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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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石神井川の桜

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今年も石神井川の桜が咲き始めました。
散歩デジカメ写真をfacebookにアップしたのですが、撮った原画を自動一発で960pix 200KBへリサイズして綺麗に見る。PCでやっている私のブログではこんなことは出来ません。
今や、ブログで原画の最適化リサイズ等の内職作業や容量制限に配慮なんて時代遅れなのでしょう。

facebookのリサイズ画像 960pix 200KB 武蔵関 2013.03.19
新宿線レッドアロークラシック(3月16日~21日運行)


石神井川の桜2

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もう少しで満開となる石神井川の桜.
  西武鉄道新宿線  東伏見-武蔵関  2013.03.21

レッドアロークラシックの出現に大喜び

 東伏見-武蔵関  2013.03.21

今日が最後の小田急下北沢地上駅

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とうとうこの日がやってきた。下北沢らしい駅の風景はその全てが明日から見られなくなる。


今迄で最もカメラを向けたのが、上りホームのこの場所だった.

上りホームのベンチから眺める下北沢風景の見納め. 2013.03.22

地上駅の踏切風景をカメラに納める人々.

井の頭線の橋脚と橋脚の間にある連絡通路.

井の頭線ホームから小田急へ連絡通路を下る.

小田急下り線ホームの連絡通路.

下り線ホームの連絡通路「空中廊下」

下北沢駅の記事は過去に下北沢駅1 と 下北沢駅2があります。

いすみ鉄道 新型350型

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今年2月にデビューした新型350型と350型に搭載されたコマツエンジン6D125HEを見に行ってきました。

新型350型コマツエンジン搭載車  大多喜 2013.03.23
車体前面が国鉄キハ20系気動車の復刻版とは素晴らしい。そして従来型の窓で透明ガラスが気に入りました。200型同様にガラス越しの菜の花の色合いや、風を楽しめることでしょう。

乗客を楽しませてくれる土日運転の行楽列車のサービス.キハ52+キハ28. 大多喜

大多喜のたんたん麺

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先日、いすみ鉄道鳥塚社長の社長ブログに「大多喜のたんたん麺」のことが書かれていました。 

ちょうどこの日、私達は夷隅郡大多喜町の民家の裏にひっそりとたたずむ夷隅軌道の遺構を訪ね、
鉄道ホビダスの編集長ブログに紹介された夷隅軌道の転車台 の跡を眺めていました。
大多喜駅にあった復元人車なら方向転換なんて必要ないだろう? との同行メンバーの疑問に、
私はあの夷隅軌道の単端式ガソリンカーが目に浮かびました。
大多喜のたんたん麺、何とかわいらしい単端でしょうか。

2フィートゲージの単端がこの転車台で方向転換したのでしょう.大多喜  2013.03.23

夷隅軌道の車庫跡

大多喜は街全体が古い町並みを保ち城下町のような雰囲気を保っています。
そんな大多喜の街中の「房総中央鉄道館」にあったHOナローの単端。

アルモデルの夷隅タイプ自動機客車の模型(Oナロー)は→こちら

沼尻 ガソ101の小さな転車台と方向転換。沼尻の単端と較べると夷隅のはかなり小さい。

沼尻鉄道 スキー客満載の列車

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1964年正月の沼尻鉄道はまだ大勢のスキー客を運んでいた。この頃はスキー場直行バスは走っていなかったのか早朝の列車はスキー客満杯でオープンデッキまで溢れていた。

沼尻スキー場は終点沼尻駅から離れたところにあり、沼尻鉄道が消えてから沼尻スキー場に行くには磐越西線猪苗代から直行するバスで行くのが便利であったが直ぐにマイカーでスキー場まで行く時代になってしまった。
この1964年正月の沼尻鉄道のスキー客満載の列車から6年後には私でさえマイカーで行けるようになったので、あっという間のバス輸送やマイカー時代の到来に、それまで持ちこたえてきた沼尻鉄道も一気に飲み込まれてしまったのでしょう。

川桁駅の待合室はスキー客で満杯.1964.01.03

スキー客を待つボキー客車4両編成.川桁

その前日の一番列車.川桁 1964.01.02

磐梯山をバックにスキー客満載の一番列車が沼尻へ向かう. 川桁-白津
 4両編成だが客車の収容能力はえらく小さい.

