Quantcast
Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
Viewing all 1195 articles
Browse latest View live

庄内交通 砂丘の中の七窪

$
0
0
昭和41年の「東北私鉄めぐり」は田辺さん青蛙さんと一緒で、2月27日上野発21:00の上越線羽越線まわり秋田行急行「羽黒」のナハ11に揺られてうす暗い温海駅に到着したのが5:30。冷たい雨の中を日本海沿いを走る羽越線C57の撮影からスタートした。9日間の旅で旅館に泊まったのはたった1泊のみ、あとは周遊券を使った連夜の夜行列車泊であった。朝食抜きで一番列車から撮影するのはすこぶる効率が良かったが空腹と寝不足の旅であった。

海岸沿いの羽越線列車を撮ってから庄内交通が出ている鶴岡に到着したのが昼頃。電車は出羽三山を望む庄内平野をしばらく走ると善宝寺に到着した。ここから風景が一変し松林の中を抜けると砂丘が現れそこに七窪駅があった。終点の湯野浜温泉まで乗って湯野浜温泉駅と日本海沿いを撮ってから七窪に戻った。三人は思い思いの撮影ポイントを探して散りぢりとなり田辺さんが望遠で捉えた七窪がこれらの写真であった。以前アップした私の45mmレンズで撮った七窪とはだいぶ感じが違って見える。

砂丘の中にあった七窪駅 1966.02.28

七窪の風景にふさわしいモハ7(元京王電軌)が盛んに往復していた。

善宝寺に近く海から離れているところでも民家に風よけの囲いがあった。

善宝寺を過ぎると松林へ入る。
善宝寺~七窪の松林区間

善宝寺駅へ進入する101


ロクサン形電車

$
0
0
相模鉄道と小田急ののロクサン形電車を集めてみました。小田急のロクサン形1800には随分お世話になったが、昭和30年前後? に相模鉄道ツートンカラーのロクサン3000系が新宿方面へ走っているのを小田急喜多見駅で見たときは驚いた。昭和30年代に夏期限定で小田急に貸し出されたことがあったそうだ。

1946年から、運輸省(鉄道軌道統制会。のち鉄道車輌統制会)の統制の下、大手私鉄に運輸省標準型電車としてモハ63形を割当供給し、その代わりに中小型車を地方中小私鉄に譲渡(供出)させることになった。1948年までに合計120両が統制会の手を通じて各社に供給された。(wikipediaより)

撮影: 田辺多知夫
相模鉄道3000系  本厚木→横浜行き小田急乗入 海老名 1963.07.08

相模鉄道3000系横浜行 海老名 1963.07.08

相模鉄道3000系 1964.06.01 

小田急1800形車体更新後   相模大野  1963.07.08 

小田急1800形  1964.11.13 

以下はロクサンがいた頃の風景です。

相模鉄道2000系 横浜→本厚木行き小田急乗入 海老名  1963.07.08

 小田急NSE(1963年3月運用開始)が田んぼの中を行く海老名駅風景 1963.07.08

相模鉄道でこんな6000系が登場していた。 海老名 1963.07.08

昭和30年に登場した相鉄5000系 1964.06.01

昭和40年7月北海道 藤田炭鉱

$
0
0
田辺多知夫さんの昭和40年7月北海道は古典蒸機を訪ねての旅でした。これは凄い!

国鉄天北線(音威子府~南稚内)1989年廃線の小石から出ていた 藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線(昭和42年廃止) 小石の8112とはこれなんですね。

藤田炭鉱 ボールドウィン8112   昭和40年7月26日

炭鉱の街

藤田炭鉱8112

北関東で煙を吐いていた古典蒸機

$
0
0
昭和37年、まだ北関東で煙を吐いていた上武鉄道(西武化学)の古典蒸機。53年前のネガを5年ぶりにスキャニンングしたところ、この5年でネガは大きく劣化し上武鉄道のネガもこれが最後となってしまった。
武化学工場内 1962.12.23
 ピッツバーグ7号機

 ナスミスウィルソン製5号機

鹿島参宮鉄道からやってきた日車製D1001

西武化学前駅のりば

北関東の小私鉄 上武鉄道

$
0
0
昨日朝のNHK 小さな旅 “埼玉東秩父 和紙の里に水音響いて” に惹かれて地図を確認すると、東秩父村の北方に寄居があり更にここから北17kmほどに八高線の丹荘駅があった。この丹荘から西武化学前まで6.1km(23分)を走っていた上武鉄道(旧称日本ニッケル) は古典蒸機の宝庫であり、ブログでは蒸機以外に目もくれなかったので改めて53年前の北関東の風景を思い出してみました。


夕暮れを西武化学前へ向かう列車D1001+ハフ3.1962.12.23
桑畑一帯に立ちこめるモヤは並走する県道上里鬼石線の道路から巻き上ったホコリでしょう。

八高線で寄居から4駅目の丹荘駅

周辺には何もない上武鉄道丹荘駅.ここから客貨混合列車が1日5往復していた.

