軽便賛歌Ⅸ 仙北鉄道2題
昨日は第14回軽便鉄道模型祭のプレイベントで和田(青蛙)さんと私で、仙北鉄道2テーマの講演会でした。開演30分前で会場は沢山の軽便ファンで埋まり、大変に嬉しい限りでした。ご来場頂いたみなさんに厚く御礼申し上げます。会場では軽便鉄道でつながった沢山の方にお会いでき至福のひとときでした。今日の軽便模型祭にも行ってきましたが、軽便ファンがこれほどまで多いとは信じられません。...
View Article昨夜のギャラリー搬入
昨夜の搬入ではchitetsuさんがうまい写真を撮ったのでfacebookから拝借しました。私はこのような写真を撮る余裕なしでした。明日10月3日(水)10:30にリコーイメージングスクエア新宿で、写真展「地方私鉄...
View Article写真展初日
今年2月に写真展が決定し下準備の後、3ヶ月間準備を進めてきて、いよいよ迎えた10月3日の初日、忘れることのできない一日となりました。初日一番乗りはなんと大阪からわざわざこの日のためにいらして下さった方でした。また、今日一日いろいろな方とお話しができましたが、来場者には本ブログを見て戴いている方も多く嬉しい限りです。夜のオープニングパーティではこの写真展について予想外の評価ばかりでほっとしました。開場...
View Article写真展2日目
写真展の特徴はテーブルに写真アルバムを置いてあることで、アルバムの写真はデジタルを介さない昔からの銀塩プリントで、その殆どが月光印画紙に焼いたものです。今回3冊のアルバムを用意しましが、本日も熱心にアルバムを見て戴く方が何人もいました。こうしてじっくりと1960年代を時間かけて楽しんで戴くとほんとうに嬉しいです。 アルバム3冊を置いた丸テーブル。
View Article写真展 10月5日
この霞ヶ浦桃浦の写真は読み取る情報が少ないため出展するかしないか随分迷ったⅠ枚でした。ところがその心配とは逆に写真展ではよく話題になる1枚でした。左の門から出てきたであろう女の子は一体何をしているのか、気動車が走る線路際にいて危なくないのか、門に向かって一目散に走り出さないのか、足を滑らして霞ヶ浦に落ちないのかなど。読み取る情報は少ないけど、いろいろ考え想像してしまう場面であるようだ。来場者の多くの...
View Article写真展 10月6日
週末の三連休。やはり昼あたりから込みあってきた会場。休日だけあって次々と来客があり対応に追われる 朝のセンタービル佐々木カメラマン撮影月光印画紙の銀塩プリント・ファイルなど
View Article写真展 10月7、8日
7日と8日の写真展では長崎市街の写真に、ふるさとを見つけた長崎出身者が二人も来場しました。長崎で育ちその後東京に来られて、写真のあの時代からそれぞれが51年の人生を送って、今こうして新宿でめぐり会う不思議なご縁である。「これ俺の家だよ!」来場者から「これ俺の家だよ!」の声、生まれ育った51年前の長崎市街の写真に我家を発見。この写真の時は8才くらいだったそうだ。気になっていた周辺の古風な建物についてい...
View Article写真展 10月12日
皆さまのご来場ありがとうございました。いよいよ明日から最後の3日間となりました。開催は10月15日(月)までで、最終日は16:00終了です。ここから始まる1日後半、写真集の売れ行きが加速する。人気の巨匠のジオラマテーブルでは熱心な地方私鉄時刻表のファンが来訪しました。
View Article熊本市交通局 新町の風景
写真展では熊本市電の「新町電停のご婦人のたちのパラソル」で建物の話題がいろいろ出ました。そこで新町前後の街並みをアップしてみます。当時の熊本市内の建物は至るところ大変に魅力的です。なんとも魅力的なイカリソースの看板がある柿山商店と長崎書店。新町 1967.3.4 新町手前の専用軌道
View Article仙北鉄道の雄大さ
先日の軽便祭り講演会では、プロジェクタで投影して初めて分かった仙北の雄大さのご意見がありました。PCや本の写真と違って大画面は別もの。そして写真展の大画面もPCや本の写真とは別もの。仙北鉄道貨物の凸凹編成。 講演会より仙北鉄道スイッチバック米谷の雄大さ。 講演会より仙北鉄道スイッチバック米谷の雄大さ。 講演会よりこれはPCや本でも十分な資料(参考) 講演会より
View Article花巻電鉄 西公園停車場の部分拡大
オリンパスペンで1964年夏に撮った西公園停車場は大変気になる1枚です。部分拡大してみるといろんなことが分かります。西公園停車場。1964.08.02この一角が気になるので拡大して見ると、 ゲタを履いた学生が木のベンチで寝ているようです。その脇の隅には掃除道具が積んである。ガラス越しに見える広い待合室。駅には赤ん坊を背負って乳母車を持った母親が。そして電車に乗るための踏み台が2ヶ。...
