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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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東武鉄道 廃車古典蒸機-2

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ピーコック、ネルソン、シャープ・スチュアートなど9両が並べられた廃車古典蒸機中で一際目立って気になったのが32号機であった。ピーコック5500形の完成された美しさとは違って東武のピーコック29~34号はランニングボードとキャブが直線的で四角いベルペア式火室と相俟って無骨なスタイルをしているところに堪らない魅力を感じてしまう。
図面資料集成「東武鉄道の蒸気機関車」の表紙を飾った図面はこのピーコックではないかと思います。

以下はサイト「明治のSL-3」にあった東武29~34号機の解説です。
1914年東武鉄道は増備機として英国ピーコック社から5600形を6両輸入しました、東武29~34号機です。ベルペヤ式火室を使用したためボイラの火室が大きくなり、寒冷地対策のため運転席が密閉式、砂箱がボイラの上にあるなど、外観が今までのピーコックと異なりスマートさに欠ける車両で東武鉄道では「新英形」と呼んでいたようです。
29、33号機は1960年(昭和35年)電化のため廃車解体されてしまいました。32号機は1962年(昭和37年)電化のため廃車解体されました。30,31,34号機は1966年(昭和41年)6月30日の東武鉄道無煙化の日まで働きました。

ピーコック東武32号機   1963.11.24
直線的なキャブ回りとランニングボードの曲線そして四角い火室が特徴

一直線に延びたランニングボード

32号機のテンダー


ピーコック東武32号機


東武鉄道 廃車古典蒸機-3 業平橋

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昭和38年(1963年)11月23日、この日は日米テレビ衛星中継の第一報でケネディ大統領暗殺のニュースが飛び込んできた日であった。その翌日に渋谷駅に集合し業平橋へ行く予定がまたしても朝寝坊で遅れてしまい一人で業平橋の現場へ向かったのでした。
ほんとうにそこが業平橋だったのか? もしかして鐘ヶ淵ではなかったのか? あやふやであったが、ブログにコメント戴いたlodgershinmeishrine さんの航空写真のお蔭で業平橋駅北東に延びる留置線に間違いなしのようです。

50年前に廃車蒸機が並べられたあの現場がまさかスカイツリーが建つ業平橋である筈はないと私の思い込みがあったのかも知れません。蒸機の背後に写った洗濯物を干した2階建アパート、砂利置場、スレートぶき屋根の倉庫、塀の向こうの建物などは当時の航空写真と一致していました。こんな長閑な業平橋の風景が今では「とうきようスカイツリー」駅となってスカイツリーがそびえ建つ街に変貌してしまい隔世の感があります。

54号機の向こうに2階建アパートが見える. 業平橋 1963.11.24

線路わきの砂利置き場、その向こうに2階建アパートが並ぶ

手前にスレートぶき屋根の倉庫とその先に続く建物

塀の向こうの2階建建物

この風景の48年後が↓で、蒸機群の遠方に見えるビル辺りに今はスカイツリーが建つ.1963.11.24

48年前に古典蒸機が留置されていたのは業平橋の留置線であった.
留置線の向こうに東京スカイツリーを建設中の頃.2011.01.27

2012年2月29日スカイツリーが竣工し
「業平橋」駅は「とうきょうスカイツリー」駅となる

小湊鉄道 桜を求めて

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2008年の小湊鉄道訪問では4月1日に飯給と月崎で菜の花を撮ったが、その2日後の4月3日は都内の桜がちょうど満開であった。この日小湊鉄道の桜を期待して月崎の一駅先上総大久保まで入った。中間点の上総牛久の手前馬立は桜満開であったが、上総大久保あたりは桜満開には少し早かったようだ。

月崎~上総大久保の駅間距離は2.5kmであったが線路から離れて曲がりくねった峠越えの道路を歩くとかなりの距離があった。峠越え道中で上総大久保駅手前を俯瞰するポイントで撮ったがきっと多くのファンがこの場所を訪れていることだろう。小湊鉄道でつらいのは上総牛久の先は行き帰りに乗る列車を除くと撮影できる列車が1日4本程度しかないことである。

