仙北鉄道 登米(とよま)
仙北鉄道の終着駅登米(とよま)はブログ開始の頃2010年8月9日にアップしましたが、画像を追加して再度アップしてみます。今ではかっての登米駅前風景も大きく変わったことでしょう。平成7年の大合併で登米市(とめし)と読むが登米町は昔の「とよま」と読む。米谷から北上川を下ったところあった登米駅の位置を今の地図上で道路の形跡から探るのは困難のようである。静まり返った登米駅...
View Article仙北鉄道 北上川のほとり米谷
今でもどっちがどっち?よく間違える登米(とよま)と米谷(まいや)、終点の登米に対し米谷はスイッチバック駅。前に米谷をアップ済みですが再度取り上げて北上川との位置関係を推定してみました。米谷駅は町の中心部から少し離れたところで北上川のほとりに位置していたようです。現在の道路に残る線路の道筋とS37年空中写真から推定した米谷駅の位置(訂正版)コメントやメールでいろいろ情報を戴きありがとうこざいました。...
View Article筑波鉄道 まもなく桜咲く頃
1987年3月末で廃線となった筑波鉄道は桜が満開となる直前に消えてしまった。桜の木があるこの常陸小田も風情がある駅であった。まもなく桜が咲く頃の常陸小田駅 1987.03.14 最後を迎えた真鍋機関区
View Article浜田機関区 最後のC54
GoogleのPicasaのアナウンスによると2016年3月15日の時点でPicasaデスクトップアプリケーションのサポートが終了、それを更に発展するアップデートはありません。ということで取り込んであるPicasaの画像調整は今も続けることができています。昨年秋のC54はかなり時間掛けてPicasaで調整したものです。日の丸自動車・法勝寺線を訪問した頃はまだ山陰本線にC54が走っていました。私が訪問...
View Articleあれから3年 下北沢駅
数年前の今日が出てくるFacebookで「今日で最後の下北沢駅」が出てきました。あの日2013年3月22日からもう3年も経つのですね。FBで使った2048pix画像。ブログのアーカイブ
View Article昭和40年7月北海道 明治鉱業昭和炭鉱専用線2
田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」、昭和炭鉱のクラウスその2です。小さなBタンク機17号は大活躍していたようです。今は那珂川で保存されている17号。 昭和40年7月24日 15号と17号15号
View Article2010年 多摩湖線の春
多摩湖線の春を撮りに行ったのは2010年であった。一橋学園~国分寺間にある本町信号所(交換所)の脇にある大きな木立の周辺を様々な角度から狙ってみると、武蔵野の木立が桜と組み合わさると一層引立つ感じで、桜が終わると木立が芽をふきて色合いが刻々と変化していくのが楽しみだ。竹藪の緑、素晴らしい木立、そして桜の組合せ.本町信号所 2010.04.04
View Article扇町のピーコック
昭和38~39年頃の三井埠頭では1号、5号、7号機の中で汽車製造5号機が主に動いていた。昭和39年12月は運よく1号機が動いていた。この1号機はピーコック5500形を2B1形タンク機に改造したB10形(小湊鉄道に保存)のような、英国系2B形テンダの改造機のようであるが正確なところはよく判らない。川崎鶴見地区で撮影できた号機第一セメント 1404, 17三井埠頭 1, 3, 5, 17,...
View ArticleSLが走った市電 2
2011年8月に本ブログで「SLが走った市電」で川崎市交通局を紹介したことがあります。今回は田辺さんが同じ頃に撮ったものをアップしてみます。【前回の記事】川崎駅前から塩浜まで川崎の工場地帯を市電が走っていた。日本鋼管前~塩浜間は1435mm軌間に1067mm軌間が入った3線式区間で、国鉄のSL貨物列車が市電の線路を走る珍しい光景が見られた。...
View Article昭和38年東京の自動車(都電杉並線1)
都電の写真で面白いのは昭和30年代の東京の自動車。昭和37~38年あたりまでは日本の自動車創生期の面影を残していて、その後あっという間に変わってしまった自動車。この頃の都電の写真で私は電車の型式などはどうでもよく、当時の自動車や街並みが面白くて興味深々です。鉄道ファンの誰もが自動車を排除して都電を撮ったものですが田辺さんはよくここまで自動車を入れたものです。田辺さんが撮った昭和38年の杉並線最終日の...
