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草軽電鉄 ジェフリーNo.18

私の兄の姿が写っていた草軽の写真1枚がやっと出てきました。
社会人となった昭和30年代始めと思われます。
8mmムービーカメラを手に入れて草軽を追った映像を一度だけ見せて貰ったことがあるのですが、
今はもうこの時の話しを聴くこともできなくなってしまいました。
草軽のことを聴いて一言漏らさずメモしておくべきでした。
ところでこの時のジェフリーNo.18は先日の上州三原の写真に姿が見え、
映画「カルメン故郷に帰る」でも列車が北軽井沢へ到着する場面に登場していました。

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草軽ジェフリーNo.18と記念写真

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 映画「カルメン故郷に帰る」の場面.今年6月21日のテレビ放映より

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上州三原の車庫に休むNo.18


草軽電鉄 保存されたジェフリーNo.13

現在、軽井沢駅前に保存されている草軽のジェフリー製デキ12形No.13は、草軽電鉄の新軽井沢側廃線から6年が経った1966年に国鉄中軽井沢駅に近い中山道沿いに置いてありました。
今の軽井沢中学のグラウンドの外れ一段下がった辺りで、背後に見える建物が今の軽井沢社会体育館なのかもしれません。機関車に屋根等の付帯設備は一切なく注意書き立看板のみで、木立ちに囲まれひっそりと置いてありました。この後、軽井沢町中央公民館の駐車場に移動され、新幹線開業後に更に現在の位置に移動されたそうです。

デキ12形No.13 中軽井沢 1966.08.19

何故か13の表示が無かったが、詳細に採寸したメモの中にNo.13であることが記録されていた.
フレーム前後の埋込みボルト10本の頭の向きが全て軽井沢駅前の保存No.13と一致している.
塗装は白っぽくなったマルーンでホコリ?で黒に近かった.

全景

木立ちに囲まれてひっそりと休むNo.13.

現役時代のNo.13

福島交通軌道線 伊達駅前の風景

福島交通軌道線の「伊達駅前」は大変興味深い場所であり、他の写真を追加して再度アップしてみます。

1966年の大晦日に訪問した福島の空はどんよりと曇り、伊達駅前には正月を迎える華やかさもなかった。ただただ寒かった それだけが記憶に残る。大通りは舗装されていたが軌道線「伊達駅前」の周辺はここでも泥まみれの世界であった。「伊達駅前」の貨物線を含むこの一角を模型化できたらさぞや素晴らしいことでしょう。

国鉄伊達駅前の大通りに車は見えず朝の通勤者らしい人影が見える. 1966.12.31
まだ地方の道路には車より歩く人が多かった時代のようだ.
道路端を走る軌道は凍りついていた.

軌道線は国鉄伊達駅前で急カーブを曲がるとそこに駅があった.

銭湯のような国鉄「伊達駅」の寺社造りは飯坂温泉の浴槽をイメージしたとか。

国鉄「伊達駅」の真正面にあった軌道線「伊達駅前」

国鉄「伊達駅」から見た軌道線の風景.すぐ前に凄い駅前旅館が見える.

軌道線「伊達駅前」に小さな駅舎があった.

「伊達駅前」の奥には機回し線がある貨物線が延びていた.

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軽便並み車体サイズの貨車が止まる貨物線は国鉄との連絡線はなし.
ゲージは共通でもこんな貨車では国鉄との連絡線の必要性は全く無かったのでしょう.

尾小屋鉄道の保存車両

1977(昭52)年3月に廃線となった尾小屋鉄道の車両は小松市各所に大切に保存されていて嬉しいものです。
今年4月から社会人となられた小山在住のTさんが、今年もこの地を訪れて撮った「小松市立ポッポ汽車展示館」の写真を使わせてもらいました。ここに保存されている尾小屋鉄道の保存車両3両と現役時代の写真を並べてみました。

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遠鉄奥山線カラーに復元された元尾小屋鉄道キハ3. 2013.05.04 撮影Tさん

石川県小松市の「小松市立ポッポ汽車展示館」で動態保存されている元尾小屋鉄道の気動車キハ3がマルーン系の色で塗り直され、2012年9月30日から一般に披露目され、この遠鉄塗装は2年間の期間限定で公開されたそうである。よくぞここまで復元されたものです。

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現役時代の尾小屋鉄道キハ3.  1968.01.15

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遠鉄奥山線で活躍していた頃のキハ1803. 曳馬野  1964.03.23
ラジエータと自連カプラーがいかめしい.

