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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想

志摩線 半島をゆく。

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三重電気鉄道志摩線

 撮影日:1964.7.6  


鵜方駅風景.ハーフ判ネガが鮮明です.
旧型の車体更新車 モ5210形  中間部がクロスシートになっている. 

志摩神明-賢島.



カーブと起伏が多い沿線を行くセミクロスシート車のモ5401。外観が平凡だが垂直カルダン駆動の珍しい電車.志摩神明-賢島.

鳥羽駅を発車した電車はすぐ急カーブを曲がり風光明媚な志摩半島を賢島へ向かっていた。
リアス式海岸で名高い志摩半島には数々の観光名所があるが、半島内陸部の山間を行く志摩線からは海が見えるようなところが殆どなくカーブの連続とひと気のない山間ばかり。こんな路線を走る電車はどれも魅力的な小型電車で三重交通時代からのツートンカラーがよく似合っていた。この翌年に近鉄志摩線となり更に改軌され志摩線の風景は激変した。


盛岡駅待合室での仮眠

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1966年東北周遊券の旅3日目、仙台で乗車した超満員の青森行夜行列車が盛岡駅に到着したのは深夜2時02分だった。花輪線の一番列車5時25発まで駅の待合室(一晩中開放)で3時間ほど仮眠をとった。
私が眠っている間にこの深夜の夜行列車を撮ったのが同行者の田辺さんだった。この3時間の仮眠のお陰で私達は花輪線一番列車で向かった先でこの日思い出深い撮影ができた。

 撮影日:1966.3.2
深夜の盛岡駅にやって来た夜行列車C61+C60.


雄大な岩手山と松尾鉱業鉄道.


松尾鉱業鉄道が出ていた花輪線大更駅.
ホームには松尾鉱山の鉱山町「雲上の都市」から下りて来た住民が多い.


花輪線ハチロクの名所竜ヶ森.

空鉄の写真展

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昨日は新宿のニコンプラザ東京で明日まで開催中(日曜休館)の吉永陽一さんの2023「空撮鉄路日誌」を見てきました。今回とても驚いたのは新宿、品川あたりを飛行する旅客機の上から撮影した空撮。

新宿駅上空を低空飛行する旅客機の上にセスナ機を飛ばして狙ったり、
新幹線と旅客機の撮影タイミングをセスナ機から狙う。
単なる旅客機の撮影とは違って空撮鉄路であり必ず鉄道が入る。
その飛行機と新幹線のタイミングはパイロットとの緻密な打合せによるもので、
もちろん事前の飛行申請の手続きがある。
次回は是非トークショウを聴いてみたい。



渋谷駅と新宿駅


衝撃の一枚

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「あと何年早く生まれていたら」よく聞く言葉です。
先輩方の写真に衝撃を受けるのは、私の場合1950年代で、
高橋弘氏の名作作品集で最も衝撃受けた1枚がこの1953年の黄瀬川停留所です。
私が伊豆箱根鉄道軌道線を訪問したのはその10年後、廃線18日後でした。


黄瀬川停留所 1953年8月夏  高橋弘 作品集3

高橋弘 作品集3


10年後の黄瀬川停留所.1963.2.22
道路に置かれたレールと、枕木を掘り返した跡が残る廃線直後.

国鉄会津線 桑原~湯野上間

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鉄友から頂戴した一冊の本.
蘇る記憶Ⅲ 竹島善一写分集.