いかにも北関東の雰囲気がする青柳無人駅.

寄島無人駅

寄島~西武化学前

神流川沿いの竹やぶを行く蒸機の混合列車.寄島~西武化学前

やぶを過ぎ川を渡ると視界が開け西武化学工場があり、その一角あった機関庫.
機関庫前で盛んに煙を挙げていたのはピッツバーク7号機.7号は西武から借り入れて間もない頃であった。

この日活躍していたハフ3(元篠山鉄道ガソリンカー) 上白クリーム/下淡ピンクのツートンカラー.

ハフ2(元川越鉄道の古典客車改造) 丹荘

上武鉄道 神流川の渓谷

$
0
0
西武化学の工場を出た列車は、神流川(かんながわ)渓谷沿いの竹藪や林をちょっとだけ走った記憶メモがあり写真と地図で位置を推定してみました。

工場から出てきた7号機が小さな鉄橋を渡る.1962.12.23
右手に神流川(かんながわ)が流れ、線路はかなり川に接近している.
ピッツバーグ製7号機

鉄橋を渡ると神流川の土手沿いの竹藪と木立の中を列車は消えていった.右手に家が数軒あった.



現在の地図に西武化学(現 朝日工業)に入門する直前の軌道を推定してみました。1枚目写真の藪の中の小鉄橋が矢印の位置と思われるのですが、崖っぷちを走っていた記録メモからすると、もう一つの工場直前の川の小鉄橋かも知れません。
現在の地図を見ると、丹荘から西武化学へ向かう軌道跡が小鉄橋(矢印)まで小路として残っているものの、小鉄橋で軌跡が消滅しているようです。小鉄橋(矢印)から工場入口門までの崖っぷちの林の中に何か軌跡があるのではないでしょうか。

参考車両写真
元井川線のDD104と同類の102.川根両国 1966.9.23
国鉄貨車と連結するとesehokuさん曰く「スケール感がおかしくなりそうな機関車」.

連結して初めて分かる井川線規格と国鉄標準サイズの違い.千頭

上武鉄道 日車製Cタンク

$
0
0
借入機関車が多かった上武鉄道(日本ニッケル鉄道)で、唯一在籍した蒸気機関車といわれるのが日車製Cタンク3号機で、西武から借入れの2号機と同形で共に元飯山鉄道の兄弟機であった。
上武鉄道3号機は昭和37年まで現役だったそうで、訪問時は工場の奥でロッドを外されていた。一方、西武2号機は昭和31年に別府鉄道へ転じている。上武の3号機と別府の6号機は共に日本ニッケル鉄道で働いていた時代があった。

 上武鉄道在籍の日車製3号機 1962.12.23

別府鉄道6号機 1962.07.28
元西武2号機で日本ニッケル鉄道で稼働していたことがある.

上武鉄道のハフ3(元ガソリンカー)と同類?のキハ.
昭和7年日車製キハ1(奥)と昭和9年加藤車両製キハ2(初代)


別府鉄道の機関区 1962.07.28

越後交通栃尾線 加津保の寒さ

$
0
0
昭和39年3月下旬、朝からの曇り空で冬枯れの越後平野は大変な寒さであった。栃尾線と言えば思い出すのが曇天とあの寒さである。加津保の寒さは格別で駅周辺が一面の田んぼで何もなくあまりの寒さに早々に引き上げた。次から次とやってくる珍品列車で寒い中をいろいろと撮ることができた。

撮影:田辺多知夫 1964.03.22
 心地良いジョイン音を聞きながら小さなホハ18の窓から見えたナローのレール.

 大活躍していた元草軽の古典客車ホハ18が加津保に到着.

まだ電車が古典客車を牽いていた時代の標準的な編成. 

 加津保駅の周辺は一面田んぼ.

背後の山並みにまだ残雪があった.

越後平野加津保の寒風を受けて走る列車に快速まであった.


