藤崎宮前
熊電の始発駅「藤崎宮前」には熊本市交通局の今はなき1系統が走っていました。以前、ブログに取り上げたことがありますが別の写真で再度アップしてみます。撮影:1967.3.6藤崎宮前熊電の藤崎宮前駅.背後に熊本城が。藤崎宮前藤崎宮前駅(再掲)朝のラッシュ時間帯がおわり、側線に休むカマボコ型トレーラ。ハ54+ホハ58ホハ59ホハ57
View Article玉電 引込線があった用賀駅(リニューアル)
引き込み線あった用賀駅のことをアップしたのが2012年2月1日、あれかや早や6年以上が経ちました。引き込み線のことがFacebookで話題となったので当時のコメントをそのままにリニューアルしてみます。この側線の先を右へカーブしたところはどんなであったのか。宵闇さんがネットで調べて教えてくれた凄いサイトによると、そこには新東宝崩れの映画館やスーパと商店街があり、ガレキ広場の先で引き込み線が終わっている...
View Article常磐線 四ッ倉
四ッ倉を訪問したのは1963年の秋だった。この頃の常磐線にはあの有名なC62牽引の特急「ゆうずる」はまだ登場してなかった。 撮影:1963.9.29四ッ倉の駅前 磐城セメント四ッ倉のナスミス・ウィルソン社製600形の脇を常磐線が走る。磐城セメント四ッ倉工場の600形。常磐線 C62が牽く各停列車。四ッ倉気動車特急「はつかり」...
View Article団塊世代の青春時代
私が会社に入ってその4年後にどっと入社してきた世代が団塊世代社員のスタートでした。私が盛んに地方私鉄めぐりをやっていた大学2~3年の頃、地方私鉄の通学時間は高校生で大盛況でした。日本の子供たちがピークで日本が最も活気ある時代であった。最近、気づいたのですが、私の4学年下とは私が私鉄めぐりを盛んにやっている頃に団塊世代は高校生だったのですね。だから駅や列車は溢れんんばかりの高校生で大盛況だった。朝の東...
View Article昭和37年 小田急
子供の頃、小田急経堂駅の脇にあった車庫の隅に留置されていた緑の小型荷物車をよく見掛けた。1941年廃車となったモニ1形の1、2のどちらかの廃車体だったのだろう。緑の小型荷物車はまさに模型入門機のような電車であった。原型モニ1形(1927年製)は4両いてモニ1形の3、4はモユニ1形に改造され、その後改番でデユニ1000形となった。これが1960(昭35)年以前まで活躍していたデユニ1000形(モニ1型...
View Article写真展「地方私鉄 1960年代の回想」のお知らせです。
先日、ギャラリーのHPに写真展案内が公開されましたので改めて詳細をお知らせします。今年4月発売の写真集「地方私鉄 1960年代の回想」のテーマで写真展を新宿のリコーイメージングスクエア新宿で開催します。写真集以外の写真も含め1960年代の地方私鉄約40点を展示します。約2週間、毎日会場に立合いますので是非お立ち寄りください。会場は新宿西口のセンタービル中地下1階にあります。新宿駅 西口...
View Article浅野川線 内灘~粟ヶ崎海岸
内灘駅から粟ヶ崎海岸駅までの軌跡を推定してみました。内灘海水浴場、試射場指令室跡、粟ヶ崎海岸駅跡、内灘駅の位置はこんな関係に。この廃止区間が海水浴客輸送だけではなく、どんな戦時色があったのか、なかったのかを知りたくなってきました。休止、再開、季節運転、廃止の歴史はそんな背景と関係があるのではないでしょうか。Googleに粟ヶ崎海岸駅跡の表示があり、赤ラインで廃止区間(内灘~粟ヶ崎海岸駅)を推定。20...
View Article昭和38年 田辺さんの東京散歩
1964年東京オリンピック開催後、昭和40年代に入ると東京の風景も面白くなくなってしまった。僅か数年前の昭和38年の東京にはこんな風景がころがっていた。当たり前すぎて私はカメラを向けることがなかったが大変な風景だったのだ。撮影:田辺多知夫 1964年12月この時代の都電はやはり車が入るとインパクトがある。今やお洒落な恵比寿駅前もこんな風景であった。恵比寿から駒沢通りを中目黒へ向かう8系統。...
