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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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安比奈の鉄連コッペルの今

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数日前、フランクフルトの博物館へこれを見に行った知り合いからこんな写真がFacebookに飛び込んできました。コメントに「鉄道連隊E103でユネスコ村以来30年ぶりの再会です」と。

えっ ユネスコ村に展示ということは安比奈の鉄連コッペルではないか! ということでブログで昔の記事「安比奈のコッペル1と2」を開けてみました。
安比奈にあったあの鉄連コッペルE103がドイツで美しく復元されていたのでした。

入間川の河原で泥に埋もれ泥だらけで放置されていたあのコッペルがあれから50年、ドイツに里帰りしてまさかこれほどまでに美しく復元されるとは驚きです。

元西武3号機(鉄道連隊E103) フランクフルトの博物館  2015.09.13 掲載了解済


 西武3号機(鉄道連隊E103) 1965年2月  

西武2号機(E16)

西武3号機(E103)と 2号機(E16)

西武2号機(E16)

1号機(E18)と3号機(E103)がユネスコ村に展示されていた頃


栃尾線 長岡駅

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1964年3月22日、ともに越後交通栃尾線を訪問した田辺さんの写真から長岡駅に休む様々な車両と東洋工機製で新造された垂直カルダンドライブ車について補足してみました。これら人気の新造電車もツートンカラーになる前のマルーン一色の時代で地味な存在であった。この後、客車牽引から総括制御編成化など次々と近代化の手を打ったが1975年3月に早すぎる廃線で幕を閉じた。

撮影:田辺多知夫氏 1964.03.22

長岡駅の奥にある2線建屋(工場)の前に休むモハ212

悠久山行へ発車した列車

自社工場製ジュラルミン車体のモハ210

貨物線の長大貨物列車

ユニークな電車 モハ209

ガソリンカー→電車化→客車化のホハ25

ホハ23(元江ノ電)


モハ214、そして廃線まで活躍した215は生まれたばかりの新車であった。後に電装解除される。

1973(昭48)年廃車のモハ214
モハ214の垂直カルダンドライブ(電動機1ケ/1台車)

栃尾線 悠久山駅

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悠久山 1964.03.22 撮影:田辺多知夫

日本のマイカー時代が幕明けする直前で、栃尾線でも長岡市郊外の悠久山や上見附まで人々の足はまだ軽便鉄道であった。悠久山や上見附の駅では珍編成の列車が到着するたびに駅は乗客で賑わっていた。今、地方ではマイカー利用から鉄道を利用したコンパクトシテイ指向が注目だがライトレールの一つとしてこんなコンパクト鉄道の現代版が一翼を担う時が来るかも知れない。もちろんナローとは云え近代化車両と設備で。

ここに集う車両はまさに鉄道博物館

堂々とした体格の元草軽のモハ208. 神鋼電機の垂直カルダンドライブを装着

後ろのカマボコ客車(2両いた)の1両から生まれた驚きの電車モハ211

カマボコ客車と元杉並線の客車化を牽くモハ211の珍編成.
こんな珍編成は模型の世界で再現する楽しみがあります。

目いっぱいパンタを張り上げたモハ213

凸凹客車編成の話題が出たところで強力電車が牽く編成を.  上見附
ホハ28+ホハ10+ホハ17+モハ209

越後交通 長岡線

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栃尾線から3年後たった越後交通の長岡線をのぞいてみましょう。
私が長岡線を訪問したのは旅客廃止直前の1975年3月でしたが、田辺さんは1967年に訪問していて、まだ小田急電車一色になる前で魅力的な電車が走っていた頃でした。

モハ2001 西長岡  1967.02.23   撮影:田辺多知夫

モハ3001

 これぞ元京王デハ2125を2扉化したモハ3005ではないか

モハ3005+ホハ33or34(元目蒲)

あの頃の飯山線

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越後交通長岡線を訪問した昭和42年2月の田辺さんの足跡をネガから追ってみると、長野電鉄を撮ったあと飯山線を撮り越後川口に出て上越線で長岡に向かい越後交通長岡線(栃尾線は3年前に訪問済)を撮影していた。昭和42年あの頃はまだ地方私鉄も国鉄ローカル線も良き風景(車両)が残されていた時代であった。

