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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想

奥山線の気賀口

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20日発売の鉄道模型趣味(TMS) 3月号の"失われた情景"第21回は遠鉄奥山線です。



駅を出ると井伊谷川の手前で急カーブする線路、川の向こうの小高い丘、のどかな駅と民家、そんな温暖な奥浜名湖にあった気賀口風景をTMSに纏めてみました。
ここにある写真はTMSに掲載しなかったものです。 1964.3.23

眠たくなるような長閑な気賀口の駅。


構内図下絵


最後の頸城鉄道

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 廃線が近い飯室駅。
素晴らしい情景の駅であった。

部分廃止後、残された百間町~飯室間を2年と7ヵ月往復していた。
DBやDCが牽く列車は消え、ホジが単行で往復するメルヘンチックな世界があった。

撮影:1970.11.2

飯室駅




並走する舗装道路は直江津行バスが走っていた。




鵜ノ木駅の時刻表


西大寺鉄道 広谷駅

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1962年7月29日 この日の訪問記を調べてみると、西大寺鉄道と並走する全通間近い赤穂線の新しい軌道のことが書いてあった。これまで気付かなかったが赤穂線は広谷あたりで最も接近している。そこで写真を改めてみると洗濯物の向こうに新しい軌道が見える。

1962年9月1日赤穂線全通の数日後、9月6日に西大寺鉄道は廃止となった。


左手遠方に広谷を発車した気動車キハ6が見え、右手に西大寺の草ボウボウ線路の向こうに並走する赤穂線の新軌道がはっきりと分かる。この時の記録によれば新軌道でD51の重連が何か作業をやっていることが書かれていた。新軌道の試運転かバラスト硬めなどをやっていたのだろう。
58年前の遠い昔のことをネットで調べると、ほぼ同一日にここでD51を撮っていた鉄道ファンがいたのには驚いた。


左手部分拡大で広谷を発車したキハ6が見える。


広田を発車し西大寺市へ向かうキハ6。

御坊臨港鉄道

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以前紹介済みの御坊臨港鉄道ですが、曇天のせいか現像のせいか薄くて最悪のネガでした。

そこで再々度設定を変えてスキャンしてみました。

撮影:1964.7.9 
終点日高川の殺伐とした風景。


つげ義春の世界のような西御坊。


日高地方の家並みを行く気動車。


紀伊本線からカーブして日高川へむかう。


今回の投稿


前回投稿の画像 紀伊本線の御坊駅

頸城鉄道のホジ3

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ホジ3の客扱い扉のご質問がありましたので。掲載します。 


浦川原で発車待ちのホジ3。1968年夏 


乗車ホームの反対側にも客扱い扉があります。1962年夏


ホジ3の車内で、客扱い扉の取手が両側に見えます。


扉の脇にあった車掌用の小箱。

消えた上町(かんまち)線

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 3月20日発売の鉄道模型趣味(TMS) 4月号の"失われた情景"第22回は鹿児島市電です。
かっては市役所前から清水町まで2.2kmの上町線(1985年廃止)が走っていた。

撮影:1967.03.01



改築中だった市電の鹿児島駅前は今月に立派な駅が完成する。


桜時の煙を望む大学病院前。
左手前が当時の鹿児島大学医学部附属病院で右手に鶴丸城址の堀が見える。


大学病院前を過ぎ薩摩義士碑の前を曲がると専用軌道となり、勾配を登り鹿児島本線をオーバークロスする。


左手に西郷隆盛終焉の地がある「岩崎谷」電停。すぐ下を鹿児島本線が走る。


鹿児島本線を超えると鹿児島の城下町上町地区へ向かう。

駿遠線の謎の客車ハ30

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wikipediaに記載→ネット拡散 がある駿遠線ハ30元仙北鉄道は、ハ30が静岡鉄道㈱鉄道課作成の客車諸元表等に記載すらない謎の客車であり、仙北鉄道から譲渡された客車2両との関係は今も推測のままだそうです。 駿遠線研究家 中村修氏より

ところで、1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真↓で、左下に転がった残骸に謎の客車ハ30によく似たホハ30の表示が読める。
もしやこの残骸と謎の客車ハ30と関係があるのではないか??

1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真。
左隅に転がった残骸に表示されていたのが形式ホハ30と自重5.6t
これは一体何の残骸なのか????