会津地方の鉄道写真集だが適度な文章が入っていて「写文集」となっている。
鉄道ファンの写真にはまずない会津地方の風土豊かな写真が織り込まれて、蒸機時代の写真が活き活きしている。会津線の桑原と言えばダムに沈んだ集落や駅。

2011.11.29アップのリニューアル.
大川ダムの完成により難所を迂回するトンネルが出来て桑原駅は大川ダムの底に消え、上三寄~湯野上間の沿線風景は今の会津鉄道では見る事ができなくなってしまった。中でも桑原~湯野上間は会津線で最も美しい景観で、多くの鉄道ファンが訪れた撮影ポイントであった。

この区間のルート変更がよく分かります→ 廃線レポート会津線旧線 大川ダム水没区間

現在は若郷湖の湖底に沈んだ第一大川橋梁を渡る.  桑原-湯野上間 1971.10.2



第三大川橋梁を渡る 桑原-湯野上間  1971.10.2

雨上がりの第三大川橋梁を渡る. 桑原-湯野上間  1974.7.20

芦原温泉

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 京福三国芦原線の三国港駅は九頭竜川河口にある三国漁港が目前で、人影もない寂しい駅のホームから豪快な日本海の荒波が眺められた。その日の夜は芦原温泉に泊まり炬燵が入った布団に横になると外に新雪が積もり始め、翌朝の三国芦原線は真っ白な世界となった。




 撮影:1968.1.15

三国港


京福電鉄福井支社 三国芦原線 芦原


三国芦原線 芦原


国鉄三国線(芦原~金津)  芦原


国鉄金津(現:芦原温泉)駅の永平寺線

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今年もどうかよろしくお願い致します。




竜ヶ崎線の小型蒸機

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書籍化で改めてスキャンして用意した小型蒸機の画像5点。
書籍化で使うのは1枚だけ他は使用せずでブログとfacebookにアップしてみます。
最古参のネガだが嬉しいことに今も何とか鮮明度を保っている。

撮影:1962.3.31と1963.8.17


龍ヶ崎機関


4号機が牽く貨物列車

4号機が牽く貨物列車


5号機

竜ヶ崎駅構内で入換作業中の4号機


井笠 コッペル1号機

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井笠鉄道の鬮場車庫で1号機を機関庫から牽き出してもらい、
正面の事務所で図面を出してもらった夏のある日。 
どこの現場でも訪問すると親切に対応して戴き、
撮りたいものが撮れた時代であった。

撮影:1962.7.30

逆光で撮った1号機の左側面.


車両竣工表.




1号機を機関庫から引き出しているところ.


炎天下の外に牽き出された1号機.


西武新宿駅の夕暮れ時

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珍しく撮った夕暮れ時の西武新宿駅。いずれ消えゆく特急電車の風景。




西武新宿駅の脇(旧新宿東急文化会館の跡地)にできた歌舞伎町タワー

1956(昭和31)年にオープンした新宿東急文化会館は、映画にスケート、ボウリングなど、その時々に流行した娯楽を提供してきた。1996(平成8)年11月、創立40周年に伴い新宿TOKYU MILANOと名称を変更、2014(平成26)年に惜しまれつつその歴史に幕を閉じた。

横荘線の客車

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今や模型の題材にしかならなくなった車両写真。

この時代の車両を好む市場(現在60代以上の鉄ファン)も次第に縮小して行くことでしょう。

再掲ですが羽後交通横荘線の客車です。

撮影:1966.3.4


横荘線横手の車庫.

軽便と較べ巨大なアーチバー台車を履いた珍品客車ホハニ3.
スマホで見ると松葉スポークの車輪など各部を拡大して楽しめます.


ホハフ6(元都電)  

ホハニ4 (明治43年製 元国鉄)


 混合列車が行く. 横手 
横荘線は、秋田県横手と日本海側の本荘を結ぶ計画で横荘の名がつけられたが、果たせず横手~二井山間を営業していた。 

福島模型製作所のOB会

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昨日は福島模型製作所のOB会でした。
学生時代に旅費調達で福島模型でアルバイトをしましたが、そのアルバイトを共有したOB達が8人集まった。各人アルバイトした時期が1964年~1979年の間で異なるが、私が練馬にあった福島模型製作所でアルバイトをしたのは60年も昔1964年のことであった。


持ち寄った作品のお披露目.