元尾小屋鉄道5号機. 2013.05.04  撮影Tさん

現役時代の尾小屋鉄道5号機. 1964.12.30

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元尾小屋鉄道ハフ1.  2013.05.04  撮影Tさん

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現役時代の尾小屋鉄道ハフ1.  1962.08.01
この2軸客車はよく尾小屋へ向かう列車の最後尾に連結されて、
オープンデッキから眺める沿線風景は最高であった。

尾小屋鉄道の保存車両

次は小松市符津町にある、いしかわ子ども交流センター小松館に併設された「なかよし鉄道」と名づけられた総延長473mの保存鉄道(水曜日・土曜日・日曜日・祝日運転)。
ここには尾小屋鉄道の車輌4輌(キハ1・DC121・ホハフ3・ホハフ8)が動態保存されている。
場所は粟津の駅に近いのですね。

キハ1. スマホはこんなに綺麗に撮れるのですか! 撮影Tさん 2013.05.05

ここを訪問して撮影したTさんからのメールによると
通常は水・土休日に展示館職員の手でキハ3が運転されていますが,この日はこどもの日のイベントで,年2回のみ運転の他の3両も走りました.
職員の方の話だと,DC121はクラッチ操作が難しく,熟練のボランティア(保存会)の方でないと運転できないそうです.普段の運行は職員の方でも運転できるように,キハ1はエンジン換装・トルクコンバータ装備(AT化?)しているようです.

DC121+ホハフ3+ホハフ8の編成.     撮影Tさん 2013.05.05
50年昔に見たあの名編成の車両が今こうして動態保存されているとは感激です。

50年前の真夏の軽便. DC121+ホハフ3+ホハフ7(8と同形)+ハフ1 新小松 1962.08.01

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ホハフ8  新小松 1962.08.01
この時は三重交通から移籍した直後で荒れ果てた木造車であった.

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キハ1    新小松 1962.08.01
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キハ2.   2両のキハは旧塗装の濃淡緑ツートンで赤帯が入っていた.


仙台市電 七夕まつり

8月ともなれば東北の夏祭りシーズン、仙台では七夕まつりが6~8日に開催されます。
東京オリンピックが開催された1964年夏の仙台七夕まつりを何回かブログにアップしてきました。
2年前にスキャンした時は真夏の写真のハイライト白飛びがどうにも解決できなかったのですが、
最近はスキャナ(EPSON GT-X970)の環境設定で自動露出レベルを控えめにして自然な
感じが出せるようになりました。
再度スキャンして夏の仙台七夕まつりをもう一度アップしてみます。

東京オリンピック開催の年、活気溢れる仙台の風景. 丸光百貨店前.1964.08.08
高度成長期がスタートし元気一杯だった頃の日本の風景。この頃はまだマイカーなんて夢のまた夢。それがあっとい間に誰もが持てるようになり、豊かな暮らしへと社会の変化のスピードは大変なものであった。

元寺小路  左手が仙台駅前  

元寺小路

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仙台「七夕まつり」の中心部「中央通名掛丁」入口.仙台市電 元寺小路

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東一番丁(仙台郵便局前)

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東一番丁(仙台郵便局前)

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 東一番丁(仙台郵便局前)

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不明

森林鉄道の人気

ブログのスタートから1年後の2011年6月の記事「千頭森林鉄道」は、過去3年間のアクセス数でも九十九里鉄道と並ぶトップで今も日々のランキングの上位にいます。いかに森林鉄道の人気が根強いか。
更に画像がないものか千頭のネガを探したところ、出てきたのが下の1枚でした。

前回の画像
井川線との3線区間から分岐し、762mm専用軌道に入る森林鉄道. 川根両国 1966.09.23

新規の画像
千頭の営林署構内に休む客車と運材車  1966.09.23

クライスラー ダッジ1953年型

1964年大晦日に撮った1枚の写真。
金沢郊外を走る北陸鉄道金石線に写っていたレトロなスタイルのクルマ。
終戦直後の東京赤坂あたりでは駐留軍が乗っていたダッジが多かったそうです。
そんな終戦直後のクライスラーのダッジが金沢で生きていたのか?

