過去記事より。
❼大衆旅館
https://photo-pub.co.jp/pg202503.html
滅多にやらない乗り鉄。
昨日は大宮の飲み会の帰りにやってみた乗り鉄が楽しかった。
14時過ぎに大宮を出て、乗り鉄やりながら撮影、画像加工(トリミング他)、写真配置、簡潔文章の同時進行で、帰宅する頃にはFBに投稿が完了。スマホによる編集は本の編集作業の楽しさによく似ている。
何故やらなかったのか乗り鉄。それはカメラとレンズと電池充電、列車の時刻確認、コースプラン検討など前日に準備用意するめんどくささにあった。私には撮影抜きの乗り鉄はない。
ところがスマホ撮影による乗り鉄なら前日のめんどくささが全くない。早朝に出発する必要もなし、プランは行った先でその都度考えれば良し。駅で重いカメラぶら下げてウロウロする必要も無し、ポケットにスマホを入れていつでも出発でき、同時編集の楽しさもある。
寂れた駅となると思い浮かぶの庄内砂丘の中にあった七窪駅。
廃墟ではなくまだ動いている鉄道の寂れた駅の風景。
当時、私は車両が動いてなければ価値なしの想いが強く
もう車両がやってこないような廃線跡には関心がなかった。
ところが今は現役時代の鉄道よりも廃線跡が魅力と言われる
廃墟写真のジャンルがある。その廃墟や廃線跡写真の魅力は一体何か?
賑わい、繁栄が去った跡の静けさ、足あとの魅力。
私達が追い求めた現役時代の鉄道写真には関心がないらしい。
かつてそこにあった賑わい、繁栄を想像しながら
その足あとをインパクトあるデジタル画像効果で表現する楽しみか。
確かに今のデジタル画像(特にカラー写真)による効果は絶大で、
もし、あの60年前の寂れた七窪風景を撮影して廃墟写真と同様な
デジタル画像効果で表現できたらどんな風景になるのだろうか。
1966.2.28
庄内砂丘の中にひっそり佇む七窪駅.現役時代の庄内交通.
七窪駅の引込線に使われなくなった客車が休む.まだ現役の駅の片隅.
当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。
昭和38年の3月、その頃大学2年だった私は友人の“ガンちゃん”に誘われて、東武鉄道の中千住駐泊所を訪れた。
ガンちゃんは高校の同級生。東武の蒸機に並々ならぬ情熱を持っていた男だった。どこか憎めない江戸っ子気質、撮影よりも機関車そのものに惚れ込んでいるようであった。「今、中千住に行けばネルソンがまだいる。いつ消えるかわからないぞ」私は東北方面のナローゲージばかりに気を取られていた頃だったが、彼の熱意に押されて共に出かけた。
中千住の駐泊所は、町の中に小さく纏まった機関区で、黒光りするネルソン63と64号機(B6形)が静かに休んでいた。蒸機の傍にいたのは、年配の機関士だった。少し離れて見ていた私たちに気づくと、彼は声をかけてくれた。そうして始まった機関士との短い会話。ガンちゃんは饒舌だった。彼の蒸機への知識と熱意に、機関士も次第に表情をほころばせ、やがてキャブに上がることを許してくれた。
石炭の匂いと油に包まれた空間で、機関士は静かに話をしてくれた。私はただその場の空気に浸っていたが、ガンちゃんは真剣な眼差しで彼の話を一つも聞き逃すまいとしていた。
あの時のネルソンも、あの機関士も、そしてガンちゃんも、もうこの世にいない。
ガンちゃんは趣味を長く続けられないまま、世を去ってしまった。
構内に漂っていた石炭のにおい、ネルソンの鈍い黒光り、そして蒸機を愛した一人の友人、それらは今も記憶の奥の片隅に残っている。
1963.3.25