テーブルに置かれた見事な古典蒸機の作品、写真をどんなに拡大しても粗が出ないので写真だけでは大きさが分らない.


これで大きさが まさかのNゲージ1/150と分かる.


昨年、池袋の個展でショウケースに並んだ無数の古典蒸機から数台が披露された。元々が小さい古典蒸機をNゲージ1/150でスクラッチ・ビルドするとは驚きです。

庫内風景

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どこの車庫や車両工場でも庫内風景は楽しいもので、
整備中でバラバラになった部品が並べてある。
完成車と違ってこんな光景の方に機械の美しさを感じてしまう。


加悦鉄道の庫内風景.
DB201 (昭和28年森製作所製) 1962.7.31




淡路交通の庫内風景 1965.8.2
様々な改造や自社開発を手がけて来た魅力ある地方私鉄の車両工場であり、並べられた中古台車の部品一つ一つに惹きつけられた。工場の中でスポーク車輪がひときわ美しく輝いていた。 


雨の耶馬渓

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大暴れの増水でよくニュースに出る山国川を行く大分交通耶馬渓線.

耶馬渓の絶景と山国川が流れる羅漢寺は魅力溢れる土地であった.

観光客もいない雨の耶馬渓はひっそりと静まり帰っていた.

学生時代最後の撮影で、この翌月から社会人となったが社会はまだ週休1日の時代であった。

 
冠石から羅漢寺へ向かう耶馬渓線.1967.3.5
雨で増水した山国川.

雨上がりの羅漢寺2

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耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

山国川に沿って走る列車が耶馬渓の景勝地に入ると、まもなく羅漢寺の駅に到着する。走ってきた洞門駅側を振り返ると「青の洞門」の上にそびえ立つ岩壁が迫り、鉄道(地方私鉄)と絶景が見事に備わった素晴らしい駅であった。

羅漢寺駅から、雨上がりの山国川沿いを上流へ歩いたが人の気配が全く無かったのが印象的。きっと観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄道ファンに出会うこともまずない時代であった。
撮影日:1967.3.5

羅漢寺駅へ引き返す手間で撮った1枚。左手に見える駅ホームと駅前の味わい深い民家、そして背後にそそり立つ耶馬渓の競秀峰。

羅漢寺に到着した混合列車。羅漢寺から中津方面を見ると、耶馬渓の山国川に面した競秀峰が列車の背後にそそり立つ。


羅漢寺から引き返す車窓に「青の洞門」が見え、その先で山国川の鉄橋を渡る。
洞門 - 羅漢寺

青の洞門(隧道、トンネル)

羅漢寺を出た気動車の車窓に鳥居が見え、その向こうのに山国川に沿ってそそり立つ競秀峰とその裾にある大分県指定史跡 全長約342m 「青の洞門」が見える。洞門 - 羅漢寺



雨上がりの山国川橋梁を渡ると洞門の駅がある。沿線の民家は茅葺き屋根が多い。
 羅漢寺ー洞門
 

雨上がりの耶馬渓3

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 撮影日:1967.3.5


羅漢寺駅のキハ101やまばと.


増水した山国川沿いを行く耶馬渓線の線路に現れる列車を待つ。




梅が咲く雨の耶馬渓.




景観の下にやって来た小さな気動車.


今朝の富士山

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今朝は暗雲の下に雪を被った丹沢から多摩へかけての山並みが美しかった。

しかし、次第に雲が南へ流れ富士山が全容を現す頃には輝きが薄くなり(写真)

しばらくして真っ青な空になると何時もの風景になって行った。


フルサイズ ←クリックでフルサイズ画像へ


鹿島鉄道の春

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そういえば3月は花咲く沿線を走った鹿島鉄道.2007年3月