View Article昭和37~41年 小田急
昭和30年代に独特の景観があった国分寺崖線。 成城の国分寺崖線を下ったところに野川がが流れ、一面ブッシュが生い茂る平地に今は小田急喜多見検車区の施設が建つ。この当時の面影残すのは成城に向かう坂にあった不動坂くらいか。成城から下ったところに曲がりくねって野川が流れ、鉄橋をくぐった先に水車小屋があった。1964.2.25 成城-喜多見 1964.2.25 喜多見から成城へ勾配を上る。...
View Article第14回軽便鉄道模型祭プレイベント『軽便讃歌Ⅸ』のお知らせ
今年の軽便模型祭の講演会に和田英昭さんと二人でやる講演のお知らせです。軽便鉄道模型祭 公式ブログで開催案内がアップされました。9月29日...
View Article仙北鉄道の浅部駅
浅部駅は古ぼけいた待合室と立木の組合せがジオラマの題材(駅)にでもなりそう。コンクリートの壁に土地を盛り上げたホームは立派で、沼尻鉄道の停留所などと比べると遥かに立派な駅である。1964.8.4終点登米の一つ手前、畑の中にポツンとあった駅あさべ味わい深い待合室に客が一人やがて登米からやって来た気動車沿線は一面の田んぼ
View Article大分交通別大線 (リニューアル)
大分交通別大線をアップしたのは2010年5月18日、ちょうどブログを始めた頃でまだネガのスキャンは始めてなく印画紙プリントをデジタル化した粗末な画像でした。その1年後にネガをスキャンした画像で再度アップしましたが画像が小さい。そこで、現状の環境で別大線をリニューアルしてみます。デジタルの画像調整で雨の風景もなかなか良きものです。今や、デジタル技術の進歩で印画紙プリントからのスキャンでもかなりの情報が...
View Articleハーフサイズカメラの実力
1964年にオリンパスペンSで撮った沼尻鉄道内野駅の1枚。この写真は、最近の業務用スキャナーとプリントで大サイズにどれだけ耐えられるかテストしてもらったものです。プリントはA4変形「写真集」見開きより大きく、半切(355×430)に近いサイズ(330×450)です。ハーフサイズのネガでは不鮮明が常識だったのが、今のデジタル技術の進歩であの小さなハーフのネガでもそこそこの大きさにプリントできるということに。
View Article大分交通別大線(リニューアル) 2
2011年4月12日にアップした記事の画像調整をやり直し、画像サイズ大きくしたリニューアルです。当時のコメントはそのまま残してあります。撮影:1967.3.5...
View Article地方私鉄の蒸機
写真展「地方私鉄 1960年代の回想」の準備で追加プリントの画像が昨日決定しました。何度も出ては消えた地方私鉄の蒸機ものは落とすことに。写真展では車両を主役にしていないのでどうしても全体の流れに合わない。それにしても昭和37年という時代は、地方私鉄でまだ蒸機が煙を吐いていた大変に良き時代であった。撮影:昭和37年夏別府鉄道の5号機が牽く混合列車 別府港 別府鉄道の5号機が牽く混合列車...
View Article都電8系統 中目黒から恵比寿へ
最近この辺りをよく歩くので、昭和42年の中目黒から恵比寿にかけての都電風景を再度並べてみました。現在のお洒落な街風景とは対照的に、当時はのんびりした風景であった。ここが中目黒かと思ってしまう風景。 1967.12.03中目黒中目黒から恵比寿へ向かう今の駒沢通りの坂。2018年9月駒沢通りの坂を登ると、東横線の代官山駅が近い。駒沢通り恵比寿駅前
View Article都電8系統 恵比寿から渋谷橋へ
8系統の恵比寿を過ぎて明治通り渋谷橋交差点まで追ってみました。東京オリンピック開催後3年の昭和42年、まだまだこの辺りの風景はのどかで、現在の渋谷橋あたりの大通りを見ると全く別世界になってしまった。毎年毎年こうして今昔の差が開いていくのでしょう。撮影:1967.12.03恵比寿の山手線ガード下。渋谷橋から恵比寿へ向かっている8系統。のどかな渋谷橋交差点近く。渋谷橋で明治通りの34系統に合流する。渋谷...
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