Quantcast
Channel: 地方私鉄 1960年代の回想

東武鉄道 熊谷(妻沼)線 リニューアル

0
0

変色した古い切符の日付を見ると昭和56(1981)年7月18日。
熊谷線を訪問したのは驚くことに40年も昔のことであった。
あの日のことが鮮明に記憶が残っていて、とてもそんな昔には思えない。
1980年の私は会社の仕事がピークを迎え翌年の夏はほっと一息ついたのだろうか、
クルマで一人ふらっと妻沼駅に立ち寄ってみたのだった。

1981.7.18

廃線が近い妻沼駅。列車が到着するまで駅前の喫茶店で一服していると夏休みの高校生達が店内にたむろしていた。クルマで鉄道沿線を撮ったのは上毛電鉄、熊谷線、筑波鉄道、山形交通三山線くらいだったか。

jha141さんからコメント戴いた妻沼線の思い出を紹介します。

全部懐かしい 幼児期から小学校に入る前まで熊谷市石原に住んで居ました 目の前が土手で上を妻沼線が走ってました(後に東部熊谷線と知る) 大きく成ったら妻沼に行きたいと思い時が過ぎ数年前廃線に成った事を知り真夏の暑い日に熊谷に行きバスで妻沼まで 電車に乗る事は出葉ませんでしたが記念館で記帳し写真を撮りその後国宝の聖天山も見学歩いて石原まで土手の雰囲気は残って居ました、陸橋の上で車掌に追いかけられた場所は解りませんでした。


妻沼駅

模型的に纏まった機関区。

妻沼駅手前の備前渠用水と思われる。

どこまでも一直線に熊谷へ向かう。


大聖寺川を渡り山代へ

0
0
鉄道模型趣味(TMS) 11月号の"地方私鉄 失われた情景"第17回は「大聖寺川を渡り山代へ」北陸鉄道加南線です。1964年、木立を背に田園風景の中を温泉通いの電車が走っていた情景はまるで模型のようであった。




1966年航空写真。

今では立派な温泉施設が並び神社の木立に昔の面影を残している。

大聖寺川を渡る。

土手を行く元温泉電軌モハ1800形

七ッ屋駅の構内配線図

0
0

8月12日の 浅野川線の七ッ屋で未完成であった七ッ屋駅 構内配線図。国鉄北陸本線との位置関係を航空写真に基き仕上げました。構内配線図は模型のための図でありノットスケールです。




七ッ屋駅


上毛電鉄 赤城山と青空

0
0

青空の出ぐあいを見て平日の朝北関東へ飛び出した。

上毛電鉄を撮るなら赤城山を背景にして撮る、これを長いこと考えていた。

一回の訪問で満足ゆくものは撮れないのは当然で、ロケハンのつもりで今回撮ってきました。

気持ち良い青空と雲は午前まで、午後は大きな雲で陽が陰り情けない状況に。
次回は朝早く行って午前中に的を絞るのがよさそう。

桐生周辺の混み入った鉄道路線がサッパリ分からず東武と各線の接続がこれでやっと理解できた。

 

新屋-粕川  撮影:2020:10:26

赤城山を背景にのどかに走る。 
女渕城本丸跡の迷路のような先にあったひと気のない公園。

赤城山麓の秋の青空。 

午後の赤城山麓を行く。

新屋駅から歩いて粕川駅に着く頃には青空も勢いがなくなる。

交換駅の粕川

東武特急「りょうもう」浅草から2時間ほどで赤城駅に到着。
ここで上毛電鉄に接続だが乗換えた客は私一人くらい。

東武特急「りょうもう」の終着駅赤城。

上毛電鉄の車内

遠い昔42年前の上毛電鉄デハニ52。1978年1月

夜行列車

0
0

昭和38(1963)年に乗った長野行の夜行列車はこんなでした。 

昭和38年 夜行列車と浅間線

有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車のどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高」の車内通路の床に座る事にした。

発車時刻になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。
列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。


写真下は文芸春秋に掲載された松本清張作品「遭難」で紹介された1958年夏の準急アルプスの普通3等車の車内である。1960年にアルプスが急行に昇格すると、準急「穂高」としてひきつづき運用された。

昭和40(1965)年前後のお盆の東北方面行き夜行列車も普通2等車の車内は帰省客や東北旅行客でこんな状況であった。旅行は季節休みを利用するのでどうしても混雑がピークとなる夜行列車であった。
(1960年~3等→2等になる)

