Quantcast
Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
Mark channel Not-Safe-For-Work? cancel confirm NSFW Votes: (0 votes)
Are you the publisher? Claim or contact us about this channel.
0
Previous Article Next Article

14年昔の写真展

0
0
2006年は退職した翌年で、仙台でこんなことがありました。
14年前のこの時は自分の趣味生活がスタートした年。
表参道で軽便鉄道写真展を開催し、その後仙台でも開催しました。
まだブログもFBもやっていなかった頃。

2006年7月



金融機関の2階が画廊であった。

井笠鉄道 井原駅

0
0
1962(昭和37)年の井笠鉄道で貨物輸送はトラック輸送に奪われ年々減少の一途をたどっていて、この頃は小口貨物が主体であったようだ。井原駅には立派な貨物上屋がありリヤカーに積んで運んでいる風景が写真に写っている。貨車を連結した混合列車も走っていた。

こんな立派な井原駅も1967年4月に矢掛線、神辺線が廃線後は急激に変貌し、ボーリング場がある駅に建替え、その後すぐに鉄道が廃線となりバスターミナルになっている。その後、井笠バスも消滅してしまい中国バスが井笠バスカンパーを設立した。改めて井笠鉄道末期の悲劇を思い知らされました。


撮影:1962.7.30
井原駅1番線ホームと貨物上屋。 

貨物上屋の拡大写真。

軽便としては立派な貨物上屋。

車庫が2棟あった。

笠岡行きと神辺行きが発着するホーム。

小さなターンテーブル上に休んでいた美しいホハ8。

神辺支線の元高屋鉄道の2軸気動車ジ15。


こんな客貨混合列車もめっきり少なくなっていた。くじ場

O番ナロー(1/45)の井原駅。製作:ナロー屋さん 2009年2月

霞ヶ浦湖畔 桃浦

0
0
鉄道模型趣味(TMS) 8月号は連載第14回目、関東鉄道鉾田線の「霞ヶ浦湖畔 桃浦」です。

関東鉄道鉾田線(元鹿島参宮鉄道)は2007年3月に廃線となった「鹿島鉄道」のずっと昔、当時も常磐線石岡から霞ヶ浦の奥にある鉾田を結んでいた。1966(S41)年夏の終わりに鉾田線の霞ヶ浦湖畔「桃浦」を訪ねてみた。


先月に「鉾田線 桃浦駅のこと」をアップしましたが、この桃浦駅近くの湖畔を取り上げたものです。TMSの記事では帆曳船の小さな写真を掲載しました。

夕暮れの湖畔を行く旧東横キハと、霞ヶ浦に現れた帆曳船の漁。


1962年夏 くじ場車庫

0
0
1962年夏に撮影した井笠鉄道のネガもいよいよビネガーシンドロームで最後を迎え、改めてスキャニングをやり直してみました。くじ場車庫では様々な車両が賑やかに保管されていた時代であった。

真夏のくじ場駅

1962年夏のくじ場には様々な単端や単端崩れがいて、その中に下津井電鉄カハ2が井笠に来て客車化されたハ18がいた。

1号機の背後では客車の木工作業が行われている。

有名なコッペル1号機


くじ場の保存、現役車両

ハ18と同形のハ17

検査上がりかとても綺麗だったホジ9(現役)

コッペル7号機

立山重工製のCタンク10号機

奥山線 気賀口~奥山間区間廃線の直前

0
0
これもストロー状となった末期状態のネガを最後のスキャンをしたものです。
再スキャンするたびに画素数を高めて行くので果てしない作業となり、どこかで欲を捨て妥協せざるをえません。

1963年4月30日で区間廃線(気賀口~奥山間)の最後の頃です。

撮影:1963.4.4
 曳馬野から牽いてきた客車を切り離し奥山へ向かうキハ1804。気賀口

 日中1往復のみの列車は左にカーブすると奥山到着。

桜満開の奥山駅で発車までの静寂 。

奥山から戻って来たキハ1804はキハ1802と連結に曳馬野へ。気賀口
線路はこの先を右へカーブし奥山までつながっている。

淡路への道

0
0
昭和40(1965)年、夏休みの淡路行は旅の相棒さんと淡路まで一緒でその後のコースは別行動にする折衷案でやっと決定した。淡路へまでは東海道線ではなくわざわざ信越本線に乗って北陸本線富山から夜行で大阪へ向かうコースであった。とりわけ信越本線長野以遠の蒸機列車を楽しむ目的が大きかった。