1964年大晦日に撮った1枚の写真。 北陸鉄道金石線 1964.12.31

だいぶ前のことになりますが、この写真を見てt7marimoさんが調べてくれました。
彼の調査によればこのクルマはダッジ1953年型に間違いないようです。

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1953年型 Dodge Coronet 4-Door Sedan

このダッジ1953年型が生産された頃は日本の自動車産業が本格化する10年ほど前。この頃日本で走っていた高級車はこんなスタイルの外車が多かったようです。
金沢でダッジを撮った1964(昭39)年ともなれば国産マイカー幕開けの時代で、それまで走って来たこんな外車を地方で見掛けるのも決して珍しい事ではなかったのでしょう。

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東京の1962(昭和37)年秋. 杉並線 青梅街道淀橋警察署前.
外車のスタイルを踏襲したような国産車タクシー

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東京の1963(昭和38)年秋. 杉並線 青梅街道
国産車にも勢いが出始めた頃

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金沢の1964(昭和39)年大晦日. 兼六園下-橋場
繁華街を除けば車の姿は極めて少なかった.

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金沢の1964(昭和39)年大晦日. 繁華街に大衆車の賑わい
この頃の日本はこれからの豊かさへ最も希望溢れる時代であった.


金石線 金沢駅裏手の始発駅中橋

魅力溢れる北陸鉄道金石線は以前紹介したことがありますが、写真を追加して続編をアップしてみます。

北陸本線金沢駅裏手の家並みの中にあった金石線の始発駅中橋。この駅から国鉄金沢駅構内へ貨物連絡線が延びていて、そこからゲテモノ電機EB301や構内入替用DLが貨車を牽いてやって来たり、駅には個性豊かな電車が次々とやってきた。
なかでも注目はゲテモノ電機EB301であった。構内作業を終えると本線に出てきて金石から貨車列車を牽引することもあり、見掛けによらず働き者であった。

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金沢駅の裏手中橋駅構内でゴソゴソ動いていたEB301   1964.12.31

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右に駅ホームがあり左手に国鉄連絡線が延びる.

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連絡線から出てきた構内用DL

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金沢駅構内で働く96


以下は前回紹介済の画像です
金石線のEB301 中橋  1964.12.31

元北九州市交通局のEB301。
台車は4軸あるEDだが、モータ付きが2軸ということでEBと呼んでいる。
よほど車体が小さいのか、飛び出した台車やモータが凄い。

国鉄連絡線から貨車を牽いてきたEB301

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狭苦しい中橋の駅構内に休むEB301

金石線 雨上がりの金石街道

金石街道を走る金石線風景を別の写真で再度まとめてみました。

長田町から金石まで一直線の延びる金石街道の脇を走る金石線。
遠くに加賀の山並みを見てどんよりと曇った雨上がりを走る風景は至って平凡で、これが港に向かう金石線らしさなのかも知れない。時々やってくる貨物列車の牽引車が電車であったり電動貨車であったり凸型電機であったりで、珍奇な車両達が我々を楽しませてくれた。

中橋を発車した電車は長田町から金石街道を大野港へ向かう. 1964.12.31

中橋~金石で唯一の交換駅畝田(うねだ).ダッジの車がいたのはこの駅であった.

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中橋にいたEB301が金石まで貨車を引き取りに向かう.   寺中

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EB301が牽く貨物列車は長田町で道路から家並みの間に入る.

寺中を出ると一直線の線路の先に金石がある.

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金石で入替作業をしていた貨物用のモハ1301

金石での入替作業を終えて中橋へ向かう貨物列車.
早朝でもないのに何と車が少ない時代であったことか.