写真左下に写った残骸を上下反転拡大したもの。


そんな残骸の謎も先日、髙井薫平さんのこの1枚の写真で一気に解決。
この残骸は草軽ホハ30のものであり、謎の客車ハ30とは関係なしが判明しました。
髙井薫平著「軽便追想」にあった1枚の写真(掲載了解済)
1962(昭37)年12月の袋井工場
草軽からホハ30形3両を譲り受けて自社工場で改造中の最後の1両。

私がこの翌年4月にこの袋井工場現場で撮った写真に写っていたのがあの残骸。
まさかこんな場所で元草軽の客車を改造していたとは思いもしなかった。
紛らわしい残骸が転がっていたものです。
ということで客車ハ30は今も謎のままということに。

中村修氏より

のどかな時代の流山駅

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4月20日発売のTMS 5月号
失われた情景 第23回は「のどかな時代の流山駅」流山電気鉄道です。

1962年頃の流山駅には貨物駅があり味醂工場へ貨物引込線が延びていた。流山駅から味醂の貨物輸送が行われていたのどかな時代があった。当時の流山駅の魅力は貨物駅の引込線、目前に迫る自然豊かな台地などにあった。
   


マンジョウ本みりんと小さな木造貨車ワフ31。1962年


今日の西武新宿線

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 珍しく新宿線を撮ってみました。

4月29日に終了するレッドアロー・クラシック。
この後は5月にイベントで数回運転されるようです。


田無-西武柳沢

西武柳沢-東伏見

ドラエもん電車 西武柳沢-東伏見

西武新宿線 4月の朝

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 西武新宿線「4月の朝」

2021.4.26  ズーム280mm/35mm判換算

レッドアロー クラシックのラストラン

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明日が最後のラストラン、今朝も懲りずに撮ってしまいました。
先日は上から望遠で捉えた電車を、今度は石神井川沿いから広角24mmで捉えたものです。 



夕方の上り 武蔵関  2021.4.23



曇天の今朝の下り    2021.4.28

カメラテスト ある日の川越と小江戸号

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先日の撮影はSony Gレンズ 24mm F2.8 Eマウント広角を装着してカメラの設定テストでした。テスト結果は「Jpeg撮りだし」は殆どが不満で、なんとかアップできたのがこの若干補正の1点と補正なしの3点。
補正するならRaw現像でやるべきだが、最適なカメラの設定を見つけて「Jpeg撮りだし」で撮って行きたい。








豊橋鉄道渥美線の貨車にあった田口線の文字

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テレビでもよく紹介される豊橋鉄道田口線の廃線跡。

廃線跡で人気の高い豊橋鉄道田口線、田口線の廃線は1968年9月ということで豊橋鉄道渥美線を訪問した1963年はまだ十分に撮影できた時代であった。渥美線で見た無蓋車の田口線の文字を見ても関心向かなかったが今思えば惜しいことをしてしまった。渥美線よりも山岳路線が素晴らしい田口線の方を撮っておくべきであった。

以下は1963.4.4撮影の渥美線です。


渥美線の無蓋車に記されていた「田口線専用車 本長篠駅経由」
この時代、田口線は車両情報しかなく田口線のすばらしさを知らなかった。

渥美電鉄創業当時の電動客車を貨車に改造した デワ31


渥美電鉄より引き継がれたデキ151  木南車両製の南海タイプ


朝の高師駅風景。


新豊橋駅 薄暗い夜明けの一番電車。

駿遠線のキハD4

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 バケット付の小さな気動車を見たのが1963年春、その後見掛けず早いうちに消えてしまったと思っていた。ところが例の謎のハ29、30で二代目ハ29に変身していたのであった。
客車として使われていた時代の写真を探したらありました。





袋井で休んでキハD4   1963.4.4



1966.9.23 この編成で2両目に異様な客車が見える。


部分拡大してみると二両目客車の腰高が先頭の気動車と同じくらい、 
これが元はキハD4だった二代目ハ29ですね。

 

最後の夏 西大寺鉄道

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 4月20日発売のTMS 6月号、
失われた情景 第24回は「最後の夏」西大寺鉄道です。
1962(昭和37)年の夏、まもなく廃線を迎える西大寺鉄道は
くたびれた線路を元気に走っていました。





