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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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仙北鉄道 登米(とよま)

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仙北鉄道の終着駅登米(とよま)はブログ開始の頃2010年8月9日にアップしましたが、画像を追加して再度アップしてみます。今ではかっての登米駅前風景も大きく変わったことでしょう。

平成7年の大合併で登米市(とめし)と読むが登米町は昔の「とよま」と読む。米谷から北上川を下ったところあった登米駅の位置を今の地図上で道路の形跡から探るのは困難のようである。

静まり返った登米駅  1964.08.04

登米行きの列車に乗り、スイッチバックのある米谷を過ぎ、終点登米まで乗車したが、穀倉地帯の沿線風景は余りに単調で期待外れであった。終点登米の駅前は街らしい様子はなく静まり返っていた。米谷~登米間もあまりにも単調で撮影もすぐに引きあげてしまった。スイッチバック米谷では各方面にバスが出たり列車交換などで賑わいがあったが、終点登米は閑散としていた。やはり米谷~登米間は貨物を除けば寂れた支線の感じであった。

登米の駅前.廃線後バス待合所に使われた. 

 大陸的な悠々としたスペースに線路が配置された登米駅

小さなターテーブルがある駐泊所

発車まで静まり返ったひと時.


仙北鉄道 北上川のほとり米谷

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今でもどっちがどっち?よく間違える登米(とよま)と米谷(まいや)、終点の登米に対し米谷はスイッチバック駅。前に米谷をアップ済みですが再度取り上げて北上川との位置関係を推定してみました。米谷駅は町の中心部から少し離れたところで北上川のほとりに位置していたようです。

現在の道路に残る線路の道筋とS37年空中写真から推定した米谷駅の位置(訂正版)
コメントやメールでいろいろ情報を戴きありがとうこざいました。

 米谷駅  1964.08.04
スイッチバック駅の奥行き止まり側から見た線路.

米谷駅本屋

登米からやってきた貨物が米谷の手前でカーブし
北上川のほとりの米谷駅に到着する.左にカーブした先に駅がある.

 瀬峰からやってきたディーゼルカーがホコリを巻き上げ北上川の土手の脇を走り
そして米谷に到着する.

瀬峰行き列車

 米谷でS字にカーブしゆったりと流れる北上川

北上川の土手を瀬峰へ向かう列車.土手の道路は石巻から北上川沿いに登米を経て一関に向かう一関街道.

筑波鉄道 まもなく桜咲く頃

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1987年3月末で廃線となった筑波鉄道は桜が満開となる直前に消えてしまった。桜の木があるこの常陸小田も風情がある駅であった。

まもなく桜が咲く頃の常陸小田駅 1987.03.14





 最後を迎えた真鍋機関区

筑波鉄道 常陸北条

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常陸北条駅は2011年3月20日に取り上げていました。画像を大きくして再掲します。

国道125号線から見た常陸北条駅の全景  1987.3.14



浜田機関区 最後のC54

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GoogleのPicasaのアナウンスによると2016年3月15日の時点でPicasaデスクトップアプリケーションのサポートが終了、それを更に発展するアップデートはありません。ということで取り込んであるPicasaの画像調整は今も続けることができています。昨年秋のC54はかなり時間掛けてPicasaで調整したものです。



日の丸自動車・法勝寺線を訪問した頃はまだ山陰本線にC54が走っていました。私が訪問したた昭和37年夏は米子駅構内で動いていたC54の姿をチラッと見掛けたが撮影はできなかった。
その翌年、米子を訪問した田辺さんは法勝寺線を撮った後、浜田機関区へ向かいC54を撮っていました。浜田機関区に集結した最後の6両が1963(昭和38)年10月に全廃になる直前のことでした。

撮影:田辺多知夫氏   1963.07.15

最後にヘッドライトがシールドビーム化されたのが残念だが本当に美しい蒸機だ。

あれから3年 下北沢駅

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数年前の今日が出てくるFacebookで「今日で最後の下北沢駅」が出てきました。
あの日2013年3月22日からもう3年も経つのですね。


FBで使った2048pix画像。

ブログのアーカイブ

昭和40年7月北海道 明治鉱業昭和炭鉱専用線2

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田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」、昭和炭鉱のクラウスその2です。
小さなBタンク機17号は大活躍していたようです。今は那珂川で保存されている17号。

 昭和40年7月24日 
  



15号と17号

15号

2010年 多摩湖線の春

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多摩湖線の春を撮りに行ったのは2010年であった。一橋学園~国分寺間にある本町信号所(交換所)の脇にある大きな木立の周辺を様々な角度から狙ってみると、武蔵野の木立が桜と組み合わさると一層引立つ感じで、桜が終わると木立が芽をふきて色合いが刻々と変化していくのが楽しみだ。