日本の社会の変わり目

先日の金沢から港へ向かう雨上がりの金石街道で、どこまでも続く道路にトラックやマイカーの姿はごく僅か、金石線沿線からの貨物はまだ金石線で国鉄金沢駅まで運ばれていた。こんな光景は他でもよく見掛けたものです。

この1964(昭和39)年の頃、大都市では既に車社会の到来が始まっていました。なんとか行き残ってきた地方私鉄もこの頃から急速に衰退して行く。この激変は一体何があったのか、私の中で漠然としていた高度成長時代の社会の変わり目と、地方私鉄の衰退を時系列に対比してみました。(軽便鉄道は地方私鉄衰退の事例として並べたものです)

これを見ると私が金石線を撮った1964(昭和39)年頃の日本は高度成長による社会の変わり目で、この年の東京オリンピック開催以降は高度成長のなかでも劇的な社会の変化で、車登録台数の急増や道路舗装率のデータからも爆発的な「車社会の到来」の時代であったと言えるでしょう。

よく写真を撮りに行った1962~1964年の頃は大都市を除けば地方の道路はまだトラックやマイカーも少なく、地方私鉄には活気ある路線も見ることができました。それが1965(昭和40)年~に入ると沿線の道路整備も始まり車の姿が多くなってきて、それまでの地方私鉄の活気もあっという間に衰退→廃線へと向かったのでした。
1960年代の地方私鉄が様変わりして行く風景は、日本の社会の大きな変わり目に地方私鉄が翻弄された時代の姿であったことが分かります。


クリック拡大で鮮明になります

軽便鉄道の貨物長大編成 1966年

参考図書: 「高度成長-昭和が燃えたもう一つの戦争」 保阪正康 著 朝日新聞出版

マイカー時代の幕開け

日本のマイカー時代の幕開けは何時だったのか東京モーターショウから確認してみました。
東京オリンピックが開催された翌年の1965年は、高度成長の所得倍増政策が1960年にスタートして5年が経ち、次の高度成長躍動期がスタートした年でした。この年の秋に晴海で開催された「東京モーターショウ1965」には夢のマイカーを見ようと多くの人々が押し寄せました。
この年の展示はプロトタイプやレーシングカー、スポーツカーが多かったようで、大衆車ではスバルを除けばその後直ぐに消えてしまったような車ばかり。まだまだマイカー時代の幕開けはこの先のことでした。

東京モーターショウ1965   日野コンテッサ1300 1965.11.04

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 日野GTプロトタイプ

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 ホンダN800
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ダイハツ
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スバル


ところが翌年の「東京モーターショウ1966」になると、それまで決定打がなかった大衆車にサニーとカローラが登場し、いよいよ本格的なマイカー時代の幕開けとなった。学生だった私にとってマイカーは遠い存在でサニーもカローラも関心がなかったのか写真もなく微かな記憶だけでした。

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東京モータショー1966の人々の熱い眼差し.   1966.10.30

日本がこんな華やかな時代になっても、この頃の地方はまだ未舗装道路で鉄道沿線の道路はホコリまみれの世界.主要道路の整備が進んだところは早々とバスへ切替え廃線となった地方私鉄も多かった.

 遠州鉄道奥山線の沿線はどこもホコリが白く漂っていた.1964年3月 1964年廃線
祝田駅の向こうに漂う道路のホコリ

淡路交通の沿線は道路のホコリで草木の緑も真っ白になっていた.1965年8月 1966年廃線
日本のどこにでもあった風景.

オリンピック開会式の日の横浜駅前の車. 1964.10.10 横浜市電は1972年全廃

都電 日比谷通り1967年

1966年秋の東京モーターショウ(マイカー時代の幕開け) から1年後の都内の風景を眺めてみました。
日比谷通りは最も綺麗な道路で大衆車には余り縁がなかったこの一帯は車も少なく道路が広く見えます。
この僅か3年前まで見られたタクシー、ハイヤー、三輪トラックなどのレトロな車もすっかり過去のものに。

日比谷通りで帝国劇場の前から馬場先門方面を見る.1967.12.03
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日比谷通りの並木
帝国劇場の建物は今も当時のまま.2013年夏

