安比奈の鉄連コッペルの今
数日前、フランクフルトの博物館へこれを見に行った知り合いからこんな写真がFacebookに飛び込んできました。コメントに「鉄道連隊E103でユネスコ村以来30年ぶりの再会です」と。えっ ユネスコ村に展示ということは安比奈の鉄連コッペルではないか!...
View Article栃尾線 長岡駅
1964年3月22日、ともに越後交通栃尾線を訪問した田辺さんの写真から長岡駅に休む様々な車両と東洋工機製で新造された垂直カルダンドライブ車について補足してみました。これら人気の新造電車もツートンカラーになる前のマルーン一色の時代で地味な存在であった。この後、客車牽引から総括制御編成化など次々と近代化の手を打ったが1975年3月に早すぎる廃線で幕を閉じた。撮影:田辺多知夫氏...
View Article越後交通 長岡線
栃尾線から3年後たった越後交通の長岡線をのぞいてみましょう。私が長岡線を訪問したのは旅客廃止直前の1975年3月でしたが、田辺さんは1967年に訪問していて、まだ小田急電車一色になる前で魅力的な電車が走っていた頃でした。モハ2001 西長岡 1967.02.23 撮影:田辺多知夫モハ3001 これぞ元京王デハ2125を2扉化したモハ3005ではないか モハ3005+ホハ33or34(元目蒲)
View Articleあの頃の飯山線
越後交通長岡線を訪問した昭和42年2月の田辺さんの足跡をネガから追ってみると、長野電鉄を撮ったあと飯山線を撮り越後川口に出て上越線で長岡に向かい越後交通長岡線(栃尾線は3年前に訪問済)を撮影していた。昭和42年あの頃はまだ地方私鉄も国鉄ローカル線も良き風景(車両)が残されていた時代であった。C56の客列車 森宮野原 1967.02.22 撮影:田辺多知夫 森宮野原越後川口長野電鉄 夜間瀬
View Article越後交通 長岡線の電機
コメントで長岡線のスノープロウの話題が出ましたので、この時の西長岡の電機もアップしてみます。2月下旬、雪が少なかったせいか電機のスノープロウは外されています。ED401 (相模鉄道ED10形と同タイプ) 西長岡 1967.02.23 撮影:田辺多知夫 ED311...
View Article昭和42年 良き時代の長野電鉄1
私が長野電鉄を片手間に訪問したのは1970(昭和45)年で、その時は長野電鉄の古豪電車が走る魅力が僅かに残されていました。その3年前の昭和42年に訪問した田辺さんのスキャン画像を見ると昭和45年とは違って良き時代の長野電鉄だったようです。この時代の僅か3年の違いは大きい。昭和42年春で鉄仲間は解散し、私はもう地方へ撮りに行くことも滅多になくなったが、その後、田辺さんは昭和44年ごろまで地方を同じペー...
View Article昭和42年 良き時代の長野電鉄2
この時代の長野電鉄で活躍していたのは古豪電車だけではないのですが、好みの電車からアップしてみます。時代とともに改番が続いた電車形式は後回しとして。撮影:1967.02.22 田辺多知夫モハニではなかったモハ100形.信州長野 モハ300形(302) 信州長野モハ300形モハ100形モハ300形モハニ510形(512) 須坂モハニ210形(211)と並んだ昭和41年登場の「OSカー」0系....
View Article第11回 軽便鉄道模型祭1
昨年は行けなかった軽便まつり、今年は行ってきました。今年も素晴らしい作品の数々、とても全てを十分に見ることは困難で好みの旅客扱いの軽便鉄道からレポートしてみます。毎度思うのですが軽便鉄道の作品を撮るとどれも実物以上に美しい、それは軽便車両のカラーリング、昭和の街並みの色、季節感あふれる樹木の色、そんな色合いと緻密に作り込まれた工作力で軽便鉄道の美しさが引き出されるのでしょう。軽便モジュール倶楽部...
View Article第11回 軽便鉄道模型祭2
軽便モジュール倶楽部 尾小屋鉄道 観音下の鉱山ケーブルの下を行く。1970年11月尾小屋も沼尻も鉱山鉄道であったが、それとは異質の旅客営業のない鉱山専用鉄道は私にとって未知の世界。こちらは色合いが一変する。2フィータの世界は興味深々で神岡や明延のような客扱いの客車(超珍品)が組み込まれると変化あって楽しいのだが。Oナローモジュールクラブ Oナロー2 12 1/48 鉱山機関車 Oナロー2...