竹藪の緑、素晴らしい木立、そして桜の組合せ.本町信号所 2010.04.04 



扇町のピーコック

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昭和38~39年頃の三井埠頭では1号、5号、7号機の中で汽車製造5号機が主に動いていた。
昭和39年12月は運よく1号機が動いていた。この1号機はピーコック5500形を2B1形タンク機に改造したB10形(小湊鉄道に保存)のような、英国系2B形テンダの改造機のようであるが正確なところはよく判らない。

川崎鶴見地区で撮影できた号機
第一セメント 1404, 17
三井埠頭     1, 3,  5,  17, 
日本鋼管    10, 12, 18, 105, 124,

小さな機関庫の前で 三井埠頭 1号機. 1964.12.25


背後は正に高度成長期の煙でかすむ川崎工業地帯

美しいピーコック

ここでは魅力乏しい産業用機関車.  三井埠頭5号機 1964.12.25
この5号機は汽車製造1924年製で汽車製造の地方私鉄向けCタンクの基準となった相模鉄道向け4両の内の1両で、相模→国鉄→東野→三井埠頭という経歴を持っている。
動輪が少し大きい南薩5号機Cタンク、これに先従輪付とした神中3号機とともに地方私鉄タイプのタンク機として模型でもよく知られた蒸機である。一連の汽車製造の小型タンク機でキャブの窓の独特なR形状が耶馬渓鉄道10号機と同じである。

参考文献引用 臼井茂信著: 機関車の系譜図3 交友社

SLが走った市電 2

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2011年8月に本ブログで「SLが走った市電」で川崎市交通局を紹介したことがあります。今回は田辺さんが同じ頃に撮ったものをアップしてみます。

【前回の記事】
川崎駅前から塩浜まで川崎の工場地帯を市電が走っていた。日本鋼管前~塩浜間は1435mm軌間に1067mm軌間が入った3線式区間で、国鉄のSL貨物列車が市電の線路を走る珍しい光景が見られた。
 訪問した翌年1964年3月に池上新田~塩浜間が休止になり、さらに1969年3月には全線廃止となって消えてしまった。日本鋼管浜川崎などこの一帯は工場構内・専用線のSLの宝庫であり、こうしたSLに較べ川崎市電は目立たない存在であったようだ。


撮影 田辺多知夫
川崎市電 1963.12.12

 三線区間のポイント

 川崎市電

国鉄蒸機と川崎市電 

三線式を走る国鉄C11

以下は2011年8月にアップしたもの.
 桜橋の風景  1963年6月

市電とすれ違って3線式区間をやって来た国鉄のC11.   桜橋
2両目特殊貨車の拡大

昭和38年東京の自動車(都電杉並線1)

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都電の写真で面白いのは昭和30年代の東京の自動車。
昭和37~38年あたりまでは日本の自動車創生期の面影を残していて、その後あっという間に変わってしまった自動車。この頃の都電の写真で私は電車の型式などはどうでもよく、当時の自動車や街並みが面白くて興味深々です。鉄道ファンの誰もが自動車を排除して都電を撮ったものですが田辺さんはよくここまで自動車を入れたものです。田辺さんが撮った昭和38年の杉並線最終日の東京の自動車が愉快です。

都電杉並線 成子坂下 1963.11.30 撮影:田辺多知夫





昭和38年東京の自動車(都電杉並線2)

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都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
14系統杉並線新宿駅(新宿大ガード)

東京にこんなクルマが走っていた時代.

小田急デパートの前を左へ向かうと杉並線新宿駅
手前の古い建物は移転した精華学園女子高では?

都電とともに愉快なクルマが走っていた東京. 柏木一丁目-成子坂下

青梅街道らしい風景.  本町5丁目

成子坂下 

昭和38年東京の自動車(都電杉並線3)

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昭和38年青梅街道の街並みの写真を見ると、あの「三丁目の夕日」(昭和34年想定)のような東京のイメージがまだ残されています。荷満載のトラック、レトロなクルマ、ボンネットバス、都電、商店の建物と看板、遠くまで広々とした空、背の低い立木など。こんな東京の街並みは昭和40年に入って刻々と変貌して行った。

都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
高円寺陸橋から見た街並み.

鍋谷横丁
鍋屋横町の子供たち
さよなら杉並線にかけつけた人々. 荻窪駅

SLが走った市電 3

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川崎駅前を出て京浜急行と並走する区間。
現在の川崎から想像もできない風景です。

撮影 田辺多知夫 1963.12.12
京急川崎駅からしばらく並走する川崎市電の専用軌道.

並走区間は工場地帯の風景

左に曲がり140号道路の併用軌道に入る.