八木薪の土手に登って撮ったキハ714.浜-八木薪 


霞ヶ浦湖畔  玉造町-浜 


玉造町-浜 


玉造町-浜

「安芸線探訪」 安芸線跡を歩く

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本の紹介です。

表紙に終点「あき」、裏表紙に起点「ごめん」の行先表示板を配置した「安芸線探訪」改訂新版。高知市のリーブル出版から全国書店で4月1日頃に発売開始予定で、既にAmazonでは販売開始したそうです。

土佐電気鉄道安芸線の廃線跡の探訪で、帯に書いてあるように全24駅の現在と数多くの遺構、S37年の国土地理院の航空写真12駅、現役時代の安芸線の写真など。
既にRM LIBRARYなどでよく知られた歴史&車両の解説ではなく、上質な企画・デザインで安芸線が走った時代と今が味わえる書でした。
 







後免町で見た安芸線.1969.5.5


安芸線.御免町-御免

阪神一色の時代を迎えていた安芸線.後免町


軌道線を走っていた安芸線乗り入れ「あき」行き急行.

「地方私鉄 失われた情景」発売のお知らせ

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鉄道模型趣味(TMS)誌 4月号の裏表紙に発売広告が掲載されました。

「地方私鉄 失われた情景」が4月20日に機芸出版社から発売されます。
概要はここに挙げた路線で計44路線です。
発売まで1ヵ月ありますので内容の紹介は徐々にお知らせして行きます。
 

 6年前の写真集「地方私鉄1960年代の回想」上下巻に引き続きまた名取編集長に編集をお願いして「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。今回も時代は1960年代です。

 TMS誌に2019年から2022年まで3年間連載した記事を1冊に纏めるだけでなく、再編集して更に新たな路線を加えて計44路線とし丁寧な本づくりで纏めてもらいました。

 あの時代の情景は今やそのほとんどが失われ写真や動画やジオラマでしか感じることができなくなってしまった今、写真を見ると私は郷愁というよりジオラマが目に浮かび、看板、服装、家並みなどがまるでジオラマの小道具のように思えてしまいます。そこには無機質ではないあの時代の風情が漂っている。それが感じられるようになったのは60年の年月と世の中の進化のせいなのでしょう。


「地方私鉄 失われた情景」

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「地方私鉄 失わせた情景」内容はこんな感じになります。
TMSに連載した2ページ完結/1路線 だけでなく、見開き写真を多くしてあります。



表紙カバーは表裏がつながったこんな風景になります。

石神井川の桜

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間もなく満開を迎える石神井川の桜。
週末には多くの鉄ファンで賑わうことでしょう。




西武国分寺線

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2年前の今日4月11日。
緑が撮りたくなって、久しぶりに国分寺線 鷹の台へ。
新緑の玉川上水を歩いてみた。

2022.4.11


玉川上水

野に咲く花

今週発売「地方私鉄 失われた情景」

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「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。
4月20日発売ですが、それに先立ち書泉グランデなどでは店頭に並んだようです。

1960年代の情景は今やそのほとんどが失われ写真や動画やジオラマでしか感じられなくなってしまった。当時の写真を見ると私は郷愁というよりジオラマが目に浮かび、看板、服装、家並みなどがまるでジオラマの小道具のように思えてしまう。そこには無機質ではないあの時代の空気感が漂っている。それが感じられるようになったのは60年の歳月で変化して来た社会のせいなのでしょう。



横須賀街道沿いを行く 静岡鉄道駿遠線.


良き時代の井笠鉄道 大井村.


漁港がすぐそば 滝駅 北陸鉄道能登線.

昭和27年10月1日現在 客貨事務用鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)
全国路線図で青色が地方私鉄で駅名も入っています。



能登の思い出

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1972年と1962年の能登 


内浦

奥能登観光全盛時代の国鉄能登線 奥能登号.1972年秋


以下は北陸鉄道能登線 1962年夏

美しい松林を行く列車.
左手の小さな半島の向こうに柴垣海水浴場がある.滝-柴垣


国鉄七尾線に接続する羽咋駅


朝の能登線羽咋駅構内.背後にC58の煙がなびく.







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