View Article昭和38年東京の自動車(都電杉並線2)
都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫14系統杉並線新宿駅(新宿大ガード)東京にこんなクルマが走っていた時代.小田急デパートの前を左へ向かうと杉並線新宿駅手前の古い建物は移転した精華学園女子高では?都電とともに愉快なクルマが走っていた東京. 柏木一丁目-成子坂下青梅街道らしい風景. 本町5丁目成子坂下
View Article昭和38年東京の自動車(都電杉並線3)
昭和38年青梅街道の街並みの写真を見ると、あの「三丁目の夕日」(昭和34年想定)のような東京のイメージがまだ残されています。荷満載のトラック、レトロなクルマ、ボンネットバス、都電、商店の建物と看板、遠くまで広々とした空、背の低い立木など。こんな東京の街並みは昭和40年に入って刻々と変貌して行った。都電杉並線 1963.11.30...
View ArticleSLが走った市電 3
川崎駅前を出て京浜急行と並走する区間。現在の川崎から想像もできない風景です。撮影 田辺多知夫 1963.12.12京急川崎駅からしばらく並走する川崎市電の専用軌道.並走区間は工場地帯の風景左に曲がり140号道路の併用軌道に入る.三線区間を走る国鉄蒸機
View Article上武鉄道ピッツバーグ7号機
上武鉄道7号機が保存されている東品川公園で4/2にリニューアル開園式があったそうです。機関車もお化粧直しされ、開園式に参加の子供たちに7号機関車の生い立ちや軌跡が説明されました。開園式では遠い昔の写真を活用していただきました。上武鉄道7号機が西武化学(元日本ニッケル)で働いていたのは今から54年前の昭和37年、なんと遠い昔のことか。 Wikipedia...
View Article京浜急行デハ230形
あの京急デハ230形の3連を昭和38年に杉田で撮っていたのを思い出しました。デハ230にクハ140を組み込んだツートンカラー(赤と黄)の疾走に憧れたのはこの写真の10年以上昔の幼児の頃でした。横須賀の親戚の家に泊まり高台から何回も眺めたその疾走は、O番模型で合葉兄弟のDC2線式レールの電車がぶっ飛ばす光景の思い出と重なります。しかしこの写真を撮った昭和38年は既に憧れは軽便に移りデハ230形に憧れた...
View Article上武鉄道の英国系4号機と米国系7号機
上武鉄道の終点西武化学工場内にある機関庫に並んだ1886年英国ナスミス・ウィルソン製4号機とピッツバーグ製7号機。この対称的な英国系と米国系機関車を写真で比較してみました。 西武化学工場内 1962.12.23 機関庫の全景はこんな感じであった.英国系4号機米国系7号機英国系4号機米国系7号機英国系4号の下回り.理にかなった機械設計の結果から生まれた繊細なラインの美。...
View Articleお知らせ
私のブログの現状、何もお知らせが無くて大変申し訳ありませんでした。実は4月15日の上武鉄道の記事を最後に私のブログの時間が無くなり、現在、ブログは停止中です。いずれブログ再開の日はやって来ますのでどうかお待ちください。katsu
View Article賢島行き電車
今日は伊勢志摩サミット開幕の日。50年前の長閑な三重電気鉄道志摩線を思い出してみました(再掲写真含む)国鉄参宮線の終点鳥羽で志摩線に乗り換え長閑な沿線風景を賢島まで電車が走っていた。近鉄が賢島まで直行する現在の立派な路線からは想像もつかないローカル志摩線の風情があった。参宮線鳥羽で志摩線の電車に乗り換える....
View Article昭和40年7月北海道 雄別鉄道1
4月半ばから長らく休止状態であったブログ、一旦軌道を外した作業を元に戻すにはけっこう時間が掛かりそうですが、スローペースでもそろそろ再開しようと思います。約2か月半の間、手間が掛からないfacebookでちょっと気分転換したことがありましたが、投稿が川の流れのごとく川下へ消え去ってしまうfacebookはブログのようには行かない、まあ両者の楽しみ方の違いでしょうか。ところで、2ヶ月半も休止していたブ...
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