昭和38(1963)年、私達が乗った準急「穂高」は超満員で床に寝るスペースすらなかった。


昨日、西村繁男絵本 原画展「やこうれっしゃ」で見た夜行列車の絵は上野発→金沢行のこんな時代の光景が実によく描かれているが、私達が乗った夜行列車とは時代が違うようで豊かになって来た日本を感じたものだった。

西村繁男絵本「やこうれっしゃ」から

57年前の京王線 沿線風景

Previous 夜行列車
0
0
57年前の京王線の下り電車、私はこの写真は背後の風景から仙川駅を出てつつじヶ丘駅に向かって下っているところと思い込んでいました。ところがこの区間にある入間川がこのような小川ではないとの指摘があり、この近くに在住の大学鉄研OB氏に鑑定を依頼した結果、写真はつつじが丘駅の東側ではなく西側であることが判明しました。

1960年代の航空写真、当時の京王線築堤の高さ、背後に見える駅などから仙川~つつじヶ丘間ではなくつつじヶ丘駅西側のつつじヶ丘~柴崎間で撮影したものでした。
モノクロ写真のカラー化、現在のカラー写真は大学鉄研OB氏より送って戴いたものです。

一面田んぼだった風景はその後埋め立てられ住宅地となり、その住宅もいつの間にか今風の住宅に変わって来て、京王線に限らずどこでも沿線風景は時代とともに変化し今昔対比が難しくなってきている。遠い昔の田園風景などは忘れ去られてしまうのでしょう。


つつじヶ丘を出た下り電車、遠くに国分寺崖線の台地が見える。 1963.7.31
モノクロ→カラー化

現在のつつじヶ丘~柴崎。上の写真の撮影位置はほぼこの辺りと思われる。

つつじヶ丘駅の部分拡大で駅を出たところに下り勾配がある。

柴崎~つつじヶ丘間で撮った田園風景。1963.7.31

1960年代の航空写真(地理院地図) 柴崎~つつじヶ丘間。

足尾銅山観光の機関車

0
0

先日、紅葉のわたらせ渓谷鉄道に乗って通洞にある古河足尾歴史博物館(あしおトロッコ館)を訪問し産業用機関車を訪ねてきました。帰りにすぐ近くにある足尾銅山観光(観光客のほとんどがここへ行く)にも立ち寄ってみました。足尾銅山観光の詳細はネットに詳細に紹介されているので省きます。

撮影:2020.11.21

わたらせ渓谷鉄道 通洞駅


観光で有名なトロッコ列車に乗って坑内へ。
観光客の殆どは古河足尾歴史博物館に寄らずこちらを訪問して帰る。


地下の展示室で注目したのがこの美しい坑内用電気機関車。

足尾銅山の坑内軌道は475mmゲージで誠に小さな機関車。
余りにも小さな車体でポールが巨大に見える。明治26年に足尾銅山工作課にて新造。


トロッコ列車を降りて坑道の奥にあった歴史資料展示室。


鉱石トロッコ
 
この先1200キロの坑道。


展示室の先の通路を進むと、そこは先ほどトロッコ列車が入って行った坑道入口であった。
 

産業用機関車を訪ねて 古河足尾歴史館(あしおトロッコ館)

0
0

NPO法人足尾歴史館は2019年4月から古河機械金属㈱が運営を引継ぎ「古河足尾歴史館」として再スタートしました。これに伴い従来の鉄道保存ボランティアチームによって運営されてきた屋外展示や車両保存活動は、独立した新たな組織「一般社団法人あしおトロッコ館」となり古河機械金属㈱協力の下「古河足尾歴史館」の屋内外展示場で昨年から活動を開始したそうです。

今回の訪問目的はこの「あしおトロッコ館」に保存されている産業用機関車の見学でした。
トロッコ館というと足尾ガソリン機関車(レプリカ)や加藤製4t機関車の動態保存がよく知られていて客寄せの運転施設のイメージが強いのですが、実は未整備車を含めて多くの産業用機関車をストックしていて、これらの整備が進むまではまだ積極的にPRしていないそうです。

今回の短時間訪問ではとても見切れずざっと確認ができただけでした。
保存車は産業用機関車で動態保存6両、復元中7両で、その他トロッコ客車、トロッコまで様々。

再度訪問した時はこれらの車両を時間掛けて見学したいものです。
これから更に整備・復元が進んで動態保存車が増えてくるとトロッコ(森林鉄道、鉱山鉄道、工事鉄道)ファンにとって見逃せないメッカ「あしおトロッコ館」になることでしょう。


