2回目に大内宿を訪問したのは1969年7月の雨上がりの日であった。会津線 湯野上駅近くの温泉宿に泊まり朝一にC11を撮ってから大内宿へ向かったが、会津線のC11はこの年の秋に消えてしまった。
2年前の大内宿に較べ大きな変化はないようであったが、民家の明るい色のトタン屋根など住まいの改修が少し進んでいたようで民家の原形も次第に変化し始めていたのでしょう。
この頃 既に観光化へ向かっていたのか民宿のような宿があったような気がする。
その後40年、私は行った事も調べたことも無かったが、大内宿の今をGoogleストリートビューで散策してみると驚きの別世界であった。みやげ物店、ねぎそば店、御食事処、これがあの時の大内宿なのか! 民家の屋根に昔の面影が残るが昔とは全く風景が違っている。
2年前の大内宿に較べ大きな変化はないようであったが、民家の明るい色のトタン屋根など住まいの改修が少し進んでいたようで民家の原形も次第に変化し始めていたのでしょう。
この頃 既に観光化へ向かっていたのか民宿のような宿があったような気がする。
その後40年、私は行った事も調べたことも無かったが、大内宿の今をGoogleストリートビューで散策してみると驚きの別世界であった。みやげ物店、ねぎそば店、御食事処、これがあの時の大内宿なのか! 民家の屋根に昔の面影が残るが昔とは全く風景が違っている。
2年が経った大内宿は一部民家で改修が進んできたような気がする. 1974.07.21
一番に奥にある石碑(湯殿山)がある大きな民家
石碑(湯殿山)がある曲がり角にある民家.
民家の裏手
湯野上(現湯野上温泉)駅のC11 1974.07.21
雨上がりの朝の湯野上駅
湯野上温泉街を行く会津線