馬立の満開桜 2008.04.03

上総大久保の人気撮影ポイント

月崎-上総大久保
蛙の鳴き声賑やかな春の田んぼを見て桜の上総大久保駅へ向かう気動車

菜の花の土手が続く月崎-上総大久保間

月崎の桜

月崎の桜と菜の花

東京の桜 2008年

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小湊鉄道へ向かった2008年4月3日は西武新宿線武蔵関の桜が満開であったが、ピークを過ぎていたのか翌日には花吹雪になって散ってしまった。この頃、4月のデビューを目前に西武30000系が盛んに試運転をしていてピカピカのスマイル電車が初めて桜と出会った。

この頃西武新宿線では朝の新101系定期運用が何本も走っていた.
武蔵関 2008.04.03

小湊鉄道へ向った日の朝の西武新宿線.この日東京の桜は満開であった.武蔵関 2008.04.03

小湊鉄道へ行った翌日.花吹雪で石神井川が真っ白となり東京の桜も終わる.2008.04.04

デビュー直前の30000系が盛んに試運転をしていた.2008.04.04
新宿線にデビューしたのは2008年4月26日

東武鉄道 廃車古典蒸機-4

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業平橋に留置されていた東武鉄道の廃車古典蒸機9両の号機(不明1両)は下記の通りであった。
生まれや経歴の異なる9両の古典蒸機を調べるのは大変厄介だが、原典として信頼できる鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり東武鉄道の「東武鉄道の蒸気機関車一覧表」から形式他を各号機写真に記載してみました。
そして図面資料集成「東武鉄道の蒸気機関車」 石島治久著を本日買いました。この本の美しい図面集を見ると東武古典蒸機の分類がひと目で判る感じでした。    


東武B3形 自社発注したB.Peacock1914年製 29~34号の32号機  業平橋 1963.11.24


東武B4形 元国鉄で1922年入線したSharp Stewart1898年製 35~40号の36号機

東武B5形 元国鉄で1923年入線したNeilson1900年製 41~50号の42号機

東武B1形 元国鉄で1925年入線したB.Peacock1914年製 54~56の54号機

東武B1形 同上 B.Peacock1914年製 54~56号の56号機

東武B6形  元国鉄で1937年以降入線したNeilson1900年製 60~64号の61号機

東武B6形   同上 Neilson1900年製 60~64の62号機

番外の東武C11形 自社発注したC112

参考文献: 鉄道ピクトリアル アーカイブコレクション27「東武鉄道」
       図面資料集成「東武鉄道の蒸気機関車」 石島治久著

銀河鉄道(岩手軽便鉄道)のイメージ

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尾小屋鉄道
か細いレールが周囲の自然にとけ合ったナローゲージ鉄道。
日本の各地でまだカタコトカタコト走っていたのどかな時代。
こんなシーンに心のぬくもりを感じていただけたら・・・

花巻電鉄 西公園停車場

宮沢賢治の銀河鉄道と言えばそのモデルとなった岩手軽便鉄道(後のJR釜石線)。可愛らしいボールドウィン製Cタンク蒸機が牽く列車が花巻からカタコト走っていた軽便鉄道。こんなイメージのみを写真展「懐かしき軽便鉄道」の案内で表現したことがあった。

今や死語となってしまった「軽便鉄道」を説明するのにどんな言葉を使ったら良いか?
で浮かんだのが銀河鉄道=岩手軽便鉄道であった。
しかし岩手軽便鉄道を知る人は今やまず居ない。銀河鉄道のイメージしかない。
尾小屋鉄道の軽便SL列車や宮沢賢治の花巻の写真から小さな軽便鉄道を
イメージしてもらおうと使ったのが上の写真であった。

ところで、
花巻電鉄に岩手軽便鉄道の残党の貨車がいた!
昔、岩手軽便鉄道は花巻電鉄と一緒の花巻駅から発車していた。そんな関係からか岩手軽便鉄道の多くの無蓋貨車、有蓋貨車が花巻電鉄に譲受され、昭和39年に残党を見る事ができた。

ト3形4 大日本軌道製 昭和3年譲受 花巻駅 1964.08.02
旧岩手軽便鉄道 ト252

EBの隣の有蓋貨車も残党かも?

花巻電鉄の貨車

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花巻駅構内にあった廃車貨車に続き、昭和39年に現役で活躍していた貨車を並べてみました。
ワ1形は鉄道線所属と軌道線所属でサイズや形状が全く異なる貨車でした。

鉄道線所属 ワ1形1 雨宮製.  1964.08.03
廃車ワ4と同形の大柄な木造貨車で外板を鉄板張りにしたもの

可愛らしい軌道線所属 ワ1形3  車掌室・ハンドブレーキ付

軌道線電車にくっ付いて鉛温泉近くを行く ワ1形 

満員電車の荷物室代わりに繋がれていた小さなワ1形. 軌道線西花巻 1964.08.03
人で賑わっていた時代の軽便風景に貨車が花を添える.