初日8月1日は上野発6:24の長岡行鈍行列車に乗って信越本線の旅がスタートした。高崎からは登山やキャンプや避暑に行く若者たちで超満員、デッキに立つのが精一杯であった。

良き時代の上田丸子電鉄。


長野駅のC56。左が乗って来た長岡行鈍行だろう。


長野では殆どの客が入れ替わった。ここからは待望の蒸機牽引で列車編成が短いのでD51単機であったが途中でD51重連となり後部にC57補機をつけた。

車窓の風景

長野から蒸機鈍行列車の車窓を楽しむ。関山の手前

柏原に14:20分頃到着、そこへやってきた上り上野行急行「白山」。D51重連の急行列車が素晴らしい。

直江津で北陸本線の大阪行鈍行に乗換え、糸魚川の東洋活性白土2フィーター車窓にを見て親不知を過ぎる頃から日本海の夕日を眺める。富山では夜行で大阪方面へ向かう登山客がどっと乗り込んできて客が入れ替わった。

淡路交通 掃守(かもり)駅

0
0
淡路交通の写真で駅が分からないのが多いが、この3枚の写真は一体どこの駅なのか。
パンタ車の向き、線路配置、建屋、交換可能駅などいろいろメモに書き出してみると3枚の写真はどれも賀集ではなく掃守(かもり)であることが判明した。
終点の福良から元南海たまご型に乗って長田に向かう途中に撮ったものであった。

撮影:1965.8.2
洲本からやってきた福良行き電車モハ1002。

福良からやってきた洲本行電車モハ1003(元南海5枚窓タマゴ形)

元南海たまご形の前方モハ2005 2009。
同じ駅でも撮影位置により随分イメージが異なる掃守(かもり)駅であった。

淡路交通 長田駅

0
0
福良から目ぼしをつけた長田駅で下車したのは長田~広田間を撮り歩く目的であった。この2枚の写真が長田駅であるのは駅名表示板からすぐ確定できた。長田駅は石碑や花壇のある変わった駅の印象があった。

撮影:1965.8.2
花壇があり明るい感じがする長田駅にやってきた洲本行モハ1010+モハ1011は淡路交通を代表するような電車。

石碑がある変わった長田駅。広田←長田→掃守であるのが分かる。

長田駅の駅舎と福良行きの元阪神モハ610+モハ609。元阪神はクリームと淡青のピッカピカの眩しいツートンカラーであった。
夏休みで鳴門海峡へ向かう観光らしき客が多かった。


ところで次の写真2枚は長いこと駅名が不明(推定)であったがやっと長田駅であるのが確定した。上の写真とはイメージが異なるが長田駅であった。

長田駅に到着した洲本行の元南海モハ1003+モハ2009(クハ)。 

元南海モハ1003+モハ2009(クハ) が長田を発車し、この先の最急勾配25‰を登り峠を越える。

広島電鉄 被爆車両651~653

0
0
あの日、原爆を生き延びた被爆車両が、8月6日と、復旧を遂げた8月9日の2回、広島の街を午後1時から特別運行する。(ニュースより)
広島では現在3両の被爆車両「650形」が動く形で保存されているそうで、50年前に撮った651~653を探してみました。


撮影:1967.3.7
直進すると相生橋を渡る.十日市町の653

軌道線と鉄道線の接点 己斐(西広島)駅の651 

広島駅前の652

淡路交通 長田から広田へ

0
0
長田で下車して長田~広田間を撮ったコマを時系列に並べてみました。
風景は道路のホコリで真っ白、とても俯瞰写真を撮るどころではなかった。
やって来る電車が様々で大変に変化に富んでいた。

現在の地図の地形に置いてみた淡路交通の軌道と駅。
軌道跡が今も電車道として残っている。

長田の先の急勾配を行くモハ1002。淡路らしい玉ネギ小屋が各所にありこの小屋は今も残っている。

ホコリだらけの茂み。モハ1010+モハ1011

脇を行く道路のホコリで緑は真っ白に。モハ1002

視界が開けると広田へ下る。モハ2009+モハ1003

大宮寺と思われる。

緑多い茂みを広田へ下る。モハ609+モハ610

広田駅に到着した洲本行。モハ1010+モハ1011

広田駅の福良行。モハ2009+モハ1003

全く駅の雰囲気異なるが広田駅を出た福良行でしょう。

浅野川線の七ッ屋

0
0
昭和39年、金沢駅前で浅野川線に乗って一つ目の七ッ屋は、小さな検車庫と奇妙な駅舎があって興味深い一角であった。検車庫が内灘に移転した後の七ッ屋はホームと待合室だけの殺風景な駅になってしまった。