重厚な旧建築が並ぶ日比谷通り.右手が東京会館
1971年の建替えで姿を変えた東京会館

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馬場先門電停と明治生命館
今も当時の姿を残す明治生命館

日比谷交差点

都電 日比谷交差点1967年

歴史的建築が並ぶ日比谷通りの日比谷交差点(電停:日比谷公園)寄りに帝国劇場と第一生命館が並び、当時ピカピカに光り輝いていた帝国劇場の建物はこの1年前に建替えられていたものでした。東京オリンピック開催後の1967年に見た車のカタチが変化した日比谷通りは、その後46年を経て育った緑と歴史的建築と近代建築で美しい風景になったものです。

建替え直後の帝国劇場 1967.12.03
 2013年夏

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終戦直後の歴史が刻まれた第一生命館

日比谷公園から都電5系統他に乗ると日比谷通りを馬場先門へ向かう.1967.12.03
2013年夏

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日比谷交差点

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夕暮れの日比谷交差点から内掘通りを見る

2013年夏、緑多き日比谷公園から見た終戦記念日の東京の姿.

西馬音内電車と西馬音内盆踊り

昭和48年4月に消えた羽後交通雄勝線は、西馬音内電車と言われ奥羽本線湯沢から秋田米どころを西馬音内(部分廃線後)まで走っていた。昭和39年夏に訪問した時は駅で湯沢の七夕まつりと幻想的な西馬音内盆踊りの案内掲示があり、七夕まつりの一端は見たものの盆踊りは開催が10日後であり諦めたのでした。

この時代は盆踊り開催ともなると、沢山の見物客が湯沢で西馬音内電車に乗って西馬音内駅で降り、駅や電車は大変な賑わいであったことでしょう。そんな風景を想像して当時の西馬音内電車と一昨日まで開催された西馬音内盆踊りの最新画像1枚を並べてみました。

湯沢七夕絵とうろうまつりのfacebook 「はぁ〜え、湯沢のなえでもびゃっか」さん、そして西馬音内盆踊りのスミスさんのブログ「酒だ酒だ・・」 、現地最新画像をありがとうこざいました。

昭和39年夏の西馬音内駅. 1964.08.06
西馬音内盆踊りを10日後に控えた駅の風景.

今年も8月16日~18日まで開催された西馬音内盆踊り.撮影:スミスさん
盆踊りだけは昭和39年の夏と何も変わらないことでしょう。

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西馬音内電車. 西馬音内駅構内 1964.08.06
盆踊りの日は客車増結でどんな編成だったのでしょうか.

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夕陽を浴びた西馬音内駅.  1964.08.05


都電 日本橋1967年

日比谷交差点を撮った数日前の日本橋はこんな風景でした。永代通りと中央通りが交わる日本橋交差点あたりで当時の車が判る写真を集めてみました。

日本橋や銀座では意外なスタイルの車を稀に見ることがあったが、オリンピック開催から3年目の東京は車も一新しとっくにクルマ社会が始まっていた。地方でも路面電車が走るような大都市はどこも車が道路に溢れていた。

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永代通り日本橋交差点  1967.11.26
まだ意外な車も見られた.

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永代通り日本橋交差点.背後が東急百貨店(元白木屋)

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永代通り日本橋交差点

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 この翌月に消えた都電1系統. 中央通り日本橋

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中央通り日本橋

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車の氾濫で邪魔ものになってしまった都電. 中央通り日本橋

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1966年にスタートしたマイカー時代は1967年秋の東京モーターショウで更に身近なものに.
手の届かぬ存在のマイカーだったが、鉄仲間の一人はこの頃すでにサニーを購入していた.
マイカー時代の到来はあっという間のことであった。

金石線 金沢駅裏手にあった中橋駅(続)

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金石線中橋駅 1964.12.31

金石線の始発駅中橋は金沢駅の裏手にあり国鉄と貨物連絡線がある興味深い駅でした。
駅は北陸本線と金石街道に挟まれた狭苦しい一角にあったようです。国鉄裏手にあり国鉄線路に対し直角に線路が延び、貨物連絡線がある地方私鉄の始発駅は珍しくもなかったが、中橋駅の場合は限られたスペースでいかに線路有効長を確保するかを考え独特の線路配置になったと推定されます。

中橋駅は金沢駅や金石街道に対しどんな位置関係にあったのか、カーブポイントが多い構内線路配置はどんなであったのか、今までアップしてきた写真を並べて線路配置を割り出し、さらに北陸本線、金石街道との角度・位置関係を推定してみたのが下図です。
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駅の入口は街道に面していたのでしょう.

