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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想

淡路の魅力

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時代が経つにつれ、淡路の失われた時代の魅力が益々強くなって来る。
淡路で最も印象深かったことを書いた記事の3回目。

過去記事より。
「淡路交通 昭和40年の洲本(3)」    公開日 2015.2.13
 
❼大衆旅館
バスが洲本駅に到着すると直ぐに宿さがしで駅前をぶらついた。どうやら駅前にある旅館は観光客向けではなくどれも素泊まりだと600円の割烹旅館であった。割烹旅館はちょっと小奇麗で我々向けではないので、さらに探すと大衆旅館というのが目にとまった。おそらく洲本では最低の部類と思われる佇まいで旅館の感じは全くなく周りの民家と同じようであった。交渉すると二食付き650円(素泊まり350円)である。宿はここに決めて荷物を預けたが、おかみさんの大声が何を言っているのかどうも方言でよくわからない。

一日、真夏の沿線撮影をして夕方宿に戻ると2階の一室に通された。ひどい部屋で置物もなければ掃除もろくにしていないようなただ寝るだけの物置のような部屋。二部屋あって一部屋に電球がないのには驚いた。もう一部屋だけに薄暗い裸電球が燈っていた。

夕食付であったが、なんと近所の食堂からの取り寄せであった。こんな宿は初めてでどうやらフロもないらしい。外から配達された夕食は山盛りのチャーハンであったが空腹にもかかわらずノドを通らなかった。
夕食後、宿の前にある銭湯に入ったがこれがまた独特の雰囲気。せせこましい銭湯で電気も薄暗く浴場が汚らしく見える。それでもきたない旅館の浴場よりはマシだったかもしれない。銭湯に来る地元の客はみな真っ黒に日焼けし、わが身がばかに白くて弱々しく見えたものだった。
当時の淡路の観光客は大抵「ホテル淡交」1500~3500円のような観光ホテルに泊ったことでしょう。鉄ちゃんが泊まる宿として観光ホテルは対象外で、この時の大衆旅館は汚さも度が過ぎたがむしろ洲本の懐かしい思い出となった。

島の電車の洲本駅近くの旅館に一泊した時の写真がなく、ストリートビューで今の洲本を巡ってみました。道路が広くなり町並みがすっかり綺麗になり、昔のあのすごい光景は全て建替えかと思ったところ、意外や昔をしのぶ建物も僅かに残っているようです。すごい宿や銭湯があったところには今マンションが建っているようです。

Googleストリートビュー 今の洲本

ヒギンスさんの写真展

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昭和30年代の鉄道情景の素晴らしさを捉えたヒギンスさんの写真展。
明後日9日迄です。各社の車両カラーリングが魅力溢れていた時代。


・開催期間  2025年3月1日(土曜日)~3月9日(日曜日)

・開催時間 期間中の 10時~ 18時(入場無料)

・開催場所 東京都北区田端6 -1 -1 田端 ASUKAタワー 17階会議室
(山手線・京浜東北線 田端駅北口から徒歩1分)

https://photo-pub.co.jp/pg202503.html



綺麗な木造客車

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加悦鉄道のハブ2.とても綺麗な木造客車です。
これまで私の出版で車両写真は使ってこなかったですが、こういう綺麗な車両の写真は何かに使ってみたいものです。
ところで、この社紋は西武鉄道の社紋によく似ているのに初めて気がつきました。日々利用している西武鉄道なのに社紋には目が行かなかった。


加悦駅 1962.07.31

加悦鉄道 古典客車

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加悦鉄道 古典客車の魅力を改めて振り返ってみます。

過去記事より。
「加悦鉄道 古典客車」 公開日 2013.3.12

昭和37年、加悦鉄道の加悦構内には数多くの古典客車が居て、保存鉄道ではなく現役の姿でこれだけの文化財が生きていたとは驚きの世界であった。どの客車も外観上は老いた痛みもなく、しっかり保守管理がされてきたのでしょう。

大江山を望む加悦鉄道の名場面 加悦   1962.7.31

現役の古典客車が休む加悦構内

ハ10 大正15年 梅鉢工場製

ハブ6 大正15年 梅鉢工場製

ハブ2 大正5年 名古屋電車製

ハ21 明治26年 新橋工場製

最古参客車 ハブ3 明治22年  ドイツ バンデル・チーペン工場製

ワブ1 大正15年 梅鉢工場製

休車中の2号機 明治6年 英国スチーブンソン製 元国鉄No.123

参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第1分冊 加悦鉄道

成田 裏の路。

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昨日の鉄道探索は成田裏の路だった。

京成ライナーを空港第2ビルで下車し、延々地下通路を歩いて東成田駅から芝山鉄道体験で京成成田に戻り、かつて成田山門前~宗吾間を走っていた成宗電車の第1と第2トンネルの遺構を見学した。
成田フライト客とは無縁の東成田駅までの地下通路体験。そして成田山参道の観光客とはおよそ無縁の京成成田から成田山門前までの電車道(廃線跡)散策。どちらもほとんど歩いている人を見掛けない路であった。