栃尾線 上見附の風景

$
0
0
昭和39年の栃尾線で印象的なことは越後平野の寒さと奇怪な車両の多さであり、平凡な沿線風景に風情を感じられるものはなかった。この時の車両については過去に紹介済みであり、今回は田辺さんが撮った上見附の風景から当時の駅建物や民家に注目してみました。写真で見る当時の木造民家などは、年々時代が遠のいていくにつれ感じ方が変化していくようだ。田辺さんとはこの栃尾線と翌日からの遠鉄奥山線を伴に撮り歩いた。

撮影:田辺多知夫 1964.03.22
上見附駅の駅舎.看板には「タクシー料金は現金で頂戴する」と. 

日通倉庫が何棟か連なり石炭ストーブの煙が立ち込めている.

日通倉庫と貨物ホーム

スイッチバックして栃尾に向かう列車.周辺に見える昭和の木造民家.

上見附駅の周辺の草むらの向こうに木造民家が並ぶ.

上見附駅のホーム待合所.

次々とやって来る列車でハイライトはこの電機牽引の珍編成.上見附

昭和40年7月北海道 藤田炭鉱2

$
0
0
先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を数点追加します。上段の1枚はFacebookで紹介したものです。

藤田炭鉱 ボールドウィン8112   昭和40年7月26日

ボールドウィン8112
国鉄小石駅から出ていた藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線の積込場でしょうか.


最後の筑波鉄道 最終日(リニューアル)

$
0
0
今日から3月3日まで「真壁のひなまつりです。
つくばEXPつくば駅~真壁 臨時バスについて。

2011年2月

1987(昭和62)年春、真壁に最終列車が到着し全てを終えた筑波鉄道。あれから今年で29年、本ブログで2011年2月から「最後のつくば鉄道」を連載しましたが、その後の5年でネット環境も大きく変化しました。今や当たり前の画像サイズにして新しい画像を追加しリニューアルしてみます。


昭和62年4月1日、日本の鉄道はJR誕生で新しい時代を迎えた日。
その前日の3月31日は「国鉄」時代最後の日であった。と同時に筑波鉄道最後の日でもあったが、JR誕生前夜の大ニュースに隠れて筑波鉄道の廃線は殆ど話題にならなかったようだ。今、本屋に並ぶ鉄道誌で昭和62年の鉄道の話題を見ても、やはり今も昔もJR・国鉄一色は変わっていない。

筑波鉄道の最終日、私は仕事を終え夜の筑波駅に向かった。今夜で終わる筑波駅風景を撮って真壁駅へ向かい、真壁止まりの最終列車の到着を待った。桜が咲き始めた春とはいえ、この日はかなり冷え込む夜で震え上がった。
22時過ぎ到着の真壁止り最終列車を迎え、真壁の下りホームは地元の人々で溢れ、お別れに来た人々の歓声の中をキハ761+505が到着し筑波鉄道の歴史は終わった。
桜が開花した下を気動車は上りホームに移動し、セレモニーの後、別れを惜しむ人達の記念写真の場となり、人々に見送られて回送気動車は土浦方面へ引き上げて行った。
これで筑波鉄道の全てが終わり、夜遅く真っ暗で静まり返った真壁の町を後にした。

寒い中、最後を見届けようと早くから人々が駅に集まっていた.真壁

大変に冷える夜遅く、沢山の地元の人々が最終列車の到着を待っていた.真壁

沢山の人たちに迎えられて真壁に到着する最終列車.1987.03.31

セレモニーの後、最終列車は真鍋へ回送で引き返して行った.

ごくろうさまでした.
真鍋へ回送する列車を見送る人たち

車体にペイントされた「70年の長い間ありがとうございました」

最終日のつくば駅

最後の筑波鉄道 東飯田~真壁

$
0
0
筑波北方ののどかな沿線風景を集めてみました。1987年3月31日廃線を迎え車両サイドに派手な垂れ幕もなくいつものままの姿を見せてくれました。

筑波山を背にして  東飯田 1987.3.28

東飯田-樺穂 1987.3.28

キハ821(元国鉄) 東飯田 1987.3.28
最後の筑波鉄道を乗りに来た地元のお客さんで賑わう。

 東飯田-樺穂 1987.3.28

キハ762(元雄別鉄道)  真壁 1987.3.28


3月28日の真壁駅

筑波鉄道 筑波駅

$
0
0
1985年つくば科学万博が開催された2年後、あと10日足らずで廃墟となる筑波駅には観光客の賑わいがあった。昭和62年筑波山の観光と鉄道、こんな時代であった。

 廃線が迫る筑波駅の賑わい 1987.03.22
土浦から乗車して春の筑波山へ向かう観光客なのだろう.