C56の客列車  森宮野原  1967.02.22  撮影:田辺多知夫


 森宮野原


越後川口

長野電鉄  夜間瀬

越後交通 長岡線の電機

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コメントで長岡線のスノープロウの話題が出ましたので、この時の西長岡の電機もアップしてみます。2月下旬、雪が少なかったせいか電機のスノープロウは外されています。

ED401 (相模鉄道ED10形と同タイプ)    西長岡  1967.02.23   撮影:田辺多知夫

 ED311 (東芝製標準機を模範にした西武所沢工場製)

電機代わりに使われていたのかモハ2001

そして同じ日の栃尾線でスノープロウを装着したモハ212   長岡

この頃は長野電鉄で活躍していたED5002  むらやま  1967.02.22

1975年の長岡線の電機は→地方私鉄の電機越後交通長岡線にもあります。

昭和42年 良き時代の長野電鉄1

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私が長野電鉄を片手間に訪問したのは1970(昭和45)年で、その時は長野電鉄の古豪電車が走る魅力が僅かに残されていました。その3年前の昭和42年に訪問した田辺さんのスキャン画像を見ると昭和45年とは違って良き時代の長野電鉄だったようです。この時代の僅か3年の違いは大きい。

昭和42年春で鉄仲間は解散し、私はもう地方へ撮りに行くことも滅多になくなったが、その後、田辺さんは昭和44年ごろまで地方を同じペースで撮り続けていたことが遺されたスキャン画像から判りました。私はこんな良き時代だった長野電鉄のことを何も知らずこの頃志賀高原にスキーに行って湯田中まで乗車したのに長野電鉄には全く無関心でした。
昭和42年2月 良き時代の長野電鉄を田辺さんが遺された画像から追ってみます。

撮影:1967.02.22 田辺多知夫

夜間瀬  facebookの予告写真

モハニ200形

モハ600形
モハ600形
モハ610形   村山橋

昭和42年 良き時代の長野電鉄2

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この時代の長野電鉄で活躍していたのは古豪電車だけではないのですが、好みの電車からアップしてみます。時代とともに改番が続いた電車形式は後回しとして。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

モハニではなかったモハ100形.信州長野

 モハ300形(302)   信州長野

モハ300形

モハ100形

モハ300形

モハニ510形(512)  須坂

モハニ210形(211)と並んだ昭和41年登場の「OSカー」0系.  須坂

 モハニ

第11回 軽便鉄道模型祭1

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昨年は行けなかった軽便まつり、今年は行ってきました。
今年も素晴らしい作品の数々、とても全てを十分に見ることは困難で好みの旅客扱いの軽便鉄道からレポートしてみます。
毎度思うのですが軽便鉄道の作品を撮るとどれも実物以上に美しい、それは軽便車両のカラーリング、昭和の街並みの色、季節感あふれる樹木の色、そんな色合いと緻密に作り込まれた工作力で軽便鉄道の美しさが引き出されるのでしょう。

軽便モジュール倶楽部  尾小屋鉄道「郷谷川橋梁」 1/87 9mmナロー

軽便モジュール倶楽部  尾小屋鉄道「金野町夏の田園」

馬面電車の走る秋 ~福島電軌道ものがたり~  1/87 9mmナロー
12mmではなくNゲージの下回りを利用したところが凄いアイデアです。

昭和のジオラマの題材が溢れていた福島の軌道線.昭和39年夏

Oナローモジュールクラブ  草軽電鉄 落葉松沢駅  1/48 O番ナロー

Oナローモジュールクラブ  今回の注目のシーンだったのですね。
1/48 ナローのレールが美しい。

小茂内鉄道 山奥線  1/87 9mmナロー
TMSに発表されたあの思川鉄道のインパクトはやはり相当なものだったのですね。

第11回 軽便鉄道模型祭2

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軽便モジュール倶楽部 尾小屋鉄道 観音下の鉱山ケーブルの下を行く。

1970年11月

尾小屋も沼尻も鉱山鉄道であったが、それとは異質の旅客営業のない鉱山専用鉄道は私にとって未知の世界。こちらは色合いが一変する。2フィータの世界は興味深々で神岡や明延のような客扱いの客車(超珍品)が組み込まれると変化あって楽しいのだが。