仙北鉄道の貨車

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1960(昭35)年、生まれて初めて見た軽便がこの瀬峰駅の仙北鉄道であった。青森行き鈍行列車が瀬峰駅に停車すると屋根上に案内「仙北鉄道のりば」がある駅に小さな車両がいる軽便の世界を確認することができた。夢中で蛇腹式カメラのシヤッターを押して撮ったのがこの写真で古いノートに1枚だけ小さく切って貼ってあった。この写真の4年後に仙北鉄道の訪問が実現した。

東北本線から見た仙北鉄道瀬峰駅  1960年7月

花巻電鉄に続き仙北鉄道の貨車や荷物車を集めてみました。
瀬峰駅の積替え場留置線の貨車群  1964.08.04


国鉄と軽便の積換えホーム ワ64 1966.02.28


ワフ5形53 1964.08.04


国鉄貨車と軽便貨車ワフ5形52  1964.08.04


ワフ5形54 1966.02.28


ワ610  1964.08.04


ト6形69   1964.08.04


ト6形68  1964.08.04


ニフ1409と1405   1966.02.28


ニフ1405   1964.08.04


仙北鉄道の貨物列車

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廃線前の仙北鉄道は貨物輸送も乗客輸送も賑やかで軌道の保守もしっかりし活気があった。会社が1964年に宮城バスと合併すると「宮城バス仙北鉄道」となり他の軽便同様にバス事業を主体とする会社の鉄道部門となった。

こんな「宮城バス仙北鉄道」になってからも続いた仙北鉄道の活気を昨年4月の「廃線前の活気」で紹介したことがありました。あの時の貨物列車は長大編成だけでなくこんな貨物もしきりに走っていました。よほど貨物量があったのでしょう。

DC102が忙しくロッドを振り回しながら浅部を通過して行く. 1964.08.04

佐沼駅の賑わい.長大編成から切り離されたニフの荷降ろし作業.1966.03.01
こんな荷物がニフで運ばれていた.

西武新宿線の立体化

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新宿線中井~野方間の地下化工事が開始されたそうで、特徴ある今の新井薬師前駅も消滅する運命に。
西武新宿線の魅力は地上駅にあったが、新宿線の立体化は更に東伏見までの計画があり、多くの駅は立体化で魅力を失い一体どんな光景になってしまうのか。


地下に潜る新井薬師前駅 2008年7月

夏の野方駅 2008年07月

野方~井荻間は地上線が残る? 2008年07月

夕方の上井草駅 2008年4月

N101系と上井草駅 2008年5月
こんな駅風景も消滅か

新井薬師前のカーブ駅

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2008年に撮った或る日のカーブ駅の風景。
縁があった駅ではないが今の風景が消えるとなると寂しいものです。

撮影:2008年7月

西武新宿線 新井薬師前~沼袋

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地下化される新井薬師前~沼袋の今を撮ってみました。撮影: 2014.03.24

新井薬師前駅北口 

立体化される中野通りの踏切 

新井薬師前-沼袋

沼袋駅の全景

沼袋駅風景
こんな当たり前の駅の日常風景は何年かすると地下鉄駅のようになってしまう.

沼袋駅風景

沼袋駅の脇で始まっている地下化の工事.


小湊鉄道 2010年の春

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2010年の小湊鉄道訪問では上総大久保の先 養老渓谷まで入ってみた。
菜の花が衰えるなか桜はまだこれから。
東京の桜満開から一週間待って再度訪問すると里見の桜が満開であった。


蕾がふくらんできた上総大久保の桜 2010.03.30

養老渓谷~上総大久保間の菜の花と咲き初めた桜. 2010.03.30

 里見の桜 2010.04.09
この年の東京の桜満開は4月2日であった。

西武新宿線 昨日の桜

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都内の桜は今日あたりが満開でしょう。

地下化で消えゆく中野通り踏切. 新井薬師前-沼袋 2014.03.31

立体化で消えゆく運命の地上線. 武蔵関-東伏見 2014.03.31

葛生のナロー3

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この季節になると葛生の奥で春の陽を浴びて活躍していたナローの光景が無性に懐かしくなる。
モノクロで撮った1971年の「住友セメント唐沢鉱山」は小型ホッパー車がよく似合っていた時代であった。
こちらに「葛生のナロー2」があります。