運転中のカトー4t機とトロッコ客車(足回りが元向ヶ丘遊園の客車)
背後が古河足尾歴史館

足尾ガソリンカー軌道の機関車と客車(ともにレプリカ)

加藤製作所製4t機関車(動態保存)

米川鉄工所製3tガソリン機関車(動態保存) 元花巻市伊藤組
最も惹かれた小さな機関車。


気になる未整備のガソリン機関車(復元中)

ニチユ10トン電機(復元中) 元新八茎鉱山。未整備車がゴロゴロしている。
シートに包まれた元向ヶ丘遊園の豆電車(復元中)


屋外展示場とストック材。
背後の足尾の山に木が茂っている。


津軽鉄道のオハ31形

0
0

そろそろ津軽鉄道の原稿を書かねばと先日は大宮の鉄道博物館へオハ31形を訪ね、しばし温もりの木製車内を味わってみました。

コロナのため当館窓口・券売機での「入館券」の販売はいたしません。ご入館の際は、必ず予めセブンイレブン、ローソン、ミニストップ店舗にて販売する時間指定の「入館券」(枚数限定)をご購入ください。

とのことで事前に時間指定の入館券を購入して入場したものです。入場制限で館内はひっそりとしていて、ゆっくりと見学ができました。

津軽五所川原で撮った津軽鉄道オハ313+311+312。1966.3.3
煙突が二つ出ている。

国鉄オハ3126に復元された津軽鉄道オハ311

名物の車内ストーブ

コロナの入場制限でひっそりとしていた館内。

津軽鉄道

0
0

 雑誌の原稿で僅か数行の文章でデータ付合わせや調査の時間、無駄な努力とは思いますが仕方ありません。いっそ譲渡経歴や形式、系や形の使い分け、在籍時期などは省いてしまえば良いのかも知れません。


後楽園駅の訪問記

Previous 津軽鉄道
0
0
西大寺鉄道の後楽園駅の跡に、竹久夢二の郷土美術館本館が建てられているのを今日初めて知りました。夢二生家記念館は西大寺の西方 瀬戸内市にあるそうです。

竹久夢二の待宵草、太宰治の月見草は似たような花の名で二人も似たものどうし。津軽が故郷なのは太宰治で、竹久夢二の故郷は岡山だったのですね。

後楽園駅を訪問した時の訪問記を書き出してみました。

後楽園駅


岡山電軌
昭和37年7月29日
朝7時過ぎ岡山市内の宿を親切な女中さんに送ってもらい出発した。いよいよこれから西大寺鉄道訪問で後楽園の駅まで岡山電軌を見ながら歩くことにした。朝のメインストリートには岡電の単車が車体を前後に揺さぶって走っていた。


大きな堀を渡るとそこは後楽園だが左へ曲がりまた橋を渡ると、西大寺鉄道の駅が目前に現れた。待合室にいる乗客はお婆さんが二人だけ。駅に荷物を預け(15円)駅舎などを撮っているとボギー気動車キハ7がホームに入って来た。



発車までの車内ではバス運転手と同じ格好をした運転手が朝刊読みながら客席シートで一
していた。お客が4~5人乗るといよいよ発車で私は運ちゃんの横の特等席に座った。

エンジンがブルルンと掛かるとチェンジギアのレバーを入れ替えて気動車は動きはじめた。
やはりナローの乗り心地は格別でカタンカタンと気持ち良い音を響かせて民家の軒下をかすめ走った。運ちゃんの格好をよく見ると気楽な恰好で足はサンダル履き。

しばらくすると田んぼの中の一直線で草ぼうぼうの線路を気動車はえらいスピード上げてきた。左手に山陽本線が見えてくると財田(東岡山)駅に到着した。

雪の永平寺駅

0
0
本日発売の鉄道模型趣味(TMS) 新月号の"地方私鉄 失われた情景"第19回は「雪の永平寺駅」京福電気鉄道永平寺線線です。

1968年、永平寺線では旧永平寺鉄道から引き継いだデハ104~107が活躍していて、三国港(東尋坊)~芦原温泉と永平寺詣の観光客を運んでいた。この日、日本海は大荒れであった。


TMS新年号.

永平寺駅の105.  1968.1.14

永平寺駅.


永平寺唐門.

