日、西村繁男絵本 原画展「やこうれっしゃ」で見た夜行列車の絵は上野発→金沢行のこんな時代の光景が実によく描かれているが、私達が乗った夜行列車とは時代が違うようで豊かになって来た日本を感じたものだった。
西村繁男絵本「やこうれっしゃ」から