江ノ電のタンコロ
映画「鎌倉ものがたり」に登場するタンコロの写真(再掲)を集めてみました。1963年当時はポールを付けた105、107、108、110の4両が在籍していました。撮影:1963.4.28極楽寺検車区の風景。 105号108号(現存) 107と110号 江ノ島107号ポールと屋根廻り電気車形式図集 私鉄電車編(第2集)以下はタンコロに風貌が似た301号編成江ノ島駅風景。...
View Article新宿大ガードの今昔
西武新宿駅に近い新宿大ガード下を通ると思い出すのが・・・・・で始まる西武軌道線跡はこれで二回目。前回の2012年1月20日「新宿大ガード」から6年が経つ。あの頃、街撮りはデジカメであったのが今やスマホに代わった。この先5~6年が過ぎるとまた何かが大きく変化していることだろう。そして、西武軌道線の跡があった大ガード風景(1962年)は益々遠い昔のことになった。改めて今の新宿大ガード風景と55年昔を比較...
View Article新宿南口の今昔
新宿南口のサザンテラスと呼ばれる一帯は、小田急の線路上の空間を利用して目覚ましい発展を遂げている。現在のビル群がまだできていなかった54年前と比較してみました。南新宿駅側から新宿駅方面を見る。2017年5月正面に高島屋のビルが建ち、左隣に昨年開業したJR新宿ミライナタワーが建つ。小田急新宿駅の立体化が完成した頃で、周辺にはまだ高いビルが建っていない。学生の頃、小田急で新宿駅に到着する直前の懐かしい風...
View Article新年
明けましておめでとうございます昨年も皆さまからのアクセス、コメントをありがとうございました。2010年に始めたブログも早いもので8年がたちました。本年もよろしくお願い申し上げます 栃尾線長岡 1964年
View Article栃尾線 上見附駅
オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。上見附駅前風景。1964.3.22駅前は雨上がりで大きな水溜り。上見附のホームで発車を待つガソリンカー崩れの大きなトレーラ。2両のうち1両が電車に化けたカマボコ客車。上見附
View Article栃尾線 草軽のなごり
オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。この頃、栃尾線には草軽電鉄のなごりがある電車、客車、貨車が何両も在籍していた。また、改造されて全く草軽イメージが消えてしまった電車もあった。元草軽の小さな客車。悠久山 1964.03.22外観は草軽モハ103のままだが、駆動部に垂直カルダン・ドライブを組込んだ栃尾のモハ208。悠久山...
View Article廃線から半年後の沼尻駅
沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)が営業休止したのは1968(昭43)年秋、廃止は1969(昭44)年4月1日で、その年の11月に撮ったこんな写真が出てきました。安達太良山登山から沼尻に下り、中ノ沢温泉で見つけた客車とDCを撮ったあの日です。ネガに写っていなかったので山仲間が撮ったのでしょう。...
View Article駿遠線 鞆鉄道からやってきた気動車
駿遠線には鞆鉄道からやってきた片ボギー車C12とC13がいて、C13はボギーに改造されD13になった。鞆鉄道からやって来たのは更にボギー車D11もいた。見たことはないが、いかにも駿遠線らしいこんな良き時代があった。片ボギー車キハC12。 昔の鉄道模型趣味誌に車両竣功図が掲載されたことがあった。両側にあったカゴが無くなっている。満員の乗客乗せて大手に向かうのでしょう。キハC12単軸側の拡大キハD11...
View Article歌登村営軌道
大学鉄研先輩の写真から。国鉄監修時刻表に載っていた簡易軌道 歌登村営軌道。昭和35年頃と思われる風景二点。加藤製+コホハ44 歌登コホハ44(旧十勝鉄道) 小頓別
View Article屈足営林署
大学鉄研先輩の写真から。昭和35年頃に撮影したと思われる屈足営林署。北海道の簡易軌道、森林鉄道の大家にお聞きしたところ、屈足にある屈足営林署の土場から十勝上川森林鉄道が運行されていた。十勝上川森林鉄道(1950年~1966年)は林野庁帯広営林局新得営林署管内の上川郡新得町屈足で運行されていた。 ハフ119+ハ2 屈足 ハフ118 屈足ハフ3 屈足
View Article仙台鉄道のキハ4
正月スタートに栃尾線の長岡駅風景を取り上げ、今月最後は仙台鉄道で、1月は全てナローの記事となりました。やはりナローは話題が尽きない。仙台鉄道は2011年11月に1回だけ紹介してあります。今回も大学鉄研OBにもらった写真です。仙台鉄道のこのキハ4、仙北鉄道...
View Article沼尻のセタと硫黄積込場
オリンパスペンSで撮ったセタ。沼尻鉱山の硫黄を沼尻駅から川桁駅まで運んだセタ。地方私鉄の軽便貨車としては最小クラスで、これを越えるとトロッコの世界に。私の軽便趣味の限界に位置するような貨車でした。沼尻には溶け込んだが、他の軽便(地方私鉄)には似合わないでしょう。沼尻までゴンドラで降りて来た硫黄をセタに積み込む積込場。こういう積込場の施設は興味深々で残して欲しかったものです。撮影:1964.1.2~3...
View Article昭和53年 赤城山麓の上毛電鉄
赤城おろしの空っ風が吹く大湖を訪れたのは、すっかり鉄撮りもやめていた昭和53年の1月であった。私の鉄道モノクロネガの最後になる。この頃、東京に近い中小私鉄で最も魅力ない路線が上信・上毛電鉄であったが、40年が経って当時を写真で見ると、カレー色の生え抜きデハ100形やデハニ52がいるだけで上毛も魅力的な時代であった。この頃はマイカーを利用して撮りに行けるし、カメラも一眼レフに交代し、土日にどこへでも撮...
View Article続) 昭和42年春 長崎の街に昭和の風景が
2014年7月の記事昭和42年春 長崎の街に昭和の風景が溢れていた頃 に載せた2枚の写真。前方右手に教会風の建物が見え、一体どこからこの写真を撮ったのか?...
View Article昭和38年 南武線
LUNさんからのコメントに、この時代の南武線の写真もあったらよろしくお願いします!と、ありましたので昭和38年の南武線をアップしてみます。南武線といっても私はこげ茶色の旧型国電を全く撮ってなく、南武線といえば登戸の蒸機や浜川崎の1枚くらいでした。南武線との乗換駅 小田急の登戸駅。下に南武線の架線が見える。1963年2月 こんな長閑な多摩川の川辺も今では一変していることでしょう。南武線のC12。...
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