三線区間を走る国鉄蒸機

上武鉄道ピッツバーグ7号機

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上武鉄道7号機が保存されている東品川公園で4/2にリニューアル開園式があったそうです。機関車もお化粧直しされ、開園式に参加の子供たちに7号機関車の生い立ちや軌跡が説明されました。開園式では遠い昔の写真を活用していただきました。

上武鉄道7号機が西武化学(元日本ニッケル)で働いていたのは今から54年前の昭和37年、なんと遠い昔のことか。 Wikipedia 国鉄2850形蒸気機関車

現役時代の上武鉄道7号機 1962.12.23
上武鉄道のネガはビネガーシンドロームで全て没、もうスキャニングのやり直しができなくなりました。この時代のネガはまもなく全滅となるのでしょう。

当日の写真提供:リニューアル工事会社のヨシミツ様



京浜急行デハ230形

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あの京急デハ230形の3連を昭和38年に杉田で撮っていたのを思い出しました。
デハ230にクハ140を組み込んだツートンカラー(赤と黄)の疾走に憧れたのはこの写真の10年以上昔の幼児の頃でした。横須賀の親戚の家に泊まり高台から何回も眺めたその疾走は、O番模型で合葉兄弟のDC2線式レールの電車がぶっ飛ばす光景の思い出と重なります。しかしこの写真を撮った昭和38年は既に憧れは軽便に移りデハ230形に憧れたことなどすっかり忘れていたのでした。

デハ230形 杉田 1963.05.03

デハ230形 1963.05.03
コクリコ坂の舞台と同じ東京オリンピック前年昭和38年の横浜.

昭和38年 杉田の民家  1963.05.03

以下は先日の川崎市電でアップした田辺さん撮影の大師線デハ230形
デハ230形の更新前後の比較. 京急川崎 1963.12.12
子供の頃に憧れたのは右側更新前のツートンカラー(赤と黄)の230形であった.


 デハ277
デハ268  関水金属に保存されている268はこの姿ではない.

上武鉄道の英国系4号機と米国系7号機

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上武鉄道の終点西武化学工場内にある機関庫に並んだ1886年英国ナスミス・ウィルソン製4号機とピッツバーグ製7号機。この対称的な英国系と米国系機関車を写真で比較してみました。

 西武化学工場内 1962.12.23
 機関庫の全景はこんな感じであった.

英国系4号機

米国系7号機


英国系4号機

米国系7号機

英国系4号の下回り.理にかなった機械設計の結果から生まれた繊細なラインの美。
  
米国系7号の下回り.いかにも米国系の厚肉の造形美。


7号機

お知らせ

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私のブログの現状、何もお知らせが無くて大変申し訳ありませんでした。

実は4月15日の上武鉄道の記事を最後に私のブログの時間が無くなり、

現在、ブログは停止中です。

いずれブログ再開の日はやって来ますのでどうかお待ちください。

katsu

賢島行き電車

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今日は伊勢志摩サミット開幕の日。
50年前の長閑な三重電気鉄道志摩線を思い出してみました(再掲写真含む)
国鉄参宮線の終点鳥羽で志摩線に乗り換え長閑な沿線風景を賢島まで電車が走っていた。
近鉄が賢島まで直行する現在の立派な路線からは想像もつかないローカル志摩線の風情があった。

参宮線鳥羽で志摩線の電車に乗り換える. 1964.07.06

鵜方近辺

鵜方駅の下校風景

何もない自然あふれる賢島近く行く荷物室付電車

国民宿舎「賢島ロッジ」の下を行く夕暮れ時の電車.

終着駅賢島はこんな風景で、貨物線が右へ真珠港に延びる.

英虞湾

昭和40年7月北海道 雄別鉄道1

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4月半ばから長らく休止状態であったブログ、一旦軌道を外した作業を元に戻すにはけっこう時間が掛かりそうですが、スローペースでもそろそろ再開しようと思います。

約2か月半の間、手間が掛からないfacebookでちょっと気分転換したことがありましたが、投稿が川の流れのごとく川下へ消え去ってしまうfacebookはブログのようには行かない、まあ両者の楽しみ方の違いでしょうか。

ところで、2ヶ月半も休止していたブログでは過去記事がよく読まれたようで、1日のプレビュー数が1000前後 維持されてきたのは、ほんとうにありがたいこと、感謝の気持ちで一杯です。

今日は学生時代に共に撮り歩いた田辺さんの命日、彼の「昭和40年7月北海道」シリーズとして雄別をアップしてみます。

撮影:田辺多知夫氏 1965.07.20
 雄別鉄道 8721  前国鉄8721 汽車会社大2年製





鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第2分冊の表紙でお馴染みの8721の顔


見る角度でイメージが変化する 8721の英国調曲線


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