途中の駅からも地元のスキー客が乗り込む.  白木城

仙北鉄道 廃線前の活気

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仙北鉄道が廃線(1968年3月)となる2年前、1966年の仙北鉄道はその2年前に訪問した時と同様に貨物輸送も乗客輸送も活気があり軌道の保守もしっかりしていた。しかし既に宮城バス仙北鉄道となっていた軽便はあっという間にバスに置き換えられてしまった。早過ぎた廃線と思われたがすでにトラック輸送やマイカー時代を迎え小さな軽便鉄道の廃線は時間の問題であったのだろう。まだまだ輸送量があった仙北鉄道は衰退して廃線を迎えるようなムードではなかった。
ライトボックス機能(画像拡大)が回復しました.

貨物長大編成 1966.03.01 沼崎下 - 瀬峰   

ニフを先頭につけて貨物列車が米谷方面へ出発する佐沼駅 初春の風景. 1966.03.01
昭和40年代でも軽便が貨物と乗客で賑わっていた夢のような風景であった.

賑やかな佐沼駅 夏の風景. 1964.08.04

朝の通勤列車  沼崎下 - 瀬峰 1964.08.04

全線保守が行き届き、軽便ながらしっかりした軌道が印象的であった.佐沼 1966.03.01

DC103  佐沼 1966.03.01


瀬峰には大量の有蓋貨車が留置されていた.
左の軌道は築館線廃線跡で築館行バスの道.

この時代でも軽便貨車による米どころの輸送量はかなりあった.

お知らせ 写真展「路面電車」が4/16日~開催


いすみの春 2009年

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今年の桜は早過ぎる満開でその後が天候不順で花のいすみ鉄道行きもすっかり予定が狂ってしまった。
2009年は西畑の花が咲き揃ったのが4月10日頃で、この2009年の花の経過を並べて昨年も咲き頃の予測を立て出掛けたがすっかり外れてしまった。最近はあの頃の菜の花の勢いがないのがどうも気になるところ。

2009年の花の経過はこんなでした。
2009年4月3日 総元の華が咲き揃う

2009年4月3日 西畑の菜の花がグラデーションになるが桜はまだ開き始め

 2009年4月10日 西畑は桜満開となり菜の花と桜が揃う

2009年04月10日 西畑の土手片側が菜の花で黄色く染まる

2009年4月19日ともなると西畑の土手は全てが終わり山々が新緑に染まり始める

軽便の狭いせんろ

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井笠や下津井の線路がしっかりしていた事はよく知られています。
改めて井笠の線路の風景写真を見ると、とても美しい! 雑草などは生えてなく軽便とは思えないしっかりした線路です。ここを赤い気動車が客車を牽いてえらい速度で飛ばしてきました。
3'6''ゲージならどうという事はない線路風景ですが、ナローゲージの線路となるとゲージの狭さだけで強く惹きつけられます。狭いゲージと枕木のサイズと配置のバランスが独特で、その美しさに思わず各社の線路を採寸したことがあります。

井笠鉄道のしっかりした線路 1967年

下津井電鉄のしっかりした線路 1962年
軽便としては太い30kgレールが使われた

頸城鉄道のか細い線路 1970年
15kgレールが使われた

尾小屋鉄道は軽便の標準的な線路だったと思われます. 1962年


軽便の狭いせんろの寸法

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軽便の狭い線路を採寸したのは、仙北鉄道、花巻電鉄鉄道線、沼尻鉄道、静岡鉄道駿遠線、遠州鉄道奥山線、越後交通栃尾線、下津井電鉄で、参考にした実物レールの輪切り断面が下津井電鉄、頸城鉄道、尾小屋鉄道のものです。
採寸した各社本線のレールは下津井、沼尻の太い30kg、22kgを除くとほとんどが15kgレールで、枕木サイズは長さ1500×幅140mmが平均的なところで、枕木間隔が社によって600mm(下津井、仙北)~800mm(沼尻、花巻)程度でした。
ということで採寸の結果から15kgと30kgレールの線路について平均的なところのバランスを模型化寸法にしてみたのが下図です。市販品のナロー用フレキシブルレールとはバランスがかなり違うようです。

