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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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曇天の竜ヶ崎駅風景

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昭和38年夏に訪問した竜ヶ崎線は曇天でまるで冬のような風景だが、真夏の8月17日で間違いはなかった。ちなみにこの日の天候(東京)を調べてみると気温32度、朝から曇りで15時以降が雨で、この日から数日天気が崩れている。
昔ながらの竜ヶ崎駅に似合うのは元国鉄04形や蒸機そして生き残り車がいた1960年代までで、1970年代に入ると、どの地方私鉄でもそうであったように竜ヶ崎線も他社から入線した車両でそれまでの風景が一変してしまったようだ。

蒸機がいた頃の竜ヶ崎駅風景  1963.08.17

常磐線経由でまだまだ貨物輸送があった頃. 貨物営業廃止1971年

満員の気動車と煙吐く4号機

佐貫から竜ヶ崎へ戻って来た貨物列車. 竜ヶ崎線らしい風景

待機線に休むハフ15.昭和6年松井車両製の元片ボギーガソリンカーで
キハニ12だったが戦前に客車化されハフ15となった.
それにしても竜ヶ崎駅のホームがなんと長いことか.

妻面の窓がふさがれ車内両端にシートがある変わった客車ハフ15.

写真で見たエンジンを装備して走っていたガソリンカーの姿はとても楽しい.
片ボギーの台車

映画のセットにも出てきそうな倉庫と古典客車.大正3年天野工場製ハフ2

鹿島参宮鉄道の社章が残された小さな貨車ワ2

キハ41303 竜ヶ崎線仕様でどれも豆粒のような前照灯が装備されていた.

地方の路線と違って東京通勤圏で乗客が増え始めていた時代だったのでしょう.


昭和の青梅線 昭和幻燈館

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朝日新聞(11月28日)に紹介された青梅・昭和幻灯館の「郷愁の鉄道コレクションワールド」を見てきました。
昭和幻灯館は造形作家 山本高樹氏の大型ジオラマ作品(縮尺25分の1)をメインに展示されていたのですが、NHKドラマ「梅ちゃん先生」で山本高樹ジオラマ作品が一躍人気となり館内にあった多くの作品は今全国の展示会を回っているそうです。
そのジオラマ作品に代わって展示されたのが今回の鉄道コレクションで、館内は僅かに残された山本高樹作品「青梅キネマ慕情」以外は鉄道コレクションで占められていました。懐かしい青梅線・中央線の駅看板、青梅駅ジオラマなど、私が住んだ2年間の青梅昭和40年の頃が想い出されました。


昭和幻灯館  2013年12月

昭和40年代の青梅駅周辺を再現したNゲージ・ジオラマ


中央線、青梅線を主とした鉄道コレクションの数々.
先日の下河原線の時刻表がありました.

造形作家 山本高樹氏の作品 縮尺25分の1
「青梅キネマ慕情」夕焼け小焼け明日天気にな~れ.
昭和29年頃の青梅キネマ通り界隈を再現した情景ジオラマ
青梅宿幻想「猫町通り」

青梅線を走っていた旧型国電 1965.12.26
昭和40年頃に2年間お世話になった電車にカメラを向けたのはこの時のみで惜しい事してしまった。

昭和40年の青梅駅  1965.12.26

奥多摩の山並みを望む今の青梅駅 2013年12月

岳南鉄道 2005年

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デジカメ時代になって鉄道の撮影を再開したのが2005年に訪問した岳南鉄道・伊豆箱根鉄道で、この時のデジカメ開始をきっかけに近場の地方私鉄を少し撮りに行くようになりました。
岳南鉄道は工場地帯のプラントの谷間を走るような鉄道で、工場地帯と雄大な富士山を組み合わせると面白い風景が、と思っていながら8年も経ってしまいました。あの時の休車元東急青ガエルは全て解体されたようでその後の変化もいろいろとあるのでしょう。

岳南鉄道線のりば風景.吉原駅改札口  2005.09.19

東海道線吉原駅ホームにある岳南鉄道線のりば跨線橋

比奈駅で電機を写生している小学生たち

比奈駅見学にバスでやって来た小学生たち

富士の裾野にある茶畑を行く

雄大な富士の裾野を行く

比奈駅構内入替えに活躍する古参電機ED501

岳南富士岡駅構内に留置された休車状態の元東急青ガエルやED291. 

