庄内交通 砂丘の中の七窪
昭和41年の「東北私鉄めぐり」は田辺さん青蛙さんと一緒で、2月27日上野発21:00の上越線羽越線まわり秋田行急行「羽黒」のナハ11に揺られてうす暗い温海駅に到着したのが5:30。冷たい雨の中を日本海沿いを走る羽越線C57の撮影からスタートした。9日間の旅で旅館に泊まったのはたった1泊のみ、あとは周遊券を使った連夜の夜行列車泊であった。朝食抜きで一番列車から撮影するのはすこぶる効率が良かったが空腹と...
View Article昭和40年7月北海道 藤田炭鉱
田辺多知夫さんの昭和40年7月北海道は古典蒸機を訪ねての旅でした。これは凄い!国鉄天北線(音威子府~南稚内)1989年廃線の小石から出ていた 藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線(昭和42年廃止) 小石の8112とはこれなんですね。藤田炭鉱 ボールドウィン8112 昭和40年7月26日炭鉱の街藤田炭鉱8112
View Article北関東で煙を吐いていた古典蒸機
昭和37年、まだ北関東で煙を吐いていた上武鉄道(西武化学)の古典蒸機。53年前のネガを5年ぶりにスキャニンングしたところ、この5年でネガは大きく劣化し上武鉄道のネガもこれが最後となってしまった。武化学工場内 1962.12.23 ピッツバーグ7号機 ナスミスウィルソン製5号機鹿島参宮鉄道からやってきた日車製D1001西武化学前駅のりば
View Article北関東の小私鉄 上武鉄道
昨日朝のNHK 小さな旅 “埼玉東秩父 和紙の里に水音響いて” に惹かれて地図を確認すると、東秩父村の北方に寄居があり更にここから北17kmほどに八高線の丹荘駅があった。この丹荘から西武化学前まで6.1km(23分)を走っていた上武鉄道(旧称日本ニッケル)...
View Article上武鉄道 神流川の渓谷
西武化学の工場を出た列車は、神流川(かんながわ)渓谷沿いの竹藪や林をちょっとだけ走った記憶メモがあり写真と地図で位置を推定してみました。①工場から出てきた7号機が小さな鉄橋を渡る.1962.12.23右手に神流川(かんながわ)が流れ、線路はかなり川に接近している.ピッツバーグ製7号機②鉄橋を渡ると神流川の土手沿いの竹藪と木立の中を列車は消えていった.右手に家が数軒あった.③現在の地図に西武化学(現...
View Article上武鉄道 日車製Cタンク
借入機関車が多かった上武鉄道(日本ニッケル鉄道)で、唯一在籍した蒸気機関車といわれるのが日車製Cタンク3号機で、西武から借入れの2号機と同形で共に元飯山鉄道の兄弟機であった。上武鉄道3号機は昭和37年まで現役だったそうで、訪問時は工場の奥でロッドを外されていた。一方、西武2号機は昭和31年に別府鉄道へ転じている。上武の3号機と別府の6号機は共に日本ニッケル鉄道で働いていた時代があった。...
View Article越後交通栃尾線 加津保の寒さ
昭和39年3月下旬、朝からの曇り空で冬枯れの越後平野は大変な寒さであった。栃尾線と言えば思い出すのが曇天とあの寒さである。加津保の寒さは格別で駅周辺が一面の田んぼで何もなくあまりの寒さに早々に引き上げた。次から次とやってくる珍品列車で寒い中をいろいろと撮ることができた。撮影:田辺多知夫 1964.03.22 心地良いジョイン音を聞きながら小さなホハ18の窓から見えたナローのレール....
View Article栃尾線 上見附の風景
昭和39年の栃尾線で印象的なことは越後平野の寒さと奇怪な車両の多さであり、平凡な沿線風景に風情を感じられるものはなかった。この時の車両については過去に紹介済みであり、今回は田辺さんが撮った上見附の風景から当時の駅建物や民家に注目してみました。写真で見る当時の木造民家などは、年々時代が遠のいていくにつれ感じ方が変化していくようだ。田辺さんとはこの栃尾線と翌日からの遠鉄奥山線を伴に撮り歩いた。撮影:田辺...
View Article昭和40年7月北海道 藤田炭鉱2
先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を数点追加します。上段の1枚はFacebookで紹介したものです。藤田炭鉱 ボールドウィン8112 昭和40年7月26日ボールドウィン8112国鉄小石駅から出ていた藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線の積込場でしょうか.