1971.04.25



葛生のナロー4

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よく晴れ渡った4月末の唐沢鉱山。
山々の木立ちが石灰の粉塵を被っていたが、モノクロ写真では新緑が美しく見える。
小型鉱車はここで石灰岩を積んで住友セメント栃木工場(葛生)まで搬送していた。

終点の唐沢鉱山の施設が近代的に思えてしまいこの積込み場には二度と来る事がなかったが、
今になってみると小型鉱車がいた頃の唐沢原石軌道の全てが興味深い。

唐沢鉱山の石灰岩積込み場. 1971.04.25

さんさんと陽が射す長閑な風景とDB機関車

20両近い小型鉱車の編成

人車と狭いせんろがある風景

葛生のナロー5

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葛生から鹿沼を通り宇都宮に向かう国道293号線を走ると、葛生にあるセメント工場から出ている軌道が併行し、やがて軌道を横切る踏切に出る。この道は車で何回か走ったことがあり、この辺りで待っていれば頻繁にやって来る列車をいくらでも撮ることができたのにいつも素通りであった。
この写真を撮った日は初めて車を使った鉄道撮影で、余りにも楽ちんな沿線撮影であった。

国道293号線の踏切で、交換所があり行く手に石灰岩採掘の山が見える.1971.04.25

踏切を通過して行く鉱車.
半年前に中古カローラを買って、住んでいた小山から葛生まではあっという間であった.

交換所

3'6''ゲージ会沢線と並走する区間に入る

会沢線と別れハイライト区間に入る

踏切の手前を住友セメント栃木工場へ向かう列車

縮尺1/6のナロー鉄道

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先日、OB先輩の縮尺1/6のナロー鉄道を訪問し人力トロッコに試乗させてもらいました。

家の周りに敷かれた「狭いせんろ」5インチ(127mm)ゲージは6倍すると30インチ(762mm)ゲージとなる。エンドレスと引込線からなる線路配置はまさにレイアウトの感じだ。
庭の自然にとけこんだ本格的な「狭いせんろ」は見ているだけで楽しく、製作中の牽引車両などが完成して走行すると巨大な乗れるナローレイアウトとなる。
なんともスケールのでかいナローレイアウトである !

実感的に作られた縮尺1/6の線路(127mmゲージ)   2014年4月

引込線と縮尺1/6模型の大きさ

製作中のナロー木造客車の巨大なこと!

東急の電動貨車デワ3000形

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東急碑文谷工場のデワ3000形3001を撮りに行ったのは1963年の4月であった。
この3001は1963年まで放置されていたらしく、このあと解体となったのだろうか。
東急にはデワ3000形とデト3010形がいて、デトはその後デワに改造されたものもあり、これらのデワ3両が秋田中央交通のデワ3001~3003となっている。秋田ではデワが気動車崩れのトレーラを牽く光景が実に魅力的であった。

碑文谷工場のデワ3001  1963年4月

1947年に東急の電動貨車デト3011を譲受した江ノ島電鉄デト2   1963.4.28


吹雪の五城目車庫
秋田中央交通軌道線のデワ3002と3003  1966.03.05

模型用の形式写真 デワ3001

身近な私鉄車両めぐり

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碑文谷のデワ3001を撮りに行った1963年4月は玉川園前から二子玉川園へ出て下高井戸から京王線の桜上水車庫へと向かった。当時の東京の風景が背景に写っていないか必死に探したが車両だけで身近な私鉄を撮るといつも「車両めぐり」になっていた。あの頃の身近な私鉄では車両以外は全く関心がなかったのだろう。

多摩川園前駅(現在の多摩川駅)を行くデキ3021.  1963年4月
背後に目蒲線と多摩川園遊園地が見える.

東急デワ3041の木造車時代

惜しい事に何枚撮っても車両以外は何も写っていなかった二子玉川園駅の風景.
当時の二子玉川園駅は今では信じられない長閑な風景に満ち溢れていた.

京王線の電動貨車デト212. 桜上水車庫

デハ2600形 桜上水車庫

調べると疲れる京王中型車で中間車となったサハ2531. 桜上水車庫

京王線桜上水駅の風景. 
どちらの2010系も中型車で中間車となったサハが組込まれた編成であった.

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