岳南富士岡駅脇にある検車庫

「かなひら」駅のシーン

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寅さん映画シリーズ第9作「男はつらいよ 柴又慕情」(72年)をテレビで見て、冒頭に出てきた「かなひら」駅のシーンには驚き飛び上がった。寅さん映画に登場した尾小屋鉄道とはこれだったのですね。映画で見る「かなひら」駅のシーンは情緒あふれまるで絵画のようであった。

バケットに牛乳缶を積んだ気動車が排煙を残して発車していく「かなひら」駅シーン

駅名「かなひら」と駅舎に貼られたDISCOVER JAPANのポスター youtubeより

「かなひら」駅のホームと駅舎、デイスカバージャパンのポスター、赤い気動車、
こんな尾小屋鉄道のシーンに1970年代初頭の日本の風景が凝縮されていたようだ。

尾小屋鉄道 1962(昭和37)年の金平駅

岳南鉄道2005年 車両

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貨物輸送全盛期には、引込線や専用線の総延長が本線の総延長を上回っていたという逸話もある。しかしながら、2011年1月に日本貨物鉄道(JR貨物)の合理化により2012年春以降の貨物輸送の休止が通告され、そして2012年3月16日限りで岳南鉄道を支えていた貨物列車の運行を終了し、貨物の取り扱いを廃止した。  wikipedia岳南鉄道線 より 

休車状態の元東急5000系の2本. 5002+5102       2005.09.19 比奈駅
2008年に全て解体

もう1編成の5104+5004

休車のED291

 

 
ED402(元松本電鉄)とED501が活躍していた比奈駅構内

現役ED501

工場地帯を行くモハ7000形 比奈

岳南江尾を発車すると新幹線をくぐって住宅街を走る

新幹線から見える終着駅岳南江尾.7000形(両運)と8000形(2連固定)

吉原駅に戻る

大雄山線 2005年

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酒匂川の支流、狩川に沿って大雄山最乗寺へ参拝客を運ぶ大雄山線。終点大雄山駅からは最乗寺へバスが出ている。また大雄山駅から街道の先に足柄峠、矢倉岳の梺にある「夕陽の滝」、南足柄ハイキングコースを控え、丹沢山系と足柄山地に囲まれた足柄平野を18mクラスの3両編成が走っている。

富士山の展望台として有名な足柄山地の矢倉岳に向かって走る大雄山線 
富士フィルム前 2005.09.18

湧水が豊富な足柄平野には富士フィルムや富士ゼロックスなどの大工場があり
沿線の宅地開発が進んでいる大雄山線  富士フィルム前-和田河原

1984年から入線した5000系3両編成  和田河原-塚原

大きなビルが並ぶ終点大雄山は駅ビルではなく昔からある三角屋根の駅舎であった

湘南カラーの木造電車が休んでいた42年前の大雄山駅 1963.02.22

大雄山駅改札口

 
 車両の回送や工事車両のけん引、検査車両の入替え等に使われる黄色のコデ165とその車内

 
金太郎の像がある三角屋根の小さな駅舎を大きなビルが取り囲む

 
駅から3キロの山中にある大雄山最乗寺へ駅前からバスが出ている

水浜線風景

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大貫停留場の看板、駅の子供達、踏切番がいる踏切、わら葺屋根の家、その脇に停めてあるミゼット、こんな水浜線の風景は昭和30年代前半を感じさせるのだが撮ったのは何と昭和41年であった。水戸駅前から12Kmほど大洗へ向かった大貫駅。昭和41年の水戸にまだこんな軌道線が走る風景が残っていた。
茨城交通水浜線は昭和41年5月で廃線となった。