両国駅

Next 新年
0
0

田辺さんが撮った昭和38年から両国駅をアップしてみます。
この頃は地方に行かなくても上野、両国辺りでふんだんに蒸機が撮れた時代でした。


撮影:田辺多知夫氏 1963.6.8

DD13、クハ55、C58


蒸機天国の両国駅 C58、C57、8620






両国機関区

86の貨物列車


準急「内房」

新年

Previous 両国駅
0
0

 明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

沼尻鉄道 1964年正月



早春の津軽五所川原駅

Previous 新年
0
0

 本日発売の鉄道模型趣味(TMS) 2月号の"失われた情景"第20回は津軽鉄道です。

現存している路線でしかも多くファンが撮影している人気の津軽鉄道。
何が失われたのかをどう表現するか、えらい時間を掛けた原稿でした。

乗客の賑わいと様々な車両が在籍しよくこんなに居たと思われる車両の数。
それと当時健在であった貨物輸送など、ある時代の津軽五所川原駅風景があった。





今月号は何故かモノクロ印刷が素晴らしく岩木山が列車の背後にうっすらと出ています。


井笠の7号機(コッペル)

0
0

井笠鉄道で1961(昭和36)年10月に廃車となり解体処分される予定が、奇跡的に助かり各地を転々と移動しながら近年では長野県の「野辺山SLランド」に引取られ静態保存されてきました。2018(平成30)年8月31日で同園が閉園となり、2019年に古河足尾歴史館にて保存されました。
(古河足尾歴史館HPより)

井笠で最も力のある蒸機で神辺線の天井川の勾配で客車を牽いて大活躍したそうだ。
井笠の中で最も美しいと言われている7号機。
廃線後、各地を転々として足尾の安息の地にたどり着いたのが何よりである。


7号機を初めて見たのはくじ場車庫であった。  1962.7.30


2回目の訪問ではくじ場の格納庫に保存されていた。1967.3.8

4両が格納されていた蒸機。


そして古河足尾歴史館のトロッコ館野外に展示された7号機。  2020.11.21
到着したままの姿で未整備の状態。

井笠の9号機(コッケリル製)

0
0

くじ場にいた井笠の9号機(ベルギーのコッケリル製Bタンク)

臼井茂信さんの「機関車の系譜図2」にこの機関車の詳細な経緯など調査報告が掲載されています。1967年にくじ場の格納庫にいた9号機は1968年には笠岡に保存され、その後転々とし現在は井原に保存されているようです。

この写真は兄が撮影したもので撮影日、場所は不明です。

 井笠9号機(コッケリル製) 伏見桃山城  撮影日不明

くじ場の蒸機は2011年5月にこちらでも紹介しています→くじ場のSL2


井笠9号機 くじ場の格納庫 1967年

みりんと流山電気鉄道

0
0

田辺さんが撮った昭和39(1964)年の流山線風景で、この時代の沿線には春の季節感あふれる田園風景があった。改称激しい今の流鉄はこの時「流山電気鉄道」であった(1967年流山電鉄に改称)

流山の「万上みりん」輸送がトラック輸送に切替えられる直前で「万上みりん」を鉄道輸送していた時代だったようだ(万上みりん工場の引込線は1966年撤去された)。
みりん以外の貨物輸送は1976年まで続いた。


撮影:1964.4.23 田辺多知夫氏

春の田園風景を行く混合列車モハ100形+ワ11。1964.4.23
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの直後に廃車となった。 



この時代に主力だったモハ100形(旧南武鉄道)4両は1979年に全廃となった。

自然豊かな流山駅。
駅の背後に迫る台地に無数の樹木があったがその後樹木の全てが消えた。

流山駅の一端に貨物駅とみりん工場の引込線み線があった。小型木造貨車ワフ31が消えた翌1966年に引込み線が撤去された。この写真を撮った時のみりん工場は野田醤油醸造㈱であった。

万上みりん工場の経緯
1917年 万上味醂㈱を設立
1925年 野田醤油醸造㈱が万上味醂㈱と日本醤油株式㈱を合併
1964年10月 キッコーマン醤油㈱に改称
2006年 みりん部門を流山キッコーマン㈱に分社。
現在 流山キッコーマン㈱で万上みりんを製造している。

奥山線の気賀口

0
0

20日発売の鉄道模型趣味(TMS) 3月号の"失われた情景"第21回は遠鉄奥山線です。



駅を出ると井伊谷川の手前で急カーブする線路、川の向こうの小高い丘、のどかな駅と民家、そんな温暖な奥浜名湖にあった気賀口風景をTMSに纏めてみました。
ここにある写真はTMSに掲載しなかったものです。 1964.3.23