View Article昭和42年 良き時代の長野電鉄3
小田急やJRの特急車両、東急や営団のステンレスカーなどの中古車が入線してくるずっと以前の昭和42年、古豪電車や自社発注の美しい電車が活躍していた。「OSカー」0系も入線したばかりピカピカの電車であった。現在と比べるといかにも私鉄らしい華やかで美しい時代の長野電鉄であった。撮影:1967.02.22 田辺多知夫 2000系 夜間瀬 2000系 須坂クハ1550形 須坂1100系 夜間瀬...
View Article昭和38年 何だこれは! の金沢1
私が北陸鉄道金沢周辺を訪問したのは1964(昭和39)年12月であったが、田辺さんはその1年前の訪問であった。金沢市内線で犀川の橋を渡るとその先に石川総線の「のまち」があって、北陸鉄道の本線なのに物凄い世界があった。その後、電車はあっという間に入れ代わってしまったのでしょう。撮影:1963.07.13...
View Article昭和38年 何だこれは! の金沢2
北陸本線金沢駅の片隅から金石街道に沿って日本海へ向かって走る金石線の昭和39年12月時点を紹介してありますが、田辺さんが撮った昭和38年7月はたった1年半前なのに結構違いがあるようです。一見昭和39年とおなじような風景でもよく見ると、電車や電機がまだポール時代で、ひなびた客車は電車に牽引されてまだ活躍していました。この1年半後には客車牽引はなくなりポールからパンタに交換され、寄せ集め車両の淘汰があっ...
View Article昭和38年 何だこれは! の金沢3
撮影:田辺多知夫 1963.07.12急行「ゆのくに」交直流電車471系 金沢 1963.07.12この写真の数ヶ月前1963年4月20日に金沢~福井間が交流電化され、金沢駅は赤い新型電車の急行「ゆのくに」や「加賀」などで賑わっていた。こんな華やかな金沢駅とは対照的な存在の「何だこれは!」の世界が金沢の片隅にあって北陸鉄道石川線、金石線を紹介してきましたが次は浅野川線です。急行「加賀」モハ572...
View Article昭和39年 何だこれは! の金沢4
翌年の昭和39年10月に田辺さんは再度北陸鉄道を訪問し小松線、石川線、市内線を撮っていました。この頃の小松線は北陸鉄道各線から玉突きで追い出されてきた古典物や小さな車両の寄せ集め場で、漫画に出てきそうな小型電車が写っていました。1971年に金石線からモハ3000形5両が入線したのを境に、以降廃線まで何の変哲もない小松線になってしまったのですが、1965(昭和40)年までは種々雑多なトレーラや2軸電車...
View Article昭和39年 何だこれは! の金沢5
田辺さんが翌年10月に訪問した北陸鉄道石川線は、あれから1年経ったためかあの「何だこれは!」の驚きの度合いは弱まった感じです。ダブルルーフのモハ3151や田舎電車モハ1501などがまだ活躍していた石川線の新西金沢~鶴来を訪問したようで、まともな電車あり雑多な電車もありの時代であったようです。そして、この3ヶ月後の12月末に私は能登線、石川線を除く北陸鉄道各路線を一気に駆け巡りました。その後、市内線、...
View Article昭和38年 昭和の風景 富山駅前
昭和30年代後半の日本の変貌期は私にとって最も昭和らしさを感じる風景であった。さらに時代を遡ればいくらでも凄い世界があるが私はカメラ普及以前の「手の届かない世界」はとっくに諦めている。昭和の風景とはどの年代をさすかは、見る人の年齢によって様々異なるのでしょう。この時代の富山駅前のこんな風景も私にとって昭和の風景を感じさせてくれる。路面電車があるこの時代の昭和の風景は駅前や街中に人々が溢れ、背景に薄汚...
View Article北陸本線 石動駅
北陸本線の金沢と高岡の間にある石動(いするぎ)駅といえば加越能鉄道加越線。北陸本線はこの年に金沢まで電化され石動は電化工事が始まる頃で、石動駅の片隅には加越能鉄道のりばがあって砺波平野を庄川町まで19.5Kmを走っていた。東急車両製で湘南型2枚窓のキハ120形2両は加越能鉄道の廃線後関東鉄道に転じ鹿島鉄道で有名な人気者キハ431と432となった。。一連の北陸を撮影した田辺さんは富山から金沢へ向かう途...
View Article津軽鉄道
昨日と本日に津軽鉄道85周年記念イベントがあるのですね。多くのファンが駆けつけているようで、50年も昔に見たDD35型が牽く列車の今を見てみたいものです。DD35型 五所川原 1966.03.03五所川原機関区五所川原 津軽鉄道のりば十川~一野坪(S49年廃止駅)キ1とキハ2406オハ31系(元国鉄)とナハフ1200形(元西武)
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