茨城交通水浜線 大貫駅  昭和41年 撮影:青蛙さん

水浜線風景 海辺の電車

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青蛙さんが撮った水浜線風景を続けます。
青蛙さんの話しによると
『オリンパスペンをもってふらりと水戸まで出かけたのです。 廃止直前で、古色蒼然とした中をゆるゆると路面電車が走っていました。この時にはすでに新車は仙台市に転籍移動されて見られませんでした。 正面から側面に廃止の飾りつけ車両も走っていました。撮影場所がどこかわからないところが多く、メモは引っ越しや建て替え時に紛失』とありました。
撮影場所は大洗海岸の曲松あたりでした。

軌道の両脇に魚の木箱が積まれ大洗港が近い街中。 曲松-東光台  昭和41年5月
踏切警手が小屋の前で踏切を操作し、たばこ屋や倉や民家などが古めかしい.
軌道は人が歩く通路なのか枕木やバラストが土に埋もれている.

松の木と広々とした風景から大洗の海に近いと思われる.

海辺の曲松停車場.
駅で遊ぶ子供達や見送りなのか家族の姿など、いかにもその時代の駅の風景らしい.
・・終点大洗は立派な駅舎はあるが、赤字対策で無人駅で側線が1本ある・・
とは鉄ピク私鉄車両めぐり中川浩一氏の記事にあった記載。

上水戸駅前~水戸駅前間はこの1年前 昭40年6月10日で廃止.


参考図書
鉄道ビクトリアル「私鉄車両めぐり」第5分冊 茨城交通・水浜線/中川浩一 著/鉄道図書刊行会
RM LIBRARY第63巻/茨城交通水浜線/中川浩一 著/ネコ・パブリッシング

水浜線風景 大洗駅

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青蛙さんの写真から終点大洗駅の位置を確認してみました。
昭和20年に大洗から海門橋まで北へ向かっていた軌道が廃止となり、大洗駅は大洗磯前神社の林の中に移動している。青蛙さんが撮った鳥居脇の大洗駅の写真から、大洗磯前神社に幾つもある鳥居の中で該当するのは下記地図の位置にある鳥居でしょう。
 
終点大洗駅に近い松林を行く  昭和41年5月

大洗磯前神社の鳥居と、その脇にある大洗駅.
現在ある鹿島臨海鉄道の大洗駅に較べ、こちらの大洗駅は町外れのこんな寂しいところにあった.
大洗駅があった位置はこの鳥居が目印となり、今もホームの跡が残っているそうだ。

寂しげな雰囲気漂う終点大洗駅

赤ラインが水浜線の軌道(推定)で、矢印が神社の鳥居と大洗駅の位置を示す.
水浜線の軌道は神社の林の中に頭を突っ込んで終わっている.
現在ここの鳥居に頭がないのは震災で落下してしまったのでしょうか。

水浜線風景 大洗磯前神社の鳥居

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水浜線の終着駅大洗は鳥居の脇で終わっている。青蛙さんによれば微かな記憶の水浜線で『松林の中の中途半端な終着駅の状況』だけははっきり記憶があるそうで、鳥居と駅の奇妙な組合せを続けてみます。

大洗磯前神社のの鳥居. 昭和41年5月
鳥居の右が大洗駅の柵で線路と架線はここで終わっている.

大洗磯前神社の石碑と鳥居.
石碑の向こうに駅の柵と架線が見える.

 
廃線間近の水浜線に乗って大洗駅まで沢山の人がお別れに訪れたようです.
47年前に水浜電車を入れて撮った母子の写真は良い思い出になったことでしょう.