眠たくなるような長閑な気賀口の駅。


構内図下絵

最後の頸城鉄道

0
0

 廃線が近い飯室駅。
素晴らしい情景の駅であった。

部分廃止後、残された百間町~飯室間を2年と7ヵ月往復していた。
DBやDCが牽く列車は消え、ホジが単行で往復するメルヘンチックな世界があった。

撮影:1970.11.2

飯室駅




並走する舗装道路は直江津行バスが走っていた。




鵜ノ木駅の時刻表


西大寺鉄道 広谷駅

0
0

 




1962年7月29日 この日の訪問記を調べてみると、西大寺鉄道と並走する全通間近い赤穂線の新しい軌道のことが書いてあった。これまで気付かなかったが赤穂線は広谷あたりで最も接近している。そこで写真を改めてみると洗濯物の向こうに新しい軌道が見える。

1962年9月1日赤穂線全通の数日後、9月6日に西大寺鉄道は廃止となった。


左手遠方に広谷を発車した気動車キハ6が見え、右手に西大寺の草ボウボウ線路の向こうに並走する赤穂線の新軌道がはっきりと分かる。この時の記録によれば新軌道でD51の重連が何か作業をやっていることが書かれていた。新軌道の試運転かバラスト硬めなどをやっていたのだろう。
58年前の遠い昔のことをネットで調べると、ほぼ同一日にここでD51を撮っていた鉄道ファンがいたのには驚いた。


左手部分拡大で広谷を発車したキハ6が見える。


広田を発車し西大寺市へ向かうキハ6。

御坊臨港鉄道

0
0

以前紹介済みの御坊臨港鉄道ですが、曇天のせいか現像のせいか薄くて最悪のネガでした。

そこで再々度設定を変えてスキャンしてみました。

撮影:1964.7.9 
終点日高川の殺伐とした風景。


つげ義春の世界のような西御坊。


日高地方の家並みを行く気動車。


紀伊本線からカーブして日高川へむかう。


今回の投稿


前回投稿の画像 紀伊本線の御坊駅


頸城鉄道のホジ3

0
0

ホジ3の客扱い扉のご質問がありましたので。掲載します。 


浦川原で発車待ちのホジ3。1968年夏 


乗車ホームの反対側にも客扱い扉があります。1962年夏


ホジ3の車内で、客扱い扉の取手が両側に見えます。


扉の脇にあった車掌用の小箱。

消えた上町(かんまち)線

0
0

 3月20日発売の鉄道模型趣味(TMS) 4月号の"失われた情景"第22回は鹿児島市電です。
かっては市役所前から清水町まで2.2kmの上町線(1985年廃止)が走っていた。

撮影:1967.03.01



改築中だった市電の鹿児島駅前は今月に立派な駅が完成する。


桜時の煙を望む大学病院前。
左手前が当時の鹿児島大学医学部附属病院で右手に鶴丸城址の堀が見える。


大学病院前を過ぎ薩摩義士碑の前を曲がると専用軌道となり、勾配を登り鹿児島本線をオーバークロスする。


左手に西郷隆盛終焉の地がある「岩崎谷」電停。すぐ下を鹿児島本線が走る。


鹿児島本線を超えると鹿児島の城下町上町地区へ向かう。

駿遠線の謎の客車ハ30

0
0
wikipediaに記載→ネット拡散 がある駿遠線ハ30元仙北鉄道は、ハ30が静岡鉄道㈱鉄道課作成の客車諸元表等に記載すらない謎の客車であり、仙北鉄道から譲渡された客車2両との関係は今も推測のままだそうです。 駿遠線研究家 中村修氏より

ところで、1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真↓で、左下に転がった残骸に謎の客車ハ30によく似たホハ30の表示が読める。
もしやこの残骸と謎の客車ハ30と関係があるのではないか??

1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真。
左隅に転がった残骸に表示されていたのが形式ホハ30と自重5.6t
これは一体何の残骸なのか????

写真左下に写った残骸を上下反転拡大したもの。


そんな残骸の謎も先日、髙井薫平さんのこの1枚の写真で一気に解決。
この残骸は草軽ホハ30のものであり、謎の客車ハ30とは関係なしが判明しました。
髙井薫平著「軽便追想」にあった1枚の写真(掲載了解済)
1962(昭37)年12月の袋井工場
草軽からホハ30形3両を譲り受けて自社工場で改造中の最後の1両。

私がこの翌年4月にこの袋井工場現場で撮った写真に写っていたのがあの残骸。
まさかこんな場所で元草軽の客車を改造していたとは思いもしなかった。
紛らわしい残骸が転がっていたものです。
ということで客車ハ30は今も謎のままということに。

中村修氏より