Oナローモジュールクラブ  Oナロー2 12 1/48 鉱山機関車

 Oナロー2 12の下に並んだOナロー16.5mmがまとも過ぎに見えた。

昭和42年 良き時代の長野電鉄3

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小田急やJRの特急車両、東急や営団のステンレスカーなどの中古車が入線してくるずっと以前の昭和42年、古豪電車や自社発注の美しい電車が活躍していた。「OSカー」0系も入線したばかりピカピカの電車であった。現在と比べるといかにも私鉄らしい華やかで美しい時代の長野電鉄であった。

撮影:1967.02.22  田辺多知夫

 2000系  夜間瀬 


2000系 須坂


クハ1550形 須坂

1100系 夜間瀬 


クハ1550形 須坂

「OSカー」0系 須坂

ED5001  須坂

ED5002

昭和38年 何だこれは! の金沢1

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私が北陸鉄道金沢周辺を訪問したのは1964(昭和39)年12月であったが、田辺さんはその1年前の訪問であった。金沢市内線で犀川の橋を渡るとその先に石川総線の「のまち」があって、北陸鉄道の本線なのに物凄い世界があった。その後、電車はあっという間に入れ代わってしまったのでしょう。

撮影:1963.07.13  田辺多知夫

石川線の野町駅で市内線がここまで来ていた.
駅が乗客で賑わっていて活気があった時代。

野町駅の先に白菊町へと延びていた線路とED201

石川線のモハ3002準急白山下行で、当時は白山下まで線路が延びていた.
電車は乗客でいっぱいです。

くたびれた電車モハ5104

奇怪な感じがする工場の引込線風景と電動貨車

浅ノ川線でも見たような電車モハ3152が現れる
上と同じ場所に現れたED201
貨物線入替作業で警報器代わりに向こうとこちらに立つ踏切番か?

金沢市内線が犀川を渡って野町駅前へ向かう

市内線の緑単車 野町駅手前のカーブでしょう.

市内線が石川線と接続する石川線野町駅前

昭和38年 何だこれは! の金沢2

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北陸本線金沢駅の片隅から金石街道に沿って日本海へ向かって走る金石線の昭和39年12月時点を紹介してありますが、田辺さんが撮った昭和38年7月はたった1年半前なのに結構違いがあるようです。
一見昭和39年とおなじような風景でもよく見ると、電車や電機がまだポール時代で、ひなびた客車は電車に牽引されてまだ活躍していました。この1年半後には客車牽引はなくなりポールからパンタに交換され、寄せ集め車両の淘汰があったなど、この昭和30年代後半は僅かな期間でいかに地方私鉄が変化して行ったかが分かります。
何だこれは! の世界が急速に消えていった時代だったのでしょう。

撮影:1963.07.12 田辺多知夫


中橋を発車したモハ1831+サハ521 

まだ活躍していたサハ552+サハ551 中橋

2軸駆動のEB電機(EB301)の背後に写った金沢の裏町風景 中橋



ポール電車モハ1831 中橋

浅野川線から転籍してきた異タイプのポール電車モハ1601 中橋の車庫
この後小松線へ転じてトレーラとなる.
中橋のモハ3351. この頃の排障器もやがてなくなる.


北陸本線金沢駅の風景

北陸本線金沢駅構内.金石線中橋駅への連絡線が左手に延びていた.

終点大野港の金石線新造車モハ3301とサハ551
一番奥に留置されているのはサハ600形(元名古屋市電) 単車サハ701


昭和38年 何だこれは! の金沢3

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撮影:田辺多知夫 1963.07.12

急行「ゆのくに」交直流電車471系 金沢 1963.07.12
この写真の数ヶ月前1963年4月20日に金沢~福井間が交流電化され、金沢駅は赤い新型電車の急行「ゆのくに」や「加賀」などで賑わっていた。こんな華やかな金沢駅とは対照的な存在の「何だこれは!」の世界が金沢の片隅にあって北陸鉄道石川線、金石線を紹介してきましたが次は浅野川線です。

急行「加賀」

モハ572 北鉄金沢
この古ぼけた単車は貨物用に使われ北鉄金沢駅から延びる国鉄連絡線で使われていたようだ。華やかな国鉄交直流電車とはあまりにも対照的な凄い風景。

貨物は電車が牽いていた

サハ211+サハ221
翌年に見たときは内灘の先に延びる廃線跡に放置され荒れていた。夏には内灘の先まで延びていた線路を電車に牽かれて海水浴客を運んだようだ。

クハ1602 この頃の浅野川線はマトモな電車で他線に比べインパクトは少なかった.