水浜線風景 田園を行く

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路面電車と田園風景の組合せが堪らない水浜線
田畑の中に埋もれてしまいそうな草生した軌道を路面電車が走る
前方に見える茅葺屋根の集落、駅の子供達の姿など懐かしい昭和41年の風景は絵のようだ。
こんな情景を模型で再現したら素晴らしいでしょうね。 昭和41年5月 撮影:青蛙さん

水浜線風景 水戸市内を行く

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青蛙さんの「オリンパスペンで撮った水浜線風景」の最後は水戸市内を行く風景で、
街中を行く路面電車には1960年代が色濃く写し込まれるところが魅力です。

水戸市内を行く水浜線  昭和41年5月

街から少し離れた水戸駅前から二つ目の「三高下」停車場の楽しい風景

さいたま鉄道模型フェスタ 2013

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先日12月22日にさいたま鉄道模型フェスタを見に行ってきました。
昨年、このショーに展示されたCABさんの1/80ナロー仙北キハ2406 のペーパ製車体を
もう一度見たかったが今年は残念ながら参加されていないようであった。
1/80ナローでは南洋物産さんから井笠ホジ1形タイプの車体キットが展示発売されていた。

カラフルな1/80ナローが主体の南洋物産さんの展示

井笠ホジ1形タイプ完成品が走行中
今回1/80ナローでは井笠ホジ1形タイプの車体キットが発売された。

溜池山王界隈

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昨夜は溜池山王の首相官邸裏手に近い居酒屋で元会社の現役・OB達と恒例の忘年会であった。
以前、溜池山王界隈に職場があり昼休みや退社後によく繰り出したこの街の風景を見ると、現役時代がついこの間のような気がしてくる。すっかり整備された溜池山王界隈の夜景は今の東京ではどうという事もないが愛着ある風景にカメラを向けてみました。

外堀通り溜池山王 2013.12.26
東京メトロ「溜池山王」駅を山王パークタワービル出口から地上に出ると、外堀通り溜池山王に出る。背後に首相官邸を控え地下鉄南北線と銀座線が交差するこの界隈は、一時の周辺ビルの改築ラッシュもとっくに終わり一段と華やかな夜景となっていた。

外堀通り溜池山王
東京メトロ南北線がもぐる道路は外堀通りを横切り六本木通りへと向かう

赤坂見附←  外堀通りの向こうに見える首相官邸裏手  →溜池
首相官邸の左手にNTTドコモ本社が入る山王パークタワービルが
そそり立つが余りに巨大(地上44階)でカメラに収まらない。

大晦日の金沢

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学生時代の年末年始の冬休みは絶好の撮影チャンスで、夜行で出掛けて撮り歩き夜行で正月の東京に戻るのを毎年繰り返していた。その中で特に印象深いのが1964年の北陸鉄道めぐりで、年末になると思い出されるのが大晦日の金沢の風景である。
北陸鉄道めぐり最終日が金沢市内線で、大晦日の金沢の街は人々がせわしく行き交い、廃線2年前であったが市内線の停留所には客が溢れていた。もし金沢に市内線が残っていたら今でもこんな光景が見られたかもしれない。

近江町市場の買い物客で賑わう中心部「武蔵ケ辻」の大晦日.1964.12.31

橋場町分岐点


小山のC50123

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明けましておめでとうございます。
今年も「地方私鉄 1960年代の回想」をよろしくお願い致します。


 C50123  小山市駅東公園 

お掃除会のみなさんにより奇麗になった保存機.  2013.12.30
昨年末もまた小山へ行ってC50を磨いてきました。

年末の関東鉄道常総線

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年末の下館(現筑西)市を目指して関東鉄道常総線に初めて乗ってみました。

自宅から北千住まで45分、北千住から「つくばエクスプレス」快速に乗ると守谷まで20分。何と1時間ちょっとで常総線のホームに立つ事ができるとは!  常総線も身近な路線になったものだ。こんな近場の路線でも水街道から先は地方私鉄ムードをたっぷり残す常総線であった。東京通勤圏となる常磐線取手~水街道間は乗客が多いせいか車庫にたむろする気動車は大変な数であった。
昔みた年の瀬の「下館の賑わい」は今もある筈はなく、歩きで見た年末休みの街は静まり返っていた。