 筑波駅全景 1987.03.22
筑波駅

つくばエクスプレス開通で便が良くなった現在の筑波山
筑波山ケーブルカー 宮脇駅  2012年10月
筑波山神社

筑波鉄道 華穂(かばほ)駅

$
0
0
      
筑波山を背景に夕暮れを行く。樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。
樺穂 1987.3.22
筑波鉄道の軌道跡は自転車道として整備され、ここを自転車で走るとこんな筑波車窓風景は至るところで見れるでしょう。特に筑波北方の樺穂や紫尾あたりを真壁のひな祭りシーズンに走ってみたいものです。今やこの辺りの駅建屋の面影は何も残っていないでしょう。

 樺穂(かばほ)駅 大ギセルで有名な加波山タバコ神社。筑波連峰の加波山への登山口。

ローカルカラー満点であった筑波鉄道の各駅

 華穂駅


昭和40年7月北海道 藤田炭鉱3

$
0
0
先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を追加します。


藤田炭鉱 ボールドウィン8112   昭和40年7月26日


藤田炭鉱 ボールドウィン8112 


国鉄天北線(音威子府~南稚内1989年廃線)の小石駅  昭和40年7月26日
小樽市総合博物館で保存 キハ031


昭和40年7月北海道 明治鉱業昭和炭鉱専用線

$
0
0
田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」、留萌鉄道の終点昭和炭鉱で動いていたクラウス17号と15号が大変お気に入りのようで、ここにはかなり時間を掛けて滞在したようです。

 昭和40年7月24日
以前「marimoさんを偲んで」で使わせてもらった画像です。


クラウス17号と15号

福島交通軌道線 早朝の大通り

$
0
0
福島交通軌道線の早朝で薄暗くて眠いネガを今回スキャンしてみました。
こんなときGoogleの画像調整ソフトPicasaはモノクロのトーン調整が簡単瞬時にできほんとうに便利です。
大晦日、しだいに明け行く福島駅前の大通りを進むとこんな風景が見られました。

1966.12.31
北町の交差点を過ぎると左へカーブしこの辺りからゴタゴタした路地を進みローカルカラーらしさが現れてきた。魚屋など早朝の店は荷卸しで道路を占領し忙しそうであった。狭い道路を頻繁に行き交うバスの合間をよく電車が走れたものだ。朝の電車は続行で次から次とやってくるので効率よく撮ることができた。しばらくは狭い舗装道路上を同じような風景が続いていた。

浜田町
五老内の先で狭い道路にバスがひしめき合っていた.

朝の通勤風景

福島軌道線のツートンカラーの話がでましたので、昨年の軽便まつりで撮った服部英之さんの素晴らしい作品です。。鉄道模型趣味誌にこの作品の製作記事が発表されましたね。

Picasaによる画像調整

$
0
0
ネガをスキャンしたままの画像と、picasaで調整他の加工を実施した画像を並べてみました。この事例でモノクロトーン調整は①明るさ、②ハイライト、③シャドウ、この三つのレベル調整のみです。

 スキャン画像をリサイズしただけ  撮影:昭和37年
スキャン画像→トリミング→調整→リサイズ

スキャン画像をリサイズしただけ 撮影:昭和37年
⇩ 
スキャン画像→トリミング→ゴミとり→調整→リサイズ

仙北鉄道 車両写真

$
0
0
車両写真は模型資料として撮ったもので、大世帯でこれのアップをやり出すと切りがありません。車両写真の羅列はそこそこにしておきます。

撮影:1964.08.04
 瀬峰を発車した列車は満員であった.
沼尻へ行った好ましいキハ2402   瀬峰

DB071   瀬峰

 スイッチバック駅米谷の奥にいた増結用客車

米谷から登米までは単行で走っていたキハ2406

瀬峰にたむろする客車はどれも採寸したくなる客車ばかり.

客車の車両写真いろいろ
ハ1401

ハニフ1402
ハニフ1404

ハ1411


仙北鉄道 車両写真2

$
0
0
スイッチバック米谷駅の奥にいた客車はD333Dの窓配置からハフ1410と判明しましたが、写真写りのせいか竣功図の丸妻タイプには見えません。そこで2年後に撮った写真を見るとこちらは丸妻タイプであるのがよくわかります。

 ハフ1410 米谷  1964.08.04

上の写真の2年後 ハフ1410  佐沼  1966.03.01

魅力溢れる荷物合造車ハニフ1403(雨宮)   瀬峰  1964.08.04
駅には築館・佐沼・登米方面の案内があり、ホームの反対側から発着している築館線のバスが見える.


DC102  瀬峰   1964.08.04

Viewing all 1195 articles
Browse latest View live