ユニークな車両が沢山いたのですがTMSの記事は車両紹介ではないので、いつもこんな再スキャン写真が使われずに残ります。


西大寺市


大量の客車などが押し込まれていた西大寺市の車庫。


西大寺市駅

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西大寺鉄道のネガのスキャンをやり直しました。
これまでの写真の再掲になりますが、西大寺市駅と車庫を再度アップしてみます。


撮影:1962.07.29
終点西大寺市駅にあった車庫は一体何両格納されていたのかオープンデッキのボギー客車がビッシリ詰まっていた。単端はほとんどが車庫に詰まっていて写真は思うように撮れない。表に出ていたのは客車ハボ14と駅の側線にいた客車4両とボギー貨車くらいであった。右手に整備工場がある。


顔を出していた巨大単端キハ10(左)と単端キハ5。

庫内は「西大寺裸まつり」の輸送に使われる大量のボギー客車が押し込められていた。奥のほうに前面流線型単端キハ1と2や、埃かぶった使われていない大型客車など。写真の平屋根客車は元菊池鉄道。



工場の脇に側線が1本、そこにあった給油塔設備と単端のターンテーブル。
線路の奥には活気あるバス整備工場があり鉄道と整備が兼用だったようだ。


駅の側線で休んでいた美しいボギー客車。


西大寺市駅の全景。左手に大変立派な駅舎があった。


まるで東南アジア風の貨物駅。


客車と同一サイズのアーチバーを履いていた貨車。

沼尻のセタ

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まさかこんな時代がやってくるとは思いもしなかった。

1964年に沼尻鉄道で見たような車両が安価な1/80 9mmナローとして続々販売されている。
この沼尻風貨車の元になった沼尻鉄道セタは採寸した車輪径から当時はO番1/45ナロー以外は考えられなかった。

トミーテック猫屋線はスケールモデルではなく沼尻風の車両であり足回りはNゲージのパーツを流用している。この沼尻風貨車も車輪径、カプラーなどに目をつぶれば雰囲気と走行を楽しめる。そこで猫屋線の「短小無がい車 3両セット」を購入してみました。 


猫屋線セトに沼尻の硫黄現物を載せてみた。


沼尻鉄道のセタ。川桁 1964年1月


猫屋線でこんな編成に仕上げてみたい。

志摩線 半島を行く

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6月20日発売のTMS 7月号、失われた情景 第25回は「志摩線 半島をゆく」で近鉄に飲み込まれる直前の三重電気鉄道志摩線(1964年夏)です。

志摩半島と言えばリアス式海岸で名高い観光名所。志摩線はそんな名所とは縁がない半島内陸部の山間をクネクネ曲がるカーブだらけの路線で、鳥羽から終点賢島まで海岸沿いを走ることはほぼなかった。
観光バスが発達していて、こんな地の果てのような小私鉄を使う観光客は少なかったと思われるが、近鉄志摩線になって改軌して一気に近鉄観光路線となった。関西・中京地区から賢島まで直通特急が走っている今、昔の三重電鉄志摩線の面影は何もないだろう。
よく紹介されている廃線跡は三重電鉄ではなく近鉄志摩線のルート変更による旧線跡ではないだろうか。

TMS 7月号



志摩神明駅近辺の丘陵地帯とカーブの連続。

JR新宿駅への私鉄乗入れ

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 新宿高島屋の地下食品売場に新宿南口の通路を通ってよく買物に行くことがあるが、その下の5、6番線に出入りする列車には全く関心なくホームに降りてみることもなかった。

東武特急「スペーシア」は一度撮りたいと思っていたので昨日初めて5番線ホームに降りてみた。
10:18到着し10:31発車のスペーシアを初めて撮ってみた。日光行は早朝の1本だけであとの3本は鬼怒川温泉行き、早朝以外の日光行きの客は浅草or北千住で乗車して下さいということか。

撮影:2021.6.19
3番線ホームから見たJR新宿南口から新宿高島屋へつながる通路。


5番線に到着した東武特急「スペーシア」100系  4番線ホームから。
この「雅」(紫色)基調のスペーシアが最も好ましい。

5番線を発車する東武特急「スペーシア」鬼怒川温泉行き。
新宿発は鬼怒川温泉行が1日3往復、東武日光行が1日1往復。
デビューして早や30年、今も古さを感じない素晴らしいデザイン。