狭苦しい北鉄金沢駅

金沢の宿屋から見た金沢市電

廃線まで大きな変化は無かった金沢市内線. 金沢駅前

昭和39年 何だこれは! の金沢4

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翌年の昭和39年10月に田辺さんは再度北陸鉄道を訪問し小松線、石川線、市内線を撮っていました。この頃の小松線は北陸鉄道各線から玉突きで追い出されてきた古典物や小さな車両の寄せ集め場で、漫画に出てきそうな小型電車が写っていました。

1971年に金石線からモハ3000形5両が入線したのを境に、以降廃線まで何の変哲もない小松線になってしまったのですが、1965(昭和40)年までは種々雑多なトレーラや2軸電車が在籍していました。
1962(昭和37)年に私が訪問した記事 北陸鉄道 小松線1に奇怪なトレーラ他を紹介してあります。

撮影:田辺多知夫 小松  1964.10.05 
ちっさな日鉄自動車製の兄弟モハ1002+モハ1001   1971年廃車
北鉄松金線→小松線 近江鉄道と同形


笑える可愛い電車モハ1001
オデコを何にぶつけたのか凹んでいる。

モハ1201  1971年廃車
能美電気鉄道(能美線)木南製デホ→金石線→小松線

サハ701+モハ502  1965年廃車
左 サハ701金石電気鉄道(金石線)デハ→サハ→小松線.前年に大野港駅の奥にいた単車.  
右 モハ502、501白水電気鉄道(小松線)デハで開業時からの電車.

モハ1814
加南線→金石線→小松線


昭和38年から数年後の小松線. 1967.09.29  撮影:katsu
雑多なトレーラは1965年までに整理され小型電車の時代が1971年まで続いた。

 1001のオデコの傷は治っていてツートンカラーになった.

モハ1201と1002

小型車3両が健在で、まだよき時代が続いていた小松駅


昭和39年 何だこれは! の金沢5

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田辺さんが翌年10月に訪問した北陸鉄道石川線は、あれから1年経ったためかあの「何だこれは!」の驚きの度合いは弱まった感じです。ダブルルーフのモハ3151や田舎電車モハ1501などがまだ活躍していた石川線の新西金沢~鶴来を訪問したようで、まともな電車あり雑多な電車もありの時代であったようです。

そして、この3ヶ月後の12月末に私は能登線、石川線を除く北陸鉄道各路線を一気に駆け巡りました。その後、市内線、金石線、加南線各線が廃線になり、しばらく経って能登線、能美線、小松線が廃線となった。

撮影:田辺多知夫 1964.10.05 

石川線生え抜きのモハ1501  鶴来 

単行の準急白山下行モハ1501  鶴来

モハ3152   鶴来

モハ3004

白菊町行モハ3004   新西金沢
3000形1~5の殆どが金石線に移籍していて、最後は小松線に集結した。

急行白菊町行クハ1001+モハ3201(元加南線)   新西金沢

新西金沢の車庫

小松線モハ551→石川線EB111   新西金沢
山中線の前身である山中電軌が山中 - 大聖寺間の電化に合わせて1912年に新製したデハ2を出自とし、1929年に車体を新製、一斉改番を経て1951年に小松線へ転入したが、1956年には石川線に転出して事業用車となった。(wikipedia)

廃止3年前の金沢市内線と金沢の街

昭和38年 昭和の風景 富山駅前

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昭和30年代後半の日本の変貌期は私にとって最も昭和らしさを感じる風景であった。さらに時代を遡ればいくらでも凄い世界があるが私はカメラ普及以前の「手の届かない世界」はとっくに諦めている。昭和の風景とはどの年代をさすかは、見る人の年齢によって様々異なるのでしょう。

この時代の富山駅前のこんな風景も私にとって昭和の風景を感じさせてくれる。路面電車があるこの時代の昭和の風景は駅前や街中に人々が溢れ、背景に薄汚い街並みや看板が写っているのが特徴。まだクルマ社会到来前で路面電車や駅前通りが栄えた時代だったのでしょう。