前回の七ッ屋車庫の紹介
前回の七ッ屋駅の紹介

撮影:1964.12.31
 とても味わい深い七ッ屋の駅舎。 1964.12.30

内灘へ移転前の七ッ屋の検車庫。
正面に丸い浅野川電鉄時代の社紋が見える。モハ3561は加南線の1810形(旧温泉電軌)を改造したスタイルだが、元は加南線モハ1813ではない。
前日の加南線モハ1813

七ッ屋の検車庫全景
駅と車庫のある線路配置を書いてみたくなる模型的な一角である。

車庫の奥にいた廃車になった2軸電車。

1枚の写真から 1963年横浜

0
0
撮影:田辺多知夫氏
横浜市電 保土ヶ谷橋 1963.12.18
国道1号線を行く市電と丸いバス。この1枚の写真(1963年横浜)からスタジオジブリの映画「コクリコ坂から 1963年5月、横浜」 のことが思い出されます。



↓ 企画・脚本 宮崎駿さんのメッセージ一部。「コクリコ坂から」公式サイトより 2011年夏
------------------------------------------------------------------------------------------------
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
------------------------------------------------------------------------------------------------

以下は田辺さんが撮った1963年横浜から。
横須賀線/東海道線  保土ヶ谷-戸塚 1963.12.18
高台に団地ができ始めた頃か起伏ある沿線に住宅はまだ少ない。
横須賀線で悲惨な鶴見事故があった1ヵ月後。

横浜市電の横浜駅前 1963.7.30

市電が走る市内風景1963.11.1

横浜高島町の高島駅(貨物)の一角にあった横浜機関区 1963.7.30
ここでC56とハチロクが自由に撮れた。田辺さんも私も同じでその殆どが機関車のドアップで周辺を写し込んだ写真は少ない。この年ここで私は初めてC56の実物を見た。

貴志川線 雑型車の時代

0
0
鉄道模型趣味(TMS) 9月号の地方私鉄失われた情景第15回は「貴志川線 雑型車の時代」です。今回は絵になる雑型車の車両紹介となりました。

ねこの駅長とたま電車で有名な今の和歌山電鐵 貴志川線はその昔こんな楽しい雑型車の時代があった。淡路と海を挟んで和歌山の貴志川線は淡路交通に負けずにガソリンカー改造の電車ばかり。

朝の通勤・通学時間にはこんな珍編成が次々と東和歌山駅にやって来た。元片上鉄道や元和歌山鉄道のガソリンカーを改造して見事に電車に化けている。
前からモハ201+クハ803+モハ202  東和歌山 1965.8.4

戻って来たモハ202と奥には改装中らしき2両が見える伊太祁曽の小さな車両工場。

日中はモハ202を切り離してクハ803(元片上鉄道)+モハ201(元和歌山鉄道)がのんびり走る。


1963~1964年の横浜

0
0

 1964年東京オリンピック開催式の10月10日は横浜へ記念乗車券を買求めに行った。 その前年が先日テレビ放映された「コクリコ坂から」の舞台となった1963年5月の横浜だった。

テレビ画面 1963年の横浜

1枚の写真から 1965年渋谷

0
0

 これも田辺さんが1965年に撮った1枚の写真。

東横百貨店西館屋上からみた営団地下鉄銀座線の検車区.1965年12月 撮影:田辺多知夫氏
東急玉川線と井の頭線の線路が並走している。今はこの検車区と玉川線の跡がすっぽり渋谷マーシテイのビルの中に納まっている。地下鉄検車区は何本か整理されたようだ。

上の田辺さんの1枚は現東急東横店西館の屋上から撮影された。2020.8.15

吉永陽一さんの写真展「空鉄うつろい」渋谷駅10年間の上空観察より。2020年7月
渋谷マークシティ(エクセルホテル東急)のビルから現東京メトロ銀座線の電車が顔を出している。
吉永陽一さんの写真展「空鉄うつろい」


2013年2月作成

渋谷駅へ下る専用軌道. 1969.04.22
この写真の2年前に商号変更で東横百貨店は東急百貨店東横店となり、玉電の渋谷駅の終端は東横店西館の中に入っていた。写真に見える東横店南館はまだ建設中で翌1970年に完成している。そんな東急東横店が電車の背後に見える.