雨の中を2番線にやって来たのが相模鉄道12000系で折返し海老名行となる。
いつ撮っても写真写りがよい電車。

西武狭山線のN101系

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 西武鉄道列車位置アプリで狭山線に赤電が走っていたので西所沢へ駆けつけると引っ込んでしまい、アプリから消えた赤電。しばらくすると小手指から出てきた赤電はこの写真のあと待機線で休み、そのあと赤と黄色で狭山線を往復していたようだ。翌日の昼間は黄色と20000系で往復している。

昨日と違ってナイターがある今日夕方はどっと球場行直通が入線し様相は一変するのだろう。何も知らない私には狭山線のN101系運用がサッパリ分からなかった。


ナイターがない日の夕方、西所沢で揃った赤と黄色のN101系。2021.6.21

暮れ行く西所沢を発車するN101系


駿遠線のDB601

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初めてDB機関車を見たのは1963年4月に袋井工場で見たDB601であった。
見たこともなかったDB601は一体どちらが前方なのかよく分からなかった。
その後改造されてボンネット(前方)の形状がすっかり変わってしまった。


DB601の愉快な顔。

前から見たDB601 袋井工場  1963.4.4

相良で見たDB601(後から見る) 1966.9.23
袋井で見た3年後、前部のボンネットが改造されていた。

DB601
昭和26(1951)年5月、自社大手工場製の改造第1号機。廃車となったB7形蒸気機関車7号機の足回りを転用し、蒸気機関(ボイラーやシリンダー類)をディーゼル機関(エンジン)に換装した形となった。自重7トンのB凸形で、全長5,047ミリ、動輪径610ミリ。機関は金剛のDA60を装備し、出力110PS、回転数2,200rpm、牽引重量47トンだった。その後昭和28(1953)年11月に改造認可を得、車軸配置B1をBとし、全長5,130ミリに改造された。 解説:中村修さん

Nゲージの地方私鉄

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Nゲージを走らせたのは一体何年ぶりだろうか。
先日購入したトミーテックのノスタルジック鉄コレ(Nゲージ)を初めて動かしてみた。

東野風の機関車は自由形DBであるが中々楽しめそうです。
いずれW製のまともなDC機関車を用意し東野のムードを出してみたい。
また、Cタンクに牽かせて別府のムードも出してみたい。
とりあえず貨車の増備と線路の増設までとし深入りしないよう注意せねば。

Nゲージをやってみる目的はNゲージ部品を活用した1/80 9mmナローにあるのです。



走行部品に交換し走行を試してみる。


箱から出したままの状態。


東野鉄道 黒羽 1966年12月

東野鉄道 DC201と202。黒羽機関区


漁港がすぐそば 滝駅

Next 真夏
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 7月20日発売のTMS 8月号、失われた情景 第26回は「漁港がすぐそば 滝駅」です。
北陸鉄道の非電化路線「能登線」はまさに日本の夏でした。

能登半島を走っていた夏の能登線は海水浴客が賑やかで、
朝は殆どの気動車が出揃って様々な気動車+客車が海辺へ行き来していた。
何でこんな駅に降りたのかと思っていたのが羽咋から二つ目の滝駅。
ここから柴垣へ向って歩いて撮影ポイントに行くのが目的で下車したのであった。

昔の航空写真で小さな漁港と漁村そして滝駅の配置を知りジオラマ題材を纏めてみました。
ほとんど記憶は無いけどあの時の写真には様々な情報が記録されている。


滝駅の部分拡大写真。1962.8.2
スプリングポイントの向こうに拡がる滝駅。生い茂った草に埋もれてしまいそうなホームと線路。草むした構内で遊んでいる子供たち。未舗装で真っ白に乾いた道路を日傘を差して歩くご婦人。駅周辺には昭和30年代の民家が並ぶ。

漁村を行く能登線の航空写真。1952年

滝駅の模型的路線図。


真夏

Next 真夏2
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 58年前の真夏と今年の真夏。


銚子電鉄 仲ノ町 1963.6.30


東京オリンピック開会式の朝。2021.7.23


東京オリンピック開会式の昼。2021.7.23

真夏2

Previous 真夏
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 58年前に撮ったネガは今も健在です。
エプソンのスキャナGTX-970も幸い健在です。
果てしないネット環境の向上で画質高めるスキャニングに終わりはない。



真夏の松本駅前。1963.7.20





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