撮影:田辺多知夫 富山 1963.07.12
 笹津行き電車 富山駅前
朝の通勤通学客

富山駅前
1年前に泊まった駅前旅館「月見旅館」が見える

薄汚いこんな風景はどこにでもあった時代. 富山駅前
市内線単車と笹津線の高床電車が並んでいる。


北陸本線 石動駅

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北陸本線の金沢と高岡の間にある石動(いするぎ)駅といえば加越能鉄道加越線。
北陸本線はこの年に金沢まで電化され石動は電化工事が始まる頃で、石動駅の片隅には加越能鉄道のりばがあって砺波平野を庄川町まで19.5Kmを走っていた。東急車両製で湘南型2枚窓のキハ120形2両は加越能鉄道の廃線後関東鉄道に転じ鹿島鉄道で有名な人気者キハ431と432となった。。
一連の北陸を撮影した田辺さんは富山から金沢へ向かう途中、石動駅に降りて加越能鉄道とDF50や特急白鳥を撮っていた。 加越能鉄道はこの9年後1972年9月に廃線となった。

撮影:田辺多知夫 1963.07.12  石動駅

北陸本線石動駅の全景 特急「白鳥」

石動駅の端から出ていた加越能鉄道加越線.発車を待つキハ3 昭和6年日車製

石動駅の加越能鉄道

ハフ31(元キハ1)  サボに表示された「石動⇔庄川町」


まるで模型のような外観の機関車DL112 昭和32年東急車両製
中々アカ抜けしたスマートな機関車です.

加越能の珍車キハ15001. 構内には北陸本線電化工事の電柱が並ぶ.
昭和28年輸送機工業製で、将来の電化に備え過ぎて失敗した車両.外観は電車形で台車はFS13を履いている(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり4より)
FS13台車を履いた電車になりそこねた珍車

「いするぎ」の駅名

石動駅信号機切替レバーで、1本しかないのは国鉄用ではなく加越能鉄道用ではないかとのこと。ネコパブ「国鉄時代」に連載中「鉄道施設探検」の榊原氏談


石動駅のDF50 (再掲載)

キハ82系特急「白鳥」

これから電化工事が始まる北陸本線を倶利伽羅峠へ向かう汽車の車窓で、沿線の民家や電柱を運ぶ日通トラックが見える.

参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第4分冊 1963年

津軽鉄道

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昨日と本日に津軽鉄道85周年記念イベントがあるのですね。
多くのファンが駆けつけているようで、
50年も昔に見たDD35型が牽く列車の今を見てみたいものです。

DD35型  五所川原  1966.03.03
五所川原機関区

五所川原 津軽鉄道のりば
十川~一野坪(S49年廃止駅)
キ1とキハ2406
オハ31系(元国鉄)とナハフ1200形(元西武)

国鉄蒸機 駅撮り写真

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「国鉄時代」Vol.43 2015-11月号に掲載された「筑豊」~蒸機王国の黄昏~を見た人は多いことでしょう。毎号素晴らしいグラビアを飾っている堀越庸夫さんの蒸機写真には圧倒され、今月号も「筑豊」のグラビアに目が釘づけになりました。

私が好きな国鉄蒸機の写真は走行中の定番写真よりも駅や機関庫で撮られた情景写真です。
当時は駅で撮るなんてナンセンス、一刻も早く良い撮影ポイントを求めて歩き回るのが当たり前だったと思います。駅(ホーム)で撮った国鉄蒸機は誰が撮っても、どこで撮ってもみな同じ、駅撮り写真は単に車両写真に過ぎないと当時私もそう思い込んでいました。

ところが駅撮り写真は視点を変えてみれば本橋成一プロの「上野駅の幕間」のように無限の題材が当時の駅にあったのですね。堀越さんは1960年後半にはこのことを意識し始めたそうです。
国鉄の駅や機関区を訪問した時、私ももしこのことに気付いていれば、あの時撮った国鉄蒸機の写真は無駄にならず宝物になったことでしょう。

「国鉄時代」に記事連載中の堀越さんや榊原さんと先日の鉄談義でこんな話題になりました。国鉄、私鉄問わず鉄道写真の魅力の一つは駅にありと私は強く思っていますが、好みや楽しみ方は人さまざまですね。


直方駅は伊田線、宮田線の乗り換えもあり、4番線まであるホームのどれかにはいつも乗客がいる活気ある構内だった。しばし休息するC55のスポーク動輪に朝日が射す。1971.11 直方
撮影:堀越庸夫 「国鉄時代」vol.43より


堀越庸夫さんのホームページ


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