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駅ホームに対し駅舎の配置が微妙に傾いている.

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2両分程度のホーム長

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国鉄金沢駅構内へ繋がる貨物連絡線

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直線の延びる線路

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次々やってくる魅力溢れる電車

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ホーム脇にある車庫へ分岐する線路

4年の様変わり

車が滅多に来ない金石街道(昭和39年)から始まり、日本の社会の変わり目、東京オリンピック開催後の東京モーターショー(昭和41)とマイカー時代の到来、その翌年の都電風景(昭和42年)と続けてきましたが、その東京の風景から僅か4年前の静岡鉄道駿遠線ではこんな風景が見れました。

凸凹道路をオート三輪が埃を撒き散らして軽便列車を追いぬいて行く昭和38年の風景。
道路は未整備でオート三輪が活躍していた時代でした。こんな時代はまだ駿遠線もバスやトラックに対抗出来たのでしょう。この時の訪問では短時間にDB機関車が牽く列車がひっきりなしにやって来たものです。ところがその4年後には袋井-新三俣がバス運行に切り替えられ、この僅か4年の様変わりは高度成長時代に自動車保有台数と道路舗装率が急激に増大した日本の様変わりだったのでしょう。

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駿遠線DB608が牽く列車と、日本のどこにでも見られた非舗装路とオート三輪.
柳原-諸井 1963.04.04



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都電 中央通り1967年

1963年7月の有楽町の夕方.
また1967年の都心の風景に戻りますが、その前に「4年の様変わり」で1963年の有楽町の風景を1枚貼ってみました。友の会の会合後、夜行で松本浅間線を撮りに行く日の夕方に何となくカメラを向けたものです。
東京の光景などは余りに当たり前過ぎて都電廃止でもない限りはまず撮ることはなく、オリンパスペンでさえカメラを向けることなしでした。珍しく撮った東京1963年の「当たり前の風景」を今見てみると、東京1967年とは比較にならないくらい興味深いものがあります。


日本橋1967年に引き続き中央通りを日本橋から銀座方面に向かってみます。華やかな中央通りは高度成長時代の躍動期(1965~)に入り、豊かになってきた日本を感じます。クルマもその殆どがこの4年の様変わりで近代的になったものです。

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高島屋前 1967.11.26

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京橋第一生命ビル

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日本橋の高島屋や京橋の第一生命ビルの建築等はいかにもメインストリートの感じです。

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 京橋第一生命ピル

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銀座二丁目

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銀座二丁目

遠鉄奥山線 最後の日1

東海道新幹線が開業したのが1964(昭和39)年10月1日。
東京オリンピック開催が10月10日~10月24日。
この月の31日に遠州鉄道奥山線は最後の日を迎えた。この日の奥山線のネガは朝一からスタートしていたので、開業したばかりの新幹線は利用せず毎度の鈍行夜行列車で浜松に早朝到着したのでしょう。人がまだ少ない朝一から撮り始め、まずは国鉄二俣線との並走区間を狙った。

最後の日を迎えた朝の曳馬野駅. 1964.10.31

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 気賀口からやって来た朝の上り列車. 曳馬野

今日のお別れ列車で朝はこんな編成であった.都田口

都田川橋梁を渡る朝の上り気動車. 祝田-金指

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国鉄二俣線の立派な線路と並走する奥山線の狭いせんろ. 岡地-金指  1964.03.23

二俣線との並走区間を行く奥山線. 岡地-金指  1964.10.31

国鉄二俣線と奥山線のすれ違い

煙の向こうに国鉄線をオーバークロスした奥山線の列車が小さく見える.

国鉄二俣線C58の旅客列車

奥山線最終日のお別れ列車. 金指 1964.10.31

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