View Article最後の筑波鉄道 東飯田~真壁
筑波北方ののどかな沿線風景を集めてみました。1987年3月31日廃線を迎え車両サイドに派手な垂れ幕もなくいつものままの姿を見せてくれました。筑波山を背にして 東飯田 1987.3.28東飯田-樺穂 1987.3.28キハ821(元国鉄) 東飯田 1987.3.28最後の筑波鉄道を乗りに来た地元のお客さんで賑わう。 東飯田-樺穂 1987.3.28キハ762(元雄別鉄道) 真壁...
View Article筑波鉄道 筑波駅
1985年つくば科学万博が開催された2年後、あと10日足らずで廃墟となる筑波駅には観光客の賑わいがあった。昭和62年筑波山の観光と鉄道、こんな時代であった。 廃線が迫る筑波駅の賑わい 1987.03.22土浦から乗車して春の筑波山へ向かう観光客なのだろう. 筑波駅全景 1987.03.22筑波駅つくばエクスプレス開通で便が良くなった現在の筑波山筑波山ケーブルカー 宮脇駅 2012年10月筑波山神社
View Article筑波鉄道 華穂(かばほ)駅
筑波山を背景に夕暮れを行く。樺穂あたりから見る 筑波山が魅力的であった。樺穂 1987.3.22筑波鉄道の軌道跡は自転車道として整備され、ここを自転車で走るとこんな筑波車窓風景は至るところで見れるでしょう。特に筑波北方の樺穂や紫尾あたりを真壁のひな祭りシーズンに走ってみたいものです。今やこの辺りの駅建屋の面影は何も残っていないでしょう。 樺穂(かばほ)駅...
View Article昭和40年7月北海道 藤田炭鉱3
先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を追加します。藤田炭鉱 ボールドウィン8112 昭和40年7月26日藤田炭鉱 ボールドウィン8112 国鉄天北線(音威子府~南稚内1989年廃線)の小石駅 昭和40年7月26日小樽市総合博物館で保存 キハ031
View Article昭和40年7月北海道 明治鉱業昭和炭鉱専用線
田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」、留萌鉄道の終点昭和炭鉱で動いていたクラウス17号と15号が大変お気に入りのようで、ここにはかなり時間を掛けて滞在したようです。 昭和40年7月24日以前「marimoさんを偲んで」で使わせてもらった画像です。クラウス17号と15号
View Article福島交通軌道線 早朝の大通り
福島交通軌道線の早朝で薄暗くて眠いネガを今回スキャンしてみました。こんなときGoogleの画像調整ソフトPicasaはモノクロのトーン調整が簡単瞬時にできほんとうに便利です。大晦日、しだいに明け行く福島駅前の大通りを進むとこんな風景が見られました。1966.12.31北町の交差点を過ぎると左へカーブしこの辺りからゴタゴタした路地を進みローカルカラーらしさが現れてきた。魚屋など早朝の店は荷卸しで道路を...
View ArticlePicasaによる画像調整
ネガをスキャンしたままの画像と、picasaで調整他の加工を実施した画像を並べてみました。この事例でモノクロトーン調整は①明るさ、②ハイライト、③シャドウ、この三つのレベル調整のみです。 スキャン画像をリサイズしただけ 撮影:昭和37年⇩スキャン画像→トリミング→調整→リサイズスキャン画像をリサイズしただけ 撮影:昭和37年⇩ スキャン画像→トリミング→ゴミとり→調整→リサイズ
View Article仙北鉄道 車両写真
車両写真は模型資料として撮ったもので、大世帯でこれのアップをやり出すと切りがありません。車両写真の羅列はそこそこにしておきます。撮影:1964.08.04 瀬峰を発車した列車は満員であった.沼尻へ行った好ましいキハ2402 瀬峰DB071 瀬峰...
View Article仙北鉄道 車両写真2
スイッチバック米谷駅の奥にいた客車はD333Dの窓配置からハフ1410と判明しましたが、写真写りのせいか竣功図の丸妻タイプには見えません。そこで2年後に撮った写真を見るとこちらは丸妻タイプであるのがよくわかります。 ハフ1410 米谷 1964.08.04上の写真の2年後 ハフ1410 佐沼 1966.03.01魅力溢れる荷物合造車ハニフ1403(雨宮) 瀬峰...
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