つくばエクスプレス下の立派な常総線守谷駅に客待ちの下館行快速が1両  2013.12.30

水海道を過ぎ日光連山を望む関東平野をひたすら北へ直進する
エンジンをふかすと足裏に振動がビンビン伝わって来る

ここが例の太田郷の駅

下館に到着した快速(右)

下館駅のJR水戸線ホームと常総線のりば

JR水戸線下館駅 駅舎の向こうに駅前大型店が

  
1970年頃によく来た下館の面影を残す風景
  

下館駅前一等地の大型店は破綻しひっそりしとしていた.
鉄道やバスの公共交通の利用客減は駅前の活気を失わせる.
どこの街でも綺麗に整備が進んでいるが、反って街が殺風景に見えてしまう。

遠く北筑波の山並みを望む下館の街

常総筑波鉄道筑波線の7号機

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関東鉄道の昔が常総筑波鉄道で常総線と筑波線(後の筑波鉄道)があった。
常総線には汽車製造製で国内向け最大の社形機関車と言われた1-C-1タンク8号9号機が居たが、隣の筑波線にも汽車製造製1-C-1タンク7号機が居た。常総線のタンク機47.5tほどではないが筑波線のタンク機44.7tも私鉄Cタンク機としてはかなり大きかった。
常総線、筑波線の昔はつくば山や日光連山を望む関東平野をこんな堂々たるCタンク機が走っていた訳だ。

常総筑波鉄道筑波線の真鍋機関庫の中に巨大な7号機が鎮座していた. 1962年3月
1924年汽車製造製のつくば形1C1形タンク

 
キャブとサイドの水タンクの形がアメリカン的であった

昭和37年の旅 通りすがりの金沢

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1962(昭和37)年夏の旅は地方私鉄めぐりを目的とした初めての大旅行で、この時に訪問した地方私鉄は紹介済みですが、地方私鉄の合間に写った昭和37年の風景を紹介してみます。

兵庫の別府鉄道からスタートし山陽路から山陰そして北陸金沢に着き、金沢から北鉄能登線を訪問した日は羽咋から津幡に戻り北陸本線で富山へ移動した。こんな旅の合間合間に写った昭和37年の通りすがりの風景は、余りにもありふれたカットで関心もなかったが、今になってよく見ると特に昭和30年代の街の風景は年々その感じ方が変わって来ている。日本の昭和30年代と現在との風景の落差が年々増大しているせいなのでしょう。

金沢市内線  1962.08.02


金沢市内線もまだ単車が活躍していた時代であった

金沢駅のC57  1962.08.02


金沢駅の96
尾小屋鉄道を終えて金沢で一泊した翌朝で、
朝の金沢から国鉄七尾線に乗って羽咋へ向かった.

今年も駅弁大会へ

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毎年1月の年中行事となった京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁大会」が今日からスタートした。
開催期間は1/9から1/21日迄。
昨年はいすみ鉄道に惹かれて大原駅「伊勢えび弁当」を買ってみたがイマイチだった。
今年は“がんばれ! ローカル線えちぜん鉄道三国芦原線”の広告に惹かれて
あわら湯のまち駅「大人のオムライス」1100円を買ってみました。

ようしょく源の屋の あわら湯のまち駅「大人のオムライス」と
“がんばれ! ローカル線”が目についた駅弁大会広告の切り抜き

  
創業明治35年 番匠本店の福井駅「三種盛り かにづくし」は次回に買うことにした。
消えゆく福井鉄道高床車200形を撮りに行くなら、福井駅で番匠本店の各種駅弁を
買って鉄と食の旅にするのも楽しいのでは。しかし撮影の合間にどこで食べるかが問題だ。

ところで駅弁の「あわら湯のまち」駅とは芦原温泉がある旧芦原駅のことで、JR北陸本線の芦原温泉駅は昔の金津駅で温泉街からは離れている。

今のえちぜん鉄道三国芦原線の「あわら湯のまち」駅 2008.10.13

昔の京福電鉄三国芦原線の芦原駅(現あわら湯のまち駅)  1968.01.15
昔ここで泊まった芦原温泉は高級な温泉地の感じであった。

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