フライト客で賑わう空港第二ビル駅を後に延々500mの地下通路を歩くと芝山鉄道の東成田駅に到着する。芝山鉄道の東成田はフライト客とは無縁の駅で人が居なかった。

 
成宗鉄道の遺構第1トンネル。
京成成田から成田山門前へ向かう道路(軌道跡)は並走している超賑わいの参道とは正反対の静けさで、第2トンネルを抜けると間もなく成田山門前に到着する。そこには参道から観光客がどっと押し寄せていた。


西武新宿線 今年の桜

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今年も西武新宿線 桜の名所が賑やかになってきました。新宿線の高架化で年々桜の木が切り倒され、いつまで見れるか桜の名所。

 

本日の石神井川の桜. 2025.3.28


昨日だけ運転の「52席の至福 お花見トレイン」桜スポットで徐行運転していた。025.3.27


西武新宿線 気になる車両

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昔、長辺500pixくらいから始めたブログの画像も、今やネットでは原画で投稿するとリサイズされて長辺2048pixの画像が普通になっています(FBの例)。本ブログでも長辺2048pixで投稿してみました。
小さな画面のスマホでは画像サイズはあまり関係ないですが、PC画面では鮮明度で画像サイズが気になります。

 by iPhone

4000系 田無  2025.4.12 


10000系 武蔵関 2025.4.6

乗り鉄の楽しさ

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滅多にやらない乗り鉄。
昨日は大宮の飲み会の帰りにやってみた乗り鉄が楽しかった。
14時過ぎに大宮を出て、乗り鉄やりながら撮影、画像加工(トリミング他)、写真配置、簡潔文章の同時進行で、帰宅する頃にはFBに投稿が完了。スマホによる編集は本の編集作業の楽しさによく似ている。

何故やらなかったのか乗り鉄。それはカメラとレンズと電池充電、列車の時刻確認、コースプラン検討など前日に準備用意するめんどくささにあった。私には撮影抜きの乗り鉄はない。

ところがスマホ撮影による乗り鉄なら前日のめんどくささが全くない。早朝に出発する必要もなし、プランは行った先でその都度考えれば良し。駅で重いカメラぶら下げてウロウロする必要も無し、ポケットにスマホを入れていつでも出発でき、同時編集の楽しさもある。



飲み会帰りの乗り鉄と編集. 
行き当たりばったりのコース 大宮→川越→高麗川→東飯能→飯能→所沢→西武新宿線.


高麗川駅の八高線と川越線.


八高線 高崎行き.


東飯能駅の西武秩父線.


西武山口線のバッテリーロコ.



西武鉄道 西武園線

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初めて乗った西武園線
八国山緑地を行く春の景色。
 撮影 2025.4.17






北山公園の向こうに、トトロの森七国山のモデルとなった八国山の緑が。


西武国分寺線 鷹の台

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久しぶりに訪れた国分寺線 鷹の台。
玉川上水を上流から歩くと到着するのが緑多い鷹の台、更に歩くと多摩湖線の一ツ橋学園。
3年前に撮ったフルサイズと今回のiPhoneで画像(リサイズ)を比較してみました。 


2025.4.21


2022.4.11



西武鉄道 西武園線

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先日の八国山緑地へフルサイズに40mmレンズを装着して再訪し
昨年の夏以来久しぶりにフルサイズで撮った鉄道。


2025.5.3

八国山緑地と北山公園の自然豊かな沿線.

リサイズ前の原画(ヨコ6000pix)では前方の公園休憩所内の人物まで見える。カメラの画質設定を上げると更によく見えるのだろう。


八国山緑地の野の花.ムラサキカタバミ
 

西武新宿線 田無駅

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半年振りにシャッター押すカメラで一枚。
40mm単焦点レンズ
 

2025.4.28


荒川線 庚申塚

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今も変わらぬ下町風景にほっとする駅。
 


2025.5.12


所沢駅前の西武車両工場跡

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昨年秋にオープンした所沢駅前の再開発。西武鉄道所沢車両工場の跡地を活用した商業施設を先日にさっと見てきました。線路跡などの詳細の比較は後日にすることにして商業施設を一回り。
各地に次々と生まれるこの種の大型商業施設を見ると、どれも似たような商業施設でその将来は今後の人口減で果たして成り立つのか疑問に思う? もっと個性的な商店でないと長続きしないのではないだろうか。


