昭和41年 よき時代の筑波線
常総筑波鉄道筑波線は昭和40年6月に鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道筑波線になり、その後、昭和54年に関東鉄道から分離して筑波鉄道となった。1966(昭和41)年に田辺さんが撮った筑波線を紹介します。この頃は関東鉄道筑波線が正しい社名だが筑波鉄道のラベルに入れてあります。1966.10.10...
View Article昭和42年 伊豆箱根鉄道鉄道線
先日の伊豆箱根軌道線で1963(昭和38)年2月に廃止となった直後の鉄道線(駿豆線)大場工場で見た艤装中のモハ1000系のその後がその年の夏「駿豆線...
View Article京王線初台駅の今昔
先日の京王線初台駅今昔の記事に関し、子供の頃に初台に住んでいた方から更に写真を送って戴きました。53年前(1963年)の初台駅とほとんど同じ位置で撮ったそうです。写真を並べてみると、初台通りの商店街の道幅や、踏切遮断機といまの横断歩道の位置関係などほぼ符合しているそうで、オリジナル初台駅は相対式二面二線のはずで地下化工事期間中は写真で推測がつくように島式一面二線の仮ホームだったそうです。水路上?に仮...
View Article広島市内線の単車
昭和42年3月の朝、広島駅前で市内線を初めて見た時、アクが強過ぎて強烈な印象だったのが150形単車であった。大きな丸みがあるオデコと屋根、これぞ戦前から活躍し戦災をくぐりぬけてきた広島の路面電車のイメージがしたものだった。この時は余りに強い個性で関心が薄かった150形だが、最近、映画で話題となったあの「江波」の行先表示を見つけると俄然関心が湧いてきた。この時に活躍していた単車150、400、450形...
View Article倉敷市交通局 リニューアル
倉敷市交通局をアップしたのは7年も昔でした。最も地味で何の特徴もない路線で書くこともないですが画像を今のサイズにしてリニューアルします。1970年に設立された水島臨海鉄道の前身は、この倉敷市交通局であった。昭和37年の夏、旅客は元国鉄のキハ305が水島~倉敷市間を往復していて、地味で話題もない鉄道であった。交通公社の時刻表に出ていたのを頼りに訪ね、水島駅から倉敷市まで乗ってみた。真夏の太陽のもと、ひ...
View Article美しき日本の風情7
昨年秋の6回まで続けた「美しき日本の風情」シリーズでアップして直ぐに引っ込めてしまった第7回目がありました。 BSジャパン「ローカル線気まぐれ下車の旅」の番組に提供した画像(と言ってもTVはロクなことありません)。津軽鉄道 五所川原駅 1966年3月. 3月とはいえ寒くてなんとなく正月休みの帰省のような雰囲気です。豊沢街道を行く花巻電鉄軌道線 交換駅二ッ堰? 1964年8月お盆休みの羽後交通雄勝線...
View Article茨城交通湊線 昭和41年
マルーン一色の北海道勢が大挙入線する前の昭和41年、いかにも茨城交通らしいツートンカラーの気動車が活躍していた時代がありました。茨城交通茨城線の廃線で転じて来た気動車ケハ401(山鹿温泉鉄道向)やケハ301(元国鉄07)かと思ったが茨城線から入線があったは後の昭和46年頃でした。それにしてもこの数年前までナスミスウィルソンがオハ31系を牽く海水浴列車が走っていたとは驚きで、大変に変化に富んだ楽しい湊...
View Article宮下洋一作品展-2
先日、さかつうギャラリーで開催されたchitetsuさんの「宮下洋一作品展-2」を見てきました。今年も数えきれないほど多数の作品が展示されましたが、なかでも新作「福島交通さいわい橋」は、私も木橋「さいわい橋」に思い入れがあり作品に惹きこまれました。50年前の「さいわい橋」風景と並べてみました。作品撮影は全てiPhone7です。宮下洋一作品展-2 福島交通さいわい橋 1/87 12mmゲージ...
View Article東武鉄道リバティ 運行開始
4月21日運行開始した浅草発6:30の会津田島行きリバティ一番列車に乗って南会津へ。ダイヤ改正で残念ながらあの浅草発会津田島行2ドアセミクロスシート快速は無くなってしまったのですね。先日の小田急ロマンスカー利用箱根一泊と比べてみると、同一費用で満足度は数倍以上であった。見どころふんだんの日本のふるさと南会津、温泉宿の料理の素晴らしさ、そして特急の楽しさ。今度はリバティに乗って昔SLを追いかけた会津線...