View Articleビネガーシンドローム対策
今回の写真集と写真展に使ったネガ全点を、グラシン・スリーブと紙箱に収めてネガの保存を最適にしてみました。お菓子の空き箱(紙)のような箱でほんとうに効果があるのか。まあ、これまで缶に密閉したネガよりもマシだと思いやってみました。50年以上経ったネガがあと何年生き延びられるか。コスモインターナショナル製 GSF3510 グラシン・スリーブネガ 袋コスモインターナショナル製 MC1012...
View Article駿遠線を初めて訪問した時。
1963(昭和38)年春、遠鉄奥山線の奥山まで撮りに行った帰りに初めて訪問した静岡鉄道駿遠線。東海道線袋井から二つ目の諸井あたりで初めて撮った沿線風景で、驚きの蒙古の戦車が牽く列車が次々現れたのはこの時であった。気動車も客車もその全てが初めて見る車両ばかりで、この時の驚きと感激は二度目の訪問以降では薄くなってしまった。撮影:1963.4.4...
View Article遠鉄奥山線 元城 2
二回目に訪れたのが1年後の1964年3月で、春の陽を浴びた元城の風景は相変らずであったが最後の年を迎えていた。右手が元城工場の建屋。元城車庫に休む気動車。元城車庫に休むモハ1003とキハ1803車庫から牽き出されたDC1901
View Article遠鉄奥山線 曳馬駅風景
電車と気動車がバトンタッチする曳馬野は次々とやってくる電車や気動車で楽しい駅であった。非電化区間では外観が異なる3タイプの気動車が活躍していた。撮影:1963.4.4、1964.3.23電車区間を曳馬野へ向かう途中で、上池川で列車交換。乗って楽しい丸妻客車の最後部にはいつも客が立っていた。曳馬野の駅舎と大きなパンタ。非電化区間の気動車には1802、1803、1804がいた。ライトがばかにでかい180...
View Article伊豆箱根の205と206
facebookで伊豆箱根鉄道線を走ったポール電車で最も魅力溢れる205、206の模型の写真が出てきて驚いた。撮影:1963年2月、7月こんな旧東海道を走っていた電車。1963年2月廃線直後。 モハ206(田中車両製) 旧西武 1963年7月松本電鉄浅間線と同様に運転台が一段下がったタイプ。モハ15(元大雄山線)車中から見ると、隣のモハ206の運転台が異様に低いモハ206と同型のモハ205 旧西武
View Article遠鉄奥山線 気賀口
町の中央部には都田(みやこだ)川の沖積地が広がり,北部は山地,南部は三方原が占める。中心の気賀(きが)はかつて浜名湖舟運の一拠点で,江戸時代には三ヶ日,浜松に通じる東海道の脇往還,姫街道(現,国道362号線)が通じ,関所が置かれていた。江戸後期からイグサの栽培が行われたが近年はミカン,メロン,キーウィフルーツ,レタスの栽培や酪農が盛んになっている。…気賀の紹介記事こんな気賀の町外れ井伊谷川の対岸にあ...
View Article遠鉄奥山線 気賀口 2
気賀口駅周辺の5万分の1地図(S35年)がありました。1963(S38)年4月まで気賀口の先、奥山まで延びていた線路は、伊井谷川を渡らず橋の手前で急カーブして道路を横切って伊井谷川の土手を走っていた。気賀の町外れで川向うにあった気賀口駅の位置関係と、川の手前の急カーブが地図でよく分かる。伊井谷川を渡る道路形状が現在と異なるのは、橋が少しだけ上流側につけ替えられたのだろう。奥山~気賀口廃線後の気賀口の...
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