西武鉄道車両工場跡地にできたエミテラス所沢(ショッピングモール)


所沢駅から線路がカーブして工場へ延びていたところ。


商業施設1階に鎮座している元山口線バッテリー機関車。

成田空港の路線図

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3月24日に「成田裏の道」をアップしましたが、JR成田線、京成成田空港線、京成本線、京成東成田線、柴山鉄道の関係を路線図に纏めてみました。私には長い間この位置関係が頭に入らないままだった。 





京成スカイライナーを空港第二ビルで下車して連絡地下道を歩くと東成田駅に着く。ここで柴山鉄道(京成成田~柴山千代田)に乗って京成成田へ戻った。柴山鉄道の乗車体験のためにこんな経路となった。

東成田駅を表に出ると何もない。


京成成田駅から京成スカイライナー or JRエクスプレスで東京に向かうには成田空港まで戻って始発列車に乗る。


花の写真

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最近よく撮る野の花
スマホで見る時はタテ画像の方が見栄えが良い
ところがパソコンではタテ画像は収まりが悪い。 


ムギナデシコ


ウマノアシガタ

庄内交通 寂れた七窪駅

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寂れた駅となると思い浮かぶの庄内砂丘の中にあった七窪駅。
廃墟ではなくまだ動いている鉄道の寂れた駅の風景。

当時、私は車両が動いてなければ価値なしの想いが強く
もう車両がやってこないような廃線跡には関心がなかった。

ところが今は現役時代の鉄道よりも廃線跡が魅力と言われる
廃墟写真のジャンルがある。その廃墟や廃線跡写真の魅力は一体何か?


賑わい、繁栄が去った跡の静けさ、足あとの魅力。
私達が追い求めた現役時代の鉄道写真には関心がないらしい。

かつてそこにあった賑わい、繁栄を想像しながら
その足あとをインパクトあるデジタル画像効果で表現する楽しみか。

確かに今のデジタル画像(特にカラー写真)による効果は絶大で、
もし、あの60年前の寂れた七窪風景を撮影して廃墟写真と同様な
デジタル画像効果で表現できたらどんな風景になるのだろうか。

1966.2.28

庄内砂丘の中にひっそり佇む七窪駅.現役時代の庄内交通.



七窪駅の引込線に使われなくなった客車が休む.まだ現役の駅の片隅.


先日、凄い廃線写真集が出ました.


みりんの流山

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馬橋駅 2025.5.28


62年振りに馬橋から流山電鉄(現流鉄流山線)に乗って今の流山駅見て来ました。

当時、流山駅の一端にあった貨物駅から野田醤油醸造㈱(現流山キッコーマン㈱)のみりん工場に貨物線が延びていた。


62年前の流山駅前に貨物線の端が見える。 1963.3.31

現在の流山駅


カーブしてみりん工場へ延びる貨物線の痕跡。


流山駅の貨物駅から延びる引き込み線 1964.4.23  撮影:田辺多知夫
流山駅の一端に貨物駅とみりん工場の引込線み線があった。小型木造貨車ワフ31が消えた翌1966年に引込み線が撤去された。この写真を撮った時のみりん工場は野田醤油醸造㈱であった。




春の田園風景を行く混合列車モハ100形+ワ11。1964.4.23  撮影:田辺多知夫
みりん輸送に使われたと思われる小型木造貨車ワ11(1964年10月廃車)とワフ31(1965年10月廃車)はこの写真の直後に廃車となった。

流山駅の貨物ホームにいた美しい貨車ワフ31。ここのポイントから右方向に醤油工場まで貨物線が延びていた。流山 1962.3.31


白みりんミュージアム


一茶双樹記念館


宇都宮ライトレール

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初めて乗ったLRTは新鮮で刺激的であった。
乗心地(振動)、静粛性、スムーズな走行と加速にこれまでの路面電車のイメージが消えた。線路を見てみればまるで高速鉄道のような立派なレールと路盤。JRで宇都宮へ来てLRTを利用する客にとって乗換えと買物の動線が実によく出来ていた。
今回は飛山城跡まで試乗して7月にゆっくり訪問する予定。


飛山城跡駅





平日午後で列車は5本/1時間もあり待たずに乗れてとても便利.飛山城跡駅



宇都宮と言えば餃子とLRT.