View Article鹿島参宮鉄道竜ケ崎線
昔、ブログでアップした画像は横500pix程度が多かった。そんなネット環境が年々進化して今やパソコンで見ると横900pix程度でも小さく感じるくらい。facebookでさえスマホで撮ってアップする時の自動リサイズは横960pix。昔アップした小さな画像を1024pixにしてみました。常磐線佐貫駅で畑の中にポツンと待っていた気動車に乗ると、すぐに終点竜ヶ崎駅に到着する。駅構内に立つと遠くに見えるトラッ...
View Article江ノ電の人気
この連休は江ノ電が大変なことになっているそうですね。主要駅では、江ノ電に乗るだけの観光客が長蛇の列で1時間待ちとか。一時、江ノ電の廃線が検討された時代には想像もできないこと。鎌倉~江ノ島地域の人気が下地にあるが、いかに小私鉄路線に乗ることが楽しいかSNSで拡散されたためでしょう。 江ノ島 - 腰越 1963.04.28 腰越江ノ島腰越 - 七里ヶ浜鎌倉高校前鎌倉駅
View Article玉電大橋
4年前にアップした「玉電風景 大橋」の写真大きくしてみました。精肉店と化粧品店があった車庫入り口は、今や巨大な大橋ジャンクションに。昭和44年の大橋、246号が広々として空が広い。大橋の商店街風景をよ~く見ると精肉・鮮魚店の脇に電車が顔を出している.ここが大橋車庫の入出庫線であった. 1969.04.22鮮魚店と化粧品店の間から電車が出てくる。...
View Article最後の駿遠線訪問
駿遠線を最後に訪問したのは袋井線(袋井~新三俣)廃止の直前であった。1963(昭和38)年の駿遠線隆盛が僅か4年後の1967(昭和42)年には衰退を迎えていた。ちょうど、1964年東京オリンピック開催を境に日本が変貌して行く時代であった。訪問年月日メモ1.1963(昭和38)年4月4日訪問1 初めての訪問 袋井側/ 諸井2.1964(昭和39)年3月25日訪問2 袋井駅と新藤枝駅...
View Article昭和38年 上野駅
昭和38(1963)年の上野駅といえば、写真家 本橋成一氏の「上野駅の幕間」1979~1982年から更に16年以上も昔の上野駅ということになります。時代をさかのぼってもあの「上野駅の幕間」の風景はあまり変わっていないようです。上野駅の風景は宝の山であった。上野駅 1963年3月16日 撮影:田辺多知夫氏6番線からC58の客列車が発車する.成田線でしょうか.
View Article駿遠線の線路
駿遠線を袋井から諸井の先へ進むと何の変哲もない茶畑や田んぼの中をナローの線路が延びていた。ナローの線路に威圧感がなく自然に溶け込んでいる。こんな線路が御前崎半島を延々60kmほど半周する駿遠線は正に巨大軽便。諸井~芝 1964.11.01
View Article駿遠線の客車
駿遠線の客車の話題が出たところで客車の写真をランダムにアップしてみます。全て撮影日1967年7月9日だけで、巨大軽便 総勢45両(客車)のほんの一部に過ぎません。ハ3 袋井工場 ハ115 ハ19 ハ2 ハ106 同時期撮影でこれとは別のハ106(バス窓ではない)がいる.駿遠線にはよくあること. ハ103 ハ10 ハ9ハ28ハ13 新藤枝
View Articleある日の水浜電車 昭和41年(3)田園を行く
田辺さんの水浜線第3回目の訪問で撮影場所が分からなかったのが田園地帯を走る風景でした。水戸の樫村様に現地調査戴き浜田~谷田間ということが判明しました。今も水浜と表記された杭があるそうで、小さな道路に水浜線の面影を残しているようです。モノクロ写真 浜田 - 谷田 1966.02.09撮影 田園風景の今昔 浜田 - 谷田.現在のカラーは全て樫村様撮影浜田 - 谷田水路を渡る風景の今昔.浜田 -...
View Article駿遠線の客車
先日アップした駿遠線客車は本意でない車両写真の羅列で失礼しました。せっかく客車車両解説のコメントを戴きましたが、記事を入れ替えます。東海道新幹線が走る時代にまだこんな別世界があった.袋井のハ9 1967.07.09 袋井工場にいたくたびれたハ3.1967.07.09 O番模型製作でお問い合わせがあったハ1. 袋井...
View Article鉾田線の元東横キハ
関東鉄道鉾田線の元東横キハ42202のカラーリングについてコメント欄にお問合せがありました。この時代のキハ42201と2は一体どんなカラーリングだったのでしょうか。それにしても今の時代になって見てもほんとう美しい気動車でした。キハ 42201 石岡 1966.08.28キハ42202...
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