秋田の米どころを走っていた羽後交通雄勝線。先日、地元の方々の湯沢facebookを拝見し、またあの夏の光景が懐かしくなりました。訪問した1964年の後、雄勝線は動力変更で電車を気動車と入替えて非電化線として生き延びるという運命をたどり1973年4月に廃線となりました。
1964年夏の夕方、湯沢から西馬音内まで乗って西馬音内の車庫で美しく保守整備された車両達に驚き、予定変更し翌朝また湯沢から出直して順光で車両達を撮るという惚れこみようであった。驚異的な車両の保守整備は会社と鉄道マンの心意気であったのでしょう。
しかし、その後の雄勝線は動力変更で電車をやめて気動車に入替え、あの美しい電車や客車の殆どが不要となり、西馬音内の駅舎は取り壊されプレハブ小屋に、電車区車庫も取り壊され、西馬音内駅は仮ホームとなる。あの素晴らしい夏の日の光景が廃線を迎える前に一変した光景になってしまったのを今になって知りました。1964年は乗客がピークの時代であったそうで、この後の急激な時代の変化に雄勝線も飲み込まれてしまったのでしょう。電車から気動車になっても変わらなかった筈なのが沿線風景。電車時代の西馬音内から湯沢まで風景をつないでみました。
味わい深い西馬音内の駅舎. 1964.08.06
この駅舎はその後取り壊されプレハブ小屋となってしまった.
西馬音内駅では古典客車ハフ14に既に乗客が乗っていて梺からやってくる電車を待っている.
梺から電車が到着すると電車は貨車+古典客車を牽いて湯沢へ向けて発車した.
非電化線となって西馬音内は仮ホームとプレハブ小屋だけの駅になってしまったようだ.
残念なことに次駅「あぐりこ」のあぐりこ稲荷に由来する神社風づくり駅舎は撮ってなかった.
美しい古典客車を牽く列車同士が交換する羽後三輪駅.
西日を浴びて湯沢へ向かう古典客車のデッキが心地よかった. 貝沢
美しい田んぼがどこまでも延々と続く. 羽後山田 - 貝沢.
羽後山田. 駅を発車すると右にカーブして西馬音内へ向かう
雄物川の鉄橋を渡る. 湯沢 - 羽後山田
湯沢の街を背に発車した電車は夕方で帰宅を急ぐ乗客で満員であった.
国鉄奥羽本線湯沢駅に隣接した雄勝線のりば.
大衆食堂、駅前旅館、羽後交通乗車券発売所がある湯沢の駅前通り.
参考: RM LIBRARY 第52巻 羽後交通雄勝線 -追憶の西馬音内電車-