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Channel: 地方私鉄 1960年代の回想
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北陸鉄道能登線 羽咋

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北陸鉄道能登線の羽咋(はくい)を初めて訪問したのは1962年の真夏であった。
それから10年後の1972年3月に先日の雪の羽咋を撮った田辺氏と青蛙氏が訪問していた。
よく考えてみれば私が国鉄能登線のC11「おくのと号」を撮って能登金剛へ行ったのも同じ年1972年の9月であり、北鉄能登線の廃線(1972年6月)直後の三明と羽咋をクルマで素通りしていた。
その頃は羽咋といえば観光「なぎさドライブウェイ」で北鉄能登線がまさかそんな時代まで走り続けていたとは全く知らなかった。

地方私鉄ムードあふれる北陸鉄道能登線羽咋駅の佇まい. 1962.08.02
キハ5162、キハ5001、キハ5151が見える

羽咋構内にあった車両小屋.構内で休む車両は個性派ばかりであった.

こんな単車コハフ1501に乗って夏の日本海海岸線へ向かった.

小屋から出てきた小さな気動車キハ5001が給油し発車の準備をしていた.

羽咋を出発した列車は海水浴客で超満員、国鉄七尾線と並走する.  1962.08.02
キハ5162+コハフ1501

鉄橋を渡り左にカーブして七尾線をオーバクロスして日本海へ出る.
キハ5162+コハフ1501

そして10年後、日本は"Discover Japan"の時代
以下の3点は、先日の田辺氏撮影の雪の羽咋駅.1972.03.04
"Discover Japan" 羽咋を発車する国鉄七尾線のふるさとSL列車C58「おくのと号」

輪島へ向かう七尾線C58「おくのと号」そして右に北鉄能登線の線路.

1972年6月に廃線となった最後の年の北鉄能登線 羽咋構内
元遠鉄二俣線キハ803であったキハ5213. 赤い気動車3両の1両.


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