0番ナロー
   15kgレール                    30kgレール

16番ナロー、HOナロー
  15kg レール           30kgレール

レール太さは頭部幅を示す

大井川鉄道井川線1

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1966年9月の「鉄道友の会」撮影会で静岡鉄道駿遠線と大井川鉄道を訪問しました。
大井川鉄道では川根両国と千頭で井川線を撮ったものの、川根両国の片隅に出現した千頭森林鉄道の強烈なインパクトで井川線も影が薄くなってしまいました。3'6''ゲージながら軽便サイズの井川線をアップしてみます。

軽便サイズの井川線   川根両国 1966.9.23
3'6''ゲージの左脇に千頭森林鉄道の2'6''ゲージ線路が並走する.

川根両国を発車した下り列車

たぶん川根両国の駅で千頭行に乗り込むところでしょう.

千頭の井川線構内

千頭駅の4番ホームが井川線のりば

軽便サイズの井川線の列車

大井川鉄道井川線2

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ユニークな井川線の3'6'ゲージで軽便サイズの車両たち。当時の客車等は今でも活躍しているようです。

木造建屋が並ぶ両国車両基地の風景. 1966.9.23
カトーDB3とDD102

DD102 1954年三菱重工製   両国車両基地

DB51 1956年加藤製作所製
昔の模型入門機によくあった2軸機関車のような格好だ.

カトーDB2

スハフ5 
3'6''用の巨大アーチバーを履いた腰高で小さな車体は、軽便より天井が低いのでしょう.

c トキ218 貨車を改造した客車

車端部が開放式となった荷物合造車スロニ202  千頭

軽便の狭いせんろ 現物

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手元にあった軽便鉄道(地方鉄道)で使われたレール断面を並べてみました。
実測寸法から軽便の狭いせんろのレール太さ、枕木配置を模型化するとどんな市販フレキシブル線路が使えるのか模型店へ走ってみました。

下津井電鉄、頸城鉄道、尾小屋鉄道のレール断面

軽便の狭いせんろ 模型市販レール

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昔買った手持ちレールや今回購入した市販レールを並べてみました。
レールコード番数も様々、枕木配置パターンも様々。
O番ナローは後廻しとし、市販フレキシブル線路を使った16番ナローのせんろ最適化を考えてみました。


O番ナローに使用             HOナロー用


軽便の狭い線路 市販レールの選定(16番、HO)

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1.市販レールの選定。
16番ナロー、HOナローで使うフレキレールでPECOのコード80番は実物50kgレール相当となり、しかも枕木が日本の軽便(地方鉄道)には太過ぎます。
シノハラのコード60番は実物30kgレール相当で、枕木がPECOより細身であり、これは何とか妥協できそう。さらにファインスケールを狙うなら枕木を切り出してコード40番(15kg相当)あたりのレール材をスパイクするしかないでしょう。

2.シノハラのコード60番の調整
シノハラの枕木間隔を拡げて実物30kgレールの線路の枕木間隔1と2を試してみました。
型紙の枕木間隔100mm/10本は実物では800mm/1本程度で、枕木間隔87mm/10本は実物で700mm/1本程度です。

市販フレキレールは尺度1/80でさえスケールオーバーであり、型紙は1/87でなく1/80で作ってあります。この型紙と比較するとシノハラでも枕木の長・幅がオーバーであるのが判ります。
しかし市販レール活用が前提であれば、この枕木の長・幅のオーバーも何とか妥協できるのではないでしょうか。


シノハラコード60の枕木間隔の調整前と後

沼尻鉄道のせんろ

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16番ナロー、HOナローの市販フレキレールの選定はシノハラのコード60(実物30kgレール相当)に落ち着きそうです。そこで軽便で太目のレールが使われた沼尻鉄道の線路がある風景を並べてみました。