寺下雅一さん写真展

0
0

「ミンガラーバ! ミャンマー・レイルサイドストーリー」
本日からスタートで早速観てきました。

オリンパスギャラリー東京(新宿) 8/28~9/9  木曜休館

オリンパスギャラリー大阪          9/18~9/30 木曜休館

オリンパスギャラリー





淡路交通 ガソリンカーを改造した電車

0
0

 淡路交通のカルダンドライブ車はこれまでに何回かアップしてきました。
淡路に4両いたカルダンドライブ車について画像更新し改めて整理してみます。

自社ガソリンカーのキハニを改造してエンジンに代えモータを床下に吊り下げ、ガソリンカーのプロペラシャフトを使った直角カルダン駆動だったモハ2006~2009 4両は、まるで模型の駆動方式みたいな電車であった。その後 改造遍歴があり、1両ごとに外観や駆動方式が変化に富んだ興味深い電車であった。

モハ2006 直角カルダン エンジンをモータに交換し元々あったプロペラシャフトで駆動。
モハ2007 直角カルダン 上と同様
モハ2008 垂直カルダン 直角カルダンだったがある時期に試作垂直カルダンを組込んだ。
モハ2009 直角カルダン 写真の1965年時点では電動機は外してあったようだ。

過去の記事:淡路交通 垂直カルダンドライブ車

撮影:1965年夏
モハ2006。プロペラシャフトドライブをやめて、普通の釣り掛け式駆動のブリル台車に履き替えた。側面はキハニ当時の3扉のままで角ばったスタイルは、他の3両とは全くイメージが異なる。

モハ2007。 2台の強力モータを床下にぶら下げて気動車用菱枠型台車に
プロペラシャフトで駆動する直角カルダン車。この日は準急で活躍していた。
早朝の準急モハ2007  洲本


右のモータから車輪を駆動するプロペラシャフトが見える


床下のモーターとプロペラシャフト。

モハ2008。  丸みを帯びた正面と側面2扉は2007と同様な外観。
この1台のみ
は試作垂直カルダン駆動方式を組込んだ台車を履いている。


直角でも平行でもない、垂直カルダン駆動とは興味深い構造だ。


モハ2009。 側面の扉を1つ埋めて2扉車に。他の3両に較べ全長が短く外観も異なる。
この時代にはプロペラシャフト駆動は使われていなかったようだ。

モハ2008に組込まれた神鋼電機(鳥羽工場)製の垂直カルダン駆動装置。

図は三重交通志摩線 5401号のもの
この解説図は同志社大学鉄研OB会「デジタル青信号」に掲載されたもので、投稿者の沖中様に借用許可をいただきました。原本は図の様式から神鋼電機のサービスマニアルと思われます。

霞丘陵から金子丘陵にかけて

0
0

青梅(東京)~飯能(埼玉)にかけて丘陵地帯があるが、八高線金子駅から見えるのが金子丘陵で、その西方の青梅まで連なるのが霞丘陵と呼ばれている。

1960年代半ば、地方だけでなく東京近郊にもこんな長閑な風景があった。

撮影:1966.9.29
八高線金子駅で一日何本もやって来た石灰石列車。 

桑畑を行く八高線。 金子

金子丘陵を背後に貨物が金子駅に到着する。

東京近郊でこんな長閑な風景を見ることができた。霞丘陵

昔のプリントから

0
0

どなたか先輩から頂戴した撮影者不明の紙焼きプリントから。

撮影は昭和30年代の前半でしょう。 私が撮り始めた頃には加悦鉄道以外は消えていた。

私も大量にある紙焼きプリント(キャビネ判)をどうしようか悩むところです。


同和鉱業小坂鉄道小坂線.
雨宮製作所製の11号機.

加悦鉄道.

宮崎交通.日車製6号機.