夕暮れ時の中井駅

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 西武新宿線 中井駅を夕暮れ時によく利用することがある。
大江戸線を下車し新宿線中井駅へ向って日が暮れかかった
商店街の小さな通りを歩くと、なんとなく下町風の通りの先に
新宿線の踏切があり、ふと立ち止りたくなることがある。



中井 2025.6.1


西武鉄道 西武園線

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西武園線沿線に菖蒲が咲く季節.

 2025.6.4


菖蒲は来週初め頃が全盛期になるようだ.

北山公園の菖蒲苑






東村山駅 西武園線


東村山駅 国分寺線


真夏の金平

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タイトルバックを変えました。

1962.8.1


この写真は尾小屋行列車の2軸客車オープンデッキから撮った金平です。
今日の鹿部電鉄さんのコメントにあったように確かに線路がヨレヨレナローではなく立派に見えます。草が生えていない。

この写真の10年後1970年代はディスカバージャパンの時代、そしてSLブームの時代。
この頃に高校~大学生だった世代にナロー模型ファンが一気に増え、この金平にも多くの次世代の若者が訪れたようです。これは鉄道写真やナロー模型や音楽など様々な趣味界で起きた一大ムーブメントだったか。



西大野の交換風景

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FBで好評でしたのでブログにも掲載します。  


西大野の交換風景.1962.8.1
先日の金平駅を撮ったのが尾小屋行列車のこのオープンデッキからです。


花巻電鉄 西鉛温泉「愛燐館」

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2015年12月13日投稿記事のリニューアルです。

花巻電鉄軌道線の終点、西鉛温泉。そこにあったのは、駅舎もなくただホームが一つあるだけの、静かな終着駅だった。すぐ脇の砂利道を埃舞い上げて一台のトラックが通り過ぎていく。駅前には一台のバスが停まっており、待合室の看板に「愛燐館」の名が見える。おそらく、このバスで温泉客が宿へと向かうのだろう。

あれから61年、この「愛燐館」に先日宿泊した方から数日前の宿の写真が届いた。かつての素朴な風景から今の立派な旅館まで年月が流れても、この地の風景は変わらず旅人を迎えてくれているのだろう。

1964.8.2

前方に愛燐館の看板が見える、バスが温泉客をお出迎え.


西鉛温泉駅.


電柱にある駅名と時刻表.

鉛温泉側から見た線路の先が終着駅.山あいを流れる豊沢川に沿って温泉宿が点在している.駅を降りて温泉へ向かって道路を歩いている人の姿が見え、宿は近そうだ.

以下のカラー写真 撮影:赤鬼さん

バス停新鉛温泉から見た現在の愛燐館.


立派な愛燐館の建物.


愛燐館の灯篭と旧軌道線跡.左へ下ったところに旧鉛温泉駅(西鉛温泉の1駅手前)があった。

中千住駐泊所ーネルソンと人情と、友の記憶

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 昭和38年の3月、その頃大学2年だった私は友人の“ガンちゃん”に誘われて、東武鉄道の中千住駐泊所を訪れた。

ガンちゃんは高校の同級生。東武の蒸機に並々ならぬ情熱を持っていた男だった。どこか憎めない江戸っ子気質、撮影よりも機関車そのものに惚れ込んでいるようであった。「今、中千住に行けばネルソンがまだいる。いつ消えるかわからないぞ」私は東北方面のナローゲージばかりに気を取られていた頃だったが、彼の熱意に押されて共に出かけた。

中千住の駐泊所は、町の中に小さく纏まった機関区で、黒光りするネルソン63と64号機(B6形)が静かに休んでいた。蒸機の傍にいたのは、年配の機関士だった。少し離れて見ていた私たちに気づくと、彼は声をかけてくれた。そうして始まった機関士との短い会話。ガンちゃんは饒舌だった。彼の蒸機への知識と熱意に、機関士も次第に表情をほころばせ、やがてキャブに上がることを許してくれた。

石炭の匂いと油に包まれた空間で、機関士は静かに話をしてくれた。私はただその場の空気に浸っていたが、ガンちゃんは真剣な眼差しで彼の話を一つも聞き逃すまいとしていた。

あの時のネルソンも、あの機関士も、そしてガンちゃんも、もうこの世にいない。
ガンちゃんは趣味を長く続けられないまま、世を去ってしまった。

構内に漂っていた石炭のにおい、ネルソンの鈍い黒光り、そして蒸機を愛した一人の友人、それらは今も記憶の奥の片隅に残っている。
1963.3.25



中千住駐泊所のネルソン63号機.


ネルソン64号機と機関士.


機関士さん.


私の記念写真。ガンちゃんは絶対に記念写真は撮らなかったし、彼を撮らせてくれなかった。「フィルムが勿体ないから撮るなよ」とよく言っていた。