沼尻は軽便としては太目のレールが使用されたため2'6''ゲージの狭さが強調されました。
かなり太目と感じたレールも実際には30kg/mはなく22、20kg/m程度のレールです。
枕木間隔は最も広い800mmくらいでした。
下津井電鉄や近鉄北勢線(当時)の25、30kg/mレールのしっかり線路に較べると、沼尻は太目レールであってもトロッコ色が強く下津井電鉄などとは対称的な線路でした。

本線の太いレールがS字カーブを描いて民家の間を抜ける.1964年1月

本線の太いレールのドロ軌道が風景に溶け込む

広い枕木間隔

広い枕木間隔は800mm程度

駅と線路がある風景

沼尻鉄道 泥だらけの川桁駅

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「軽便の狭いせんろ」はちょっと休み、いつもにもどります。
ネタの尽きない沼尻は連載21回にもなってしまい初期の掲載を消して20回を超えないようにしました。

1964年正月の沼尻鉄道、前日の雪から一転して快晴となり、川桁の駅は正月から泥だらけであった。 魅力溢れるローカルなツートンカラーに塗られた軽便客車も泥だらけでやってきて、駅は何もかもが泥だらけであった。大好きな軽便とは云えあまりの泥まみれの世界に撮影意欲もなくしたが、今になってみると失われた光景の1コマ1コマが懐かしく貴重であった。
まだ社名が日本硫黄沼尻鉄道部で、この後に観光鉄道をめざした直前の時代。
沼尻鉱山の硫黄を小さな貨車で川桁まで運び国鉄へ積換える硫黄輸送がまだあった時代。
こんな時代の川桁駅の風景、ストラクチャー、軽便車両などをアップして行きます。


雪解けで泥まみれとなった正月の川桁駅  1964.01.03
長靴を履いて行ったのが正解であった.

素晴らしい川桁駅の光景.

泥んこの駅前道路が凄かった.未舗装路のぬかるみは当たり前の時代だった.

川桁駅構内もぬかるみだらけ

シボフ3
シボフ3

泥まみれの客車.模型で超人気者のボハ6

沼尻鉄道 川桁駅のストラクチャー

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軽便ファンには余りにも有名な川桁駅構内。川桁の線路配置図はよく知られていますので後日追加とします。模型にしたくなる鉱山鉄道ならではの線路配置と佇まいは軽便(地方鉄道)で他に類がないでしょう。

駅前のパチンコ店に貼られた「賀正」で正月ムード漂う川桁の昼下がり.1964.01.03
この構内で仕立てられる客車の編成が種々様々で発車のたびに楽しい光景であった.
駅本屋は屋根が黒、羽目板がうす緑、窓枠が木製地肌色であった.

機関庫・工場、給水タンク、燃料ドラム缶倉庫、転車台などが並ぶ一角.
機関庫建屋の裏には廃車体(2軸客車)があり工場の一部になっていた.

転車台の一角.普段は機関庫に休む単端を表に引き出してもらったところ.

小さな転車台で方向転換するDC121.昔はコッペルCタンクがこうして転換されたのでしょう.

車庫がある一角.車庫には客車が休み、事務所左手の奥へ急カーブで線路が延びている.
うなぎの寝床のような異常に長い2線の車庫.右手の線路が硫黄積換場へ向かう.

日本硫黄株式会社沼尻鉄道部、猪苗代タクシー川桁営業所の看板がある事務所.

そこに居るだけで絵になるワフ3、周囲の建屋と木立によく似合う.
確かこの車両だけ印象的なブルーに塗られていたような?

沼尻鉄道 川桁駅の硫黄

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沼尻から川桁駅へ運び込まれた硫黄   1964.01.03

沼尻鉄道川桁駅

国鉄から降ろされた石炭はセタに積まれて沼尻方面へ輸送された.

沼尻からセタに積まれて川桁まで運ばれた硫黄.
向こうに異様に長いうなぎの寝床車庫が見える.

車輪径368Φ のセタ.

硫黄積込み場.ペルトコンベアで国鉄貨車へ積込まれる.

D60旅客列車が行く国鉄川桁駅.国鉄から沼尻鉄道に接近する引込線.

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