井笠鉄道 井原駅

0
0

 鉄道模型趣味(TMS) 10月号の"地方私鉄 失われた情景"第16回は「井笠鉄道 井原駅」です。
井笠鉄道末期の井原駅はホームの上に
ボーリング場がある駅ビルに改築されたが、1962年はかって栄えた大軽便の面影をまだ残す堂々とした駅であった。

9月20日発売

井原にいた車両など→井笠鉄道 井原駅

井原駅構内配線図の下絵

井原駅の笠岡行ホームと貨物上屋。

多摩湖線 萩山の先

0
0

久しぶりに多摩湖線で緑が多い区間 西武遊園地から萩山までを歩いてみました。

あれから10年、狭山公園の脇は木立や茂みは成長し立入禁止の看板まであり、以前のようには撮れなくなっていた。 また、武蔵大和~萩山間は線路に沿って多摩湖自転車道(&遊歩道)があり大変歩きやすいが、ふらっと来ての撮影は難しそう。

撮影:2020.10.1

西武山口線 西武球場前

多摩湖(村山貯水池)の湖畔。

狭山公園の森。

狭山公園の脇を行く。

10年昔の狭山公園脇。 2010.5.16

武蔵大和-八坂

武蔵大和-八坂


武蔵大和~萩山間は多摩湖自転車道(&遊歩道)が線路に沿っている。

多摩湖線の国分寺行9000系。 萩山

東武鉄道 熊谷(妻沼)線 リニューアル

0
0

変色した古い切符の日付を見ると昭和56(1981)年7月18日。
熊谷線を訪問したのは驚くことに40年も昔のことであった。
あの日のことが鮮明に記憶が残っていて、とてもそんな昔には思えない。
1980年の私は会社の仕事がピークを迎え翌年の夏はほっと一息ついたのだろうか、
クルマで一人ふらっと妻沼駅に立ち寄ってみたのだった。

1981.7.18

廃線が近い妻沼駅。列車が到着するまで駅前の喫茶店で一服していると夏休みの高校生達が店内にたむろしていた。クルマで鉄道沿線を撮ったのは上毛電鉄、熊谷線、筑波鉄道、山形交通三山線くらいだったか。

jha141さんからコメント戴いた妻沼線の思い出を紹介します。

全部懐かしい 幼児期から小学校に入る前まで熊谷市石原に住んで居ました 目の前が土手で上を妻沼線が走ってました(後に東部熊谷線と知る) 大きく成ったら妻沼に行きたいと思い時が過ぎ数年前廃線に成った事を知り真夏の暑い日に熊谷に行きバスで妻沼まで 電車に乗る事は出葉ませんでしたが記念館で記帳し写真を撮りその後国宝の聖天山も見学歩いて石原まで土手の雰囲気は残って居ました、陸橋の上で車掌に追いかけられた場所は解りませんでした。


妻沼駅

模型的に纏まった機関区。

妻沼駅手前の備前渠用水と思われる。

どこまでも一直線に熊谷へ向かう。

大聖寺川を渡り山代へ

0
0
鉄道模型趣味(TMS) 11月号の"地方私鉄 失われた情景"第17回は「大聖寺川を渡り山代へ」北陸鉄道加南線です。1964年、木立を背に田園風景の中を温泉通いの電車が走っていた情景はまるで模型のようであった。




1966年航空写真。

今では立派な温泉施設が並び神社の木立に昔の面影を残している。

大聖寺川を渡る。

土手を行く元温泉電軌モハ1800形

七ッ屋駅の構内配線図

0
0

8月12日の 浅野川線の七ッ屋で未完成であった七ッ屋駅 構内配線図。国鉄北陸本線との位置関係を航空写真に基き仕上げました。構内配線図は模型のための図でありノットスケールです。




七ッ屋駅


Previous Article Next Article

上毛電鉄 赤城山と青空

0
0

青空の出ぐあいを見て平日の朝北関東へ飛び出した。

上毛電鉄を撮るなら赤城山を背景にして撮る、これを長いこと考えていた。

一回の訪問で満足ゆくものは撮れないのは当然で、ロケハンのつもりで今回撮ってきました。

気持ち良い青空と雲は午前まで、午後は大きな雲で陽が陰り情けない状況に。
次回は朝早く行って午前中に的を絞るのがよさそう。

桐生周辺の混み入った鉄道路線がサッパリ分からず東武と各線の接続がこれでやっと理解できた。

 

新屋-粕川  撮影:2020:10:26

赤城山を背景にのどかに走る。 
女渕城本丸跡の迷路のような先にあったひと気のない公園。

赤城山麓の秋の青空。 

午後の赤城山麓を行く。

新屋駅から歩いて粕川駅に着く頃には青空も勢いがなくなる。

交換駅の粕川

東武特急「りょうもう」浅草から2時間ほどで赤城駅に到着。
ここで上毛電鉄に接続だが乗換えた客は私一人くらい。

東武特急「りょうもう」の終着駅赤城。

上毛電鉄の車内

遠い昔42年前